#20 逃避行
「ち、違います! 誤解です! ジュリアン、早くなんとか言って!」
「義姉上と私が……そんな、夜を共にだなんて……っ」
否定しろアホ騎士!
なんでそこで両手で顔を覆ってモジモジし始めるのよ!
周りの貴族たちは、恥じらっているし間違いないと完全にジュリアンを有罪と認定してしまった。
カトリーヌ姉様とジョスリーヌ姉様は、扇の向こうで計画通りと言わんばかりの邪悪な笑みを浮かべている。
陰湿! さすが悪役令嬢の実家の人間、やることがエグい!
「言い逃れはできませんわよ、エリザベート」
「公爵閣下の寵愛を裏切った罪、万死に値しますわ!」
周囲からの罵声。
終わった。
こういう計画だったんだ。
社会的に完全に殺された──その時だった。
「──随分と、騒がしいお茶会だな」
大広間の巨大な扉が開かれ、地を這うような冷たい声が響き渡った。
一瞬にして、会場の空気が絶対零度に凍りつく。
そこに立っていたのは、銀の髪に切れ長の蒼い瞳を持った威風堂々たる男。
ディアエル公爵閣下その人だった。
「公爵閣下……!」
貴族たちが一斉に道を空け、平伏する。
姉たちは待ってましたとばかりに、ディアエル様の足元へ駆け寄った。
「ああ、公爵閣下! ちょうど良かった……いえ、お耳に入れるのもおぞましい事態が発覚いたしましたの!」
「エリザベートが、実の従兄弟と不義密通を働いておりました。これがその証拠の品ですわ」
姉たちが嬉々としてガーターリボンとハンカチを差し出す。
ディアエル様は、感情の読めない底知れない瞳でそのリボンを一瞥した。
そして、ゆっくりと私の方へ歩み寄ってくる。
コツコツと硬い靴音が私の死へのカウントダウンのように響いた。
(殺される……!)
あの夜、宮殿の扉越しに聞いた密談が脳裏に蘇る。
ついにこの時が来てしまったのだ。
彼は私の前で立ち止まると、氷のように冷たい眼差しで見下ろした。
「エリザベート。事実か?」
低く、静かな声。それが逆に恐ろしい。
「ち、違います! 私は罠に……!」
「罠? ああ、そうか」
ディアエル様は芝居がかった手振りで、悲痛な表情を作った。
「私は君に持てるすべての愛を注いだ。君を私の隣に立たせるため、どれほど心を砕いたか……それなのに、君は他の男に身を委ねたというのか」
んん……? なんか変。
怒っているというより、まるで悲劇の舞台役者のような台詞回し。
そうだ……ディアエル様は知ってるはず。
あの饗宴の時、姉たちの虚栄心を利用して私を助け出したあの計算高い人が、こんな見え透いた罠に気づかないわけがない。
気づいていて、乗っかっているんだ。
私を合法的に殺すための大義名分として!
「スノーローズ伯爵」
ディアエル様が父を呼ぶ。
「は、はい! 公爵閣下、我が家の恥さらしが誠に申し訳ございません! しかしスノーローズ家は閣下の──」
「我が公爵家への重大な背信行為だ。本来ならば、一族郎党すべてを極刑に処すのが筋だが……」
父の顔が絶望に染まる。
姉たちも顔を引き攣らせた。
「しかし、私は寛大だ。私の胸を引き裂いたこの女一人の命で手打ちにしてやろう」
ディアエル様は冷酷な宣告を下した。
「近衛騎士ジュリアン。並びにエリザベート=スノーローズを捕らえよ。牢へ連行し、後日私の名において『処刑』する」
処刑──その二文字が広間に重く響いた。
本当に、原作通りになっちゃうんだ。
私は全身の力が抜け、その場にへたり込みそうになった。
公国から連れてきた衛兵たちが、ガチャガチャと鎧を鳴らして私たちを取り囲む。
「エリザベート……なぜだ。なぜ私を裏切った。私の夜明けの星よ」
私を見下ろすディアエル様の蒼い瞳の奥に、一瞬だけ、ゾッとするような昏い愉悦の光が見えた気がした。
ああ、間違いない。
この人は最初から私を殺すために持ち上げて、そして突き落とすつもりだったんだ。
衛兵の手が私の腕を掴もうと伸びてきた。
「うわあっ!?」
大広間の巨大な窓ガラスが、外から派手に叩き割られた。
貴族たちが悲鳴を上げてしゃがみ込む。
割れた窓枠に立っていたのは、ひらひらとした淡いピンクのドレスを着た見慣れた少女だった。
「お待たせしました、エリザ様!」
「ア、アリス!? なんで窓から!?」
「来ちゃいました!」
ここ、二階だけど?
アリスは不敵に笑うと、懐から取り出した何かの小瓶を大広間の床に力いっぱい叩きつけた。
凄まじい音と共に、真っ白な煙が爆発的に広がり、大広間を一瞬にして視界ゼロの空間へと変えたのだ。
「な、なんだこれは!?」
「煙幕だ! ゲホッ、前が見えん!」
大混乱に陥る会場。
煙の中で、誰かの小さな手が私の腕をガシッと掴んだ。
「今のうちです、エリザ様! ジュリアン様、こっちです!」
アリスだ。
彼女は驚くべき腕力で私を引っ張り、割れた窓の方へと駆け出す。
「待って、アリス! 飛び降りる気!?」
「大丈夫です! 下に馬車を停めて、クッション用の干し草を積んできましたから!」
「準備良すぎぃ!!」
私はツッコミを入れる間もなく、ジュリアンに背中を押される形で、アリスと共に二階の窓から真っ白な煙の中へと飛び出した。
「エリザベート……っ」
落下する一瞬、煙の向こうで私に手を伸ばすディアエル様の姿が見えた気がした。
でも、私はもう振り返らない。
「うわぁ!」
見事に干し草の上にダイブした私たちは、アリスの合図で待機していた馬車を急発進させた。
王都の石畳を馬車が猛スピードで駆け抜けていく。
「はぁ、はぁ……」
荒い息を吐きながら、私は狭い馬車の中で天井を仰いだ。
実家から追放され、公爵から処刑宣告を受け、ついに王都からの逃亡犯になってしまった。
「……これから、どうなっちゃうのよぉ」
私の悪役令嬢ライフは、とうとう修羅のサバイバルルートへと突入してしまったのだった。
────
──
煙が晴れつつあるスノーローズ家のパニック状態の大広間。
「逃げられましたな。小鳥に」
どこからともなく現れた男。
レイドラーは酷く落ち着いた声音で呟く。
ディアエルは、割れた窓枠から吹き込む風に銀糸の髪を揺らしながら、静かに目を伏せていた。
その口元には、誰にも見えないほど僅かな──けれど底知れない昏い愉悦の笑みが刻まれている。
「いや、逃げてはいないよ。私の鳥籠からは逃げられない」
ディアエルはエリザの落としていったハンカチを拾い上げ、愛おしそうに唇に当てた。
「彼女が羽ばたく地の果てまで、すべてが私の鳥籠の内に過ぎないのだから」




