#25 囚われの姫
フヴィート公国の奥深く、深い森と美しい湖に囲まれた離宮──それが私の鳥籠だった。
そして、その鳥籠での生活が始まって一週間が経過した。
「エリザベート。今日もなんて愛らしい。君の黒髪は夜空よりも美しく、私の心を捕らえて離さない」
「はぁ……ありがとうございます、ディアエル様」
「そんなツレない返事すら愛おしいね。さあ、今日は君のために南の国から特別な宝石を取り寄せたんだ。どれが好きか選んでおくれ」
仕事の合間を縫って離宮を訪れるディアエル様は、私が少しでも動こうものなら飛んできて、甘い言葉と共に抱きしめ、宝石やらドレスやらを際限なく与えてくる。
食事は王宮の晩餐会かと思うほどの豪華なフルコース。
お風呂は薔薇の花びらが浮いた大理石の湯船で、メイドたちが至れり尽くせりで体を洗ってくれる。
まるでお姫様にでもなった気分だ。
もちろん皮肉ね。
「はぁ……」
ディアエル様が政務のために本城へ戻った後、私はふかふかの巨大なベッドの上で大の字になり、深いため息を吐いた。
「暇。死ぬほど暇!」
何もしなくていい、ただ愛されるだけの生活というのは、たった数日で限界を迎えていた。
何か手伝おうとほうきを持てば、メイドたちが悲鳴を上げて奪い取っていく。
外に出ようとしても、屈強な公国騎士たちが閣下のご命令によりと扉を塞ぐ。
私は完全に愛玩動物になっていた。
(お父様に売られたんだから、もうどうしようもないんだけど……)
あの時、ディアエル様が言っていた言葉が胸に刺さったままだ。
『伯爵はお前の偽装処刑に協力する対価として、莫大な援助を得ている』
スノーローズ家にとって、やっぱその程度なんだろうなあ。
この鳥籠の中で大人しく飼われるしかないか。
そう言い聞かせても、胸の奥のモヤモヤは晴れなかった。
「……本でも読もう」
暇を持て余した私はベッドから起き上がると、離宮内にあるディアエル様の書斎へと足を向けた。
壁一面に本がぎっしりと詰まった静かで仄暗い部屋。
ディアエル様もここは好きに使っていいと言っていたし。好きに読んじゃおっと。
「なんかこういう図書館見るとトイレ行きたくなるな……なんでだろ」
私は適当な歴史書を引っ張り出そうとして、ふと重厚なマホガニーの執務机に目を留めた。
引き出しの一つが、ほんの少しだけ開いている。
「うん……?」
中から覗いていたのは、見覚えのある雪薔薇の紋章。
スノーローズ家の蝋封が押された一通の手紙だった。
(お父様からの手紙……?)
援助金の要求?
それとも、私の処刑がうまくいったことへの感謝状?
見ちゃいけないと思いつつ、家から見捨てられた身としては、自分がいなくなった後の実家の様子がどうしても気になってしまう。
「ゴクリ……」
封はすでに切られている。
震える手で便箋を開き、そこに書かれた見慣れた達筆な文字に目を落とした。
『──ディアエル公爵閣下。亡き妻と同じ黒髪を持つあの娘を、私の元には置いていけません。彼女と同じ運命を辿って欲しくはないのです』
「え……?」
始めを読んだ瞬間、私の頭は真っ白になった。
母と同じ黒髪。彼女と同じ運命?
辺境に追いやったのは……私が恥さらしだからじゃなくて、本家から私を遠ざけるためだったの?
『……閣下が娘を真に愛し、その絶大な権力をもって、生涯あの娘を守り抜いてくださるというのなら。社会的な死でもなんでも受け入れましょう。どのような汚名でも被る覚悟です』
そこで手紙は終わっていた。
手から便箋が滑り落ちる。
「どういうこと……?」
頭の中がハテナでいっぱいなんだけど。
お父様は、ただ保身のためだけに私を売ったんじゃなかったの?
それに、亡き妻って……こんなの、原作にはなかった。
「色々と確かめる必要があるわね……エリザのルーツが分かるかもしれない」
目標は決まった。
こんな場所で自堕落に生活している暇はない。
実家の……お父様の真意を確かめたい!
────
──
同じ頃、王都にあるスノーローズ家の分家、ジュリアンの私室。
「義姉上……俺はなんという無力な……」
カーテンの閉め切られた薄暗い部屋で、ジュリアンは頭を抱えていた。
公国の騎士団から解放されて王都へ戻ったジュリアンとアリスの耳に届いたのは、スノーローズ家の三女、逃亡の末に公爵の手により極刑に処されるという絶望的な報せだった。
自責の念に駆られるジュリアンの元に、控えめなノックの音が響く。
「……誰だ」
「私です、ジュリアン様。スープを作ってきたので、少しでも飲んでください」
ドアを開けて入ってきたのはアリスだった。
彼女もまた突然行き場を失ったことで、スノーローズ家の分家で一時的に保護される身となっていたのだ。
「すまない、アリス嬢。俺は……何も喉を通らない」
「ダメです。そんなにやつれてしまっては、エリザ様が悲しまれますよ」
「義姉上は……もう……っ!」
ジュリアンが悔しさに顔を歪めると、アリスはスープの入ったお盆を机に置いた。
「ジュリアン様。エリザ様は生きています」
「……気休めはよしてくれ。王都中が義姉上の死を報じているんだ。ディアエル公爵閣下が、大逆人を逃がすはずが──」
「生きています!」
アリスが強く迷いのない声で言い切る。
「あの日、公爵様がエリザ様を抱きかかえた時……違和感があったんです。まるで、世界で一番大切な宝物を腕の中に収めたような目でした」
様々な人を見てきたアリスの直感。
その言葉にジュリアンはハッと息を呑んだ。
「それに考えてみてください。エリザ様を本当に処刑したなら、なぜ首なり遺体なりを王都に晒さないんですか? 極刑とだけ発表して証拠は何もないなんておかしいです!」
「証拠がない……そうか……閣下は、義姉上を……」
ジュリアンの中で、錆びついていた思考が急速に回り始める。
あの公爵が、エリザベートを愛している。
だからこそ極刑という嘘の理由で彼女の存在を社会から消し去り、自らの手元に隠し持っているのだとしたら。
「義姉上は……生かされ、囚われている……っ!」
「はい! 公国のどこかに、必ずエリザ様は隠されています!」
アリスはジュリアンの両手を、自分の小さな手でギュッと握りしめた。
「私たちで助けに行きましょう、ジュリアン様! エリザ様を取り戻せるのは、私たちしかいません!」
その眩しい笑顔と手から伝わる温もりに、ジュリアンの胸の奥で何かが熱く脈打った。
こんな時だというのにわずかに頬が熱くなるのを感じてしまう。
「……アリス嬢。貴女は本当に強いお方だ」
ジュリアンは握られた手をそっと握り返し、部屋の隅に立てかけてあった愛剣へと視線を向けた。
「俺は騎士失格だ。だが……もし義姉上が今も公国のどこかで囚われの身であるならば。もう一度だけこの剣を握る理由がある」
「はい!」
「公爵閣下の目を盗み、フヴィートの奥深くまで潜入するのは至難の業でしょう。しかし……必ず俺たちの手で義姉上を救い出しましょう!」
王都の片隅で、二人の若者は強く頷き合った。




