#22 先回り
王都を脱出し、夜通し馬車を走らせた私たちは、街道を外れた深い森の奥で野営をすることになった。
パチパチと爆ぜる焚き火の炎が、真っ暗な森を赤く照らしている。
「はい、焼けましたよ! エリザ様、ジュリアン様!」
木の枝に刺さった香ばしい肉の塊を、アリスが満面の笑みで差し出してきた。
道中で彼女が仕掛けを作って捕らえた野ウサギの丸焼きだ。
解体から火起こしまで、男爵令嬢とは思えない手際の良さで完遂してしまった。
「あ、ありがとう……アリスって本当に逞しいね」
「よく森で遊んでましたから! さあ、冷めないうちにどうぞ!」
私はありがたく肉にかぶりついた。
逃亡の極度の緊張で空きっ腹だったせいか、塩を振っただけの肉が涙が出るほど美味しく感じられる。
ジュリアンも無言で肉を咀嚼していたが、やがて思い詰めたような顔で口を開いた。
「……義姉上。お腹が落ち着いたところで、お聞きしてもよろしいでしょうか」
「ん、なに?」
「なぜ、あそこまでして王都から逃亡する必要があったのですか」
ジュリアンの真剣な碧眼が私を真っ直ぐに射抜いた。アリスも不思議そうに小首を傾げている。
「もちろん、姉君たちの罠は悪質極まりないものでした。しかし、あのディアエル公爵閣下であれば、あのような稚拙な偽装などすぐに見破られたはず。逃げ出したりせず、閣下に直接無実を訴えれば──」
「無理よ」
私は小さく首を横に振った。
二人に黙ったまま巻き込んでしまったことには罪悪感がある。
もう、隠し立てはできない。
「誤解を解いたところで意味はないの。だってディアエル様は……あの罠の前から、私を処刑するつもりだったんだから」
「えっ?」
「どういうことですか、エリザ様?」
目を丸くする二人に、私はフヴィート公国で立ち聞きしてしまった『あの密談』の内容を打ち明けた。
ディアエル様と宰相のレイドラーが、スノーローズ家の動きを疎ましく思い、『エリザベートという貴族は殺しておかなくてはいけない』と冷酷に語っていたこと。
寵愛の証だと思われていた口づけや莫大な財宝も、すべては私を大逆罪の罠にはめ、合法的に処刑するための大義名分だったこと。
「そんな……あの閣下が、義姉上を……?」
ジュリアンは絶句し、焚き火を見つめたまま固まってしまった。
無理もない。
彼はディアエル様を百年先を行く偉人として心底尊敬し、あわよくば心酔しかけていたのだから。
「だから逃げるしかなかったの。ごめんね、二人を大逆罪の逃亡犯に巻き込んじゃって……」
「謝らないでください、エリザ様!」
俯く私の手を、アリスが両手でギュッと握りしめた。
「公爵様がいくらすごい人でも、エリザ様を騙して殺そうとするなんて絶対に許せません! 私たちはエリザ様の味方です。地の果てまで一緒にお逃げしますから!」
アリスの力強い言葉に、私は思わず目頭が熱くなった。
なんていい子なんだろう。
うんうん……この子が本来の主人公で本当に良かった。
「アリス嬢の言う通りです」
ジュリアンも顔を上げ、迷いを振り切ったような強い眼差しで私を見た。
「閣下への敬意はありました。しかし、私はスノーローズの騎士であり、義姉上の護衛です。どのような権力が相手であろうと、義姉上の命を理不尽に奪おうとするならば……私はこの剣にかけて、義姉上をお守りします」
「ジュリアン……二人とも、本当にありがとう」
私は静かに涙を拭った。
いつ追手が来るか分からない絶望的な逃避行だけれど、この二人と一緒なら、なんとか乗り越えられるかもしれない。
夜もすっかり更け、私は疲労から馬車のシートに横になり、毛布を被って眠りについていた──というのは建前で、実は薄目で外の様子を窺っていた。
焚き火の番をするために、ジュリアンとアリスが二人きりで外に残っているのだ。
これは、私が意図的に作り出した『お膳立て』である。
(絶望的な逃避行。夜の森。焚き火を囲む男女……完璧な吊り橋効果のシチュエーションじゃないの!)
私は息を殺しながら、二人の会話に耳をそばだてた。
「……申し訳ありません、アリス嬢。俺が不甲斐ないばかりに、貴女までこんな危険な目に」
薪をくべながら、ジュリアンが深く沈んだ声で謝罪した。
「本当に……俺は最低な騎士です。姉君たちの罠に気づけず、あまつさえあの場で毅然と否定することもできなかった。少し、その……動揺してしまって」
「動揺ってエリザ様を押し倒してたことですか?」
「っ! お、お恥ずかしい限りです……」
ジュリアンが耳を赤くして項垂れる。
そんな彼を見て、アリスはふふっと柔らかく笑った。
「ジュリアン様って、見た目は立派な騎士様なのに、中身はすごく純情なんですね」
「アリス嬢……俺をからかっているのですか」
「からかってなんかいませんよ。ただ、ジュリアン様は誰よりも誠実で、優しい人なんだなって思っただけです」
アリスは焚き火の光に照らされた琥珀色の瞳で、ジュリアンを真っ直ぐに見つめた。
「あの場でエリザ様を庇って前に出たのも、今こうして私たちを守ろうとしてくれているのも、ジュリアン様じゃないですか。私は、そんなジュリアン様が一緒にいてくれて、すごく心強いです」
「アリス嬢……」
ジュリアンは息を呑み、アリスの無垢で力強い笑顔に魅入られたように目を丸くした。
パチパチと爆ぜる火の粉。
二人の間に、これまでにない穏やかで、少しだけ熱を帯びた沈黙が流れる。
(あれ? なんか正直期待してなかったけど、なんかよさげな雰囲気じゃない!?)
私は毛布の下で、音を立てずに渾身のガッツポーズを決めた。
フラグが立った!
ついに原作のメインヒーローとヒロインの恋愛フラグが立ったよ!
やっぱり極限状態でのサバイバルは恋の特効薬だ。このまま逃避行を続ければ、二人の絆は本物の愛へと発展するに違いない。
私は安心して、今度こそ本当に深い眠りへと落ちていった。
しかし、私の甘い希望は、翌朝には無残に打ち砕かれることになった。
「義姉上、起きてください! 不味いことになりました!」
ジュリアンの緊迫した声で飛び起きると、馬車の外には薄暗い朝霧が立ち込めていた。
私たちは急いで馬車を出し、森を抜けようと街道へ出たのだが。
「嘘でしょ……」
私は御者台の隣から前方を見て、絶望のあまり声を引き攣らせた。
森を抜けた先の街道。
そこには朝霧を切り裂くようにして、漆黒の重装甲の騎士たちがズラリと立ち塞がっていた。
彼らが掲げているのはフヴィート公国の紋章旗。
そしてその陣形の中心には、まるで皇帝の玉座のように重厚な黒い馬車が停まっている。
「先回りされていた……!? 王都の裏道から、誰にも見られずに森へ逃げ込んだはずなのに!」
ジュリアンが信じられないというように呻く。
甘かったんだ。
大陸全土に情報網を張り巡らせるあの天才公爵にとって、私たちがどのルートで逃げるか予測するのは容易いことだったのだろう。
『──どこへ逃げようと、最後は私の腕の中に落ちてくるのだから』
幻聴のようにあの冷たい声が脳裏に蘇る。
黒い馬車の扉がゆっくりと開き、中から圧倒的な覇気を纏った男が朝霧の街道へと降り立った。
銀の髪と氷のように冷たい蒼い瞳。
ディアエル様だった。
逃避行は──わずか一晩で終わりを告げようとしていた。




