#21 暴走する馬車
「ア、アリス! スピード出しすぎ! カーブ! カーブ曲がりきれてないからああぁっ!」
「大丈夫です! 昔、村で暴走した荷馬車を手綱一本でねじ伏せたことがありますから!」
「それ全然大丈夫じゃないエピソードだよねぇ〜!?」
夜の王都の裏路地を、私たちが乗った馬車は凄まじいスピードで爆走していた。
御者台で器用に手綱を操っているのはアリスだ。
車がない中世にも存在したんだ。運転荒い人って。
「ああっ、揺れる……! 舌噛みそう……!」
私は狭い馬車の中で、壁の手すりにしがみつきながらガクガクと揺れていた。
向かいの席では、ジュリアンが死人のような顔をして深くうなだれている。
「義姉上……私の不徳の致すところです。あの時、私が毅然とした態度で姉君たちの罠を否定していれば、義姉上にこんな濡れ衣を着せることはなかったのに……っ!」
「もういいよ、過ぎたことだし……でも本当にこれからどうしよ。公爵様に逆らって逃亡したなんて完全に大逆罪で指名手配だよ」
私は絶望的な気分で頭を抱えた。
原作小説の断罪イベントを必死に回避してきたというのに、まさかこんな形で王都を追われる逃亡犯にジョブチェンジする羽目になるなんて。
「ご心配なく、エリザ様! 荷台には干し肉とお芋を大量に積んでありますし、最悪、森に逃げ込んで私が猪を狩りますから!」
御者台からアリスの頼もしい(?)声が飛んでくる。
「猪って……あんたはどこの野生児なのよ……」
でも、アリスのその能天気な明るさに少しだけ救われている自分がいた。
ただ、このまま彼女たちを巻き込み続けるわけにはいかない。
公爵様の怒りは私に向いている。
アリスやジュリアンまで逃亡を幇助した反逆者として処刑されるのだけは絶対に避けなければ。
(どこか安全な場所に着いたら私一人で出頭しよう。そうすれば、二人だけは助かるかもしれない)
私はガタガタと揺れる暗い馬車の中で、密かに悲壮な決意を固めていた。
彼らが私を逃がしたという事実だけは、なんとしてでも隠し通さなければならない。
────
──
一方その頃。
煙幕が完全に晴れたスノーローズ本邸の大広間は、異様な静けさに包まれていた。
先ほどまで響いていた貴族たちの非難の声は鳴りを潜め、全員が広間の中央に立つ『絶対者』の顔色を窺い、息を殺している。
「ああっ、公爵閣下! ご無事でしたか!」
「煙幕まで使って逃亡するだなんて……やはりエリザベートは、自らの不義を認めたも同然ですわ!」
カトリーヌとジョスリーヌの二人は、ディアエルの足元に擦り寄るようにして甲高い声を上げた。
自分たちの完璧な罠が成功し、邪魔な妹が公爵の逆鱗に触れて自滅した。
そう確信している姉たちの顔には、隠しきれない歓喜の笑みが張り付いていた。
「閣下の御心に泥を塗るようなあんな恥知らずな女、即刻極刑に処すべきです! それより! 閣下? 私はあの妹と違って素養が──」
「お前たちのその脳は、無駄に豪奢な髪飾りを乗せるためだけについているのか?」
絶対零度の声が大広間の空気を凍らせた。
カトリーヌの言葉が途切れ、姉たちの笑顔が引き攣る。
ディアエルは、姉たちが誇らしげに差し出していたガーターリボンとハンカチを汚物でも見るかのように冷たく一瞥した。
「こ、公爵閣下……? 何を……」
「下劣な茶番だと言っている」
ディアエルが指を鳴らすと、背後に控えていた宰相のレイドラーが一歩前に出た。
「あの時、エリザベート様と騎士ジュリアンが接触するよう、背後からジュリアンを突き飛ばした給仕……そこの男ですね」
レイドラーの鋭い視線が、壁際で震えていた給仕の一人を射抜く。
男は「ひっ」と短い悲鳴を上げる。
「昨晩、ジョスリーヌ嬢のメイドがその男に金貨を握らせた事実を我々はすでに把握しております。そして、そのガーターリボン」
レイドラーは淡々と、しかし容赦なく言葉を続ける。
「スノーローズ本家の令嬢が身につける特注のシルクではなく、三日前に王都の裏町にある仕立屋で、カトリーヌ嬢の指示により急造させた安物の模造品ですね……素材の質が全く違う」
「な、な……っ!?」
カトリーヌとジョスリーヌの顔から、一瞬にして血の気が引いた。
自分たちが裏で手を回した完璧なはずの隠蔽工作が、こともあろうに全て筒抜けになっていたのだ。
スノーローズ伯爵も、事の次第を察して顔面蒼白になり、ガタガタと震え出している。
「最初から気づいておられたのですか……? ならばなぜ、先ほどはエリザベートを捕らえよと……!」
「お前たちの浅はかな嫉妬心など、とうの昔に見透かしている」
ディアエルは、恐怖に顔を歪める姉たちを氷のように冷酷な瞳で見下ろした。
「エリザベートは、いずれ私の名において必ず裁きを下す……だが」
ディアエルから放たれた尋常ではない殺気に、大広間にいたすべての貴族が息を呑んだ。
「私の前で稚拙な芝居を演じ、あまつさえ私の愛する女の尊厳を泥で汚したお前たちの罪は……極刑などという生易しいものでは済まさない」
それは、権力者による完全なる社会的抹殺の宣告だった。
カトリーヌとジョスリーヌはその場にへたり込み、ドレスを乱して泣き叫び始めた。
「お、お許しください! 私たちはただ、閣下を騙すあの小娘の正体を……!」
「お父様! なんとか言ってくださいお父様!」
しかしスノーローズ伯爵は目を伏せ、助けを求める娘たちから顔を背けた。
彼もまた、公爵の逆鱗に触れれば一族郎党が滅ぼされることを理解していたのだ。
「連れて行け」
「承知いたしました陛下」
絶叫しながら衛兵に引きずられていく姉たちの姿を、他の貴族たちは震えながら見送るしかなかった。
静まり返った広間で、ディアエルは小さく息を吐き、王都の夜空が覗く割れた窓へと視線を向けた。
「さて……」
ディアエルは狂気と愛が入り混じった昏い笑みを、誰にも見られることなくひっそりと浮かべた。




