#19 否定しなさいよ
数日後、私は重い足取りで王都にあるスノーローズ本邸の敷地を歩いていた。
今日は一族の親睦を深めるためという名目で、親族だけでなく王都の有力貴族たちまで大勢招かれた大規模な茶会──というより、立食パーティーが開かれている。
煌びやかなドレスに身を包んだ貴族たちが談笑する中、私はまず当主である父──スノーローズ伯爵の執務室へと呼び出されていた。
「よく戻ったな。エリザベート」
執務デスクの奥に座る父は、私を一瞥するなり感情の読めない声でそう告げた。
私を辺境のボロ屋敷へ追いやった張本人。
銀に白藍色が混ざった髪を持つ冷徹な当主。
「お久しぶりです。お父様」
「単刀直入に言う。お前はスノーローズ家の安定のために、ディアエル公爵と婚姻しろ」
再会の挨拶もそこそこに放たれたその言葉に、私はピクリと眉を動かした。
「公国での話は聞いている。どういう訳か、あの公爵閣下はお前をひどく気に入っているようだな。お前と公爵が結婚すれば、この家はさらなる繁栄を約束される」
「…………」
「公爵の気が変わらぬうちに、しっかりとあの方の心を繋ぎ止めろ。よいな」
冷たく言い放つ父の瞳には、久々に会った娘への愛情や労りなど微塵もなかった。
私は静かに頭を下げ「承知いたしました」とだけ答えて執務室を後にした。
(分かってたことだけどさ……)
廊下を歩きながら、私は自嘲気味に息を吐く。
やっぱり、父にとって私なんて政略結婚の駒でしかないんだ。
一族の恥部である黒髪の娘でも、公爵の目に留まった途端に家のために結婚しろだなんて……あまりにも現金すぎる。
でも、それが貴族というものなのだろう。
悪役令嬢の実家なんてこんなものなのかな。
「義姉上、お顔色が優れませんが……伯爵様から何か?」
扉の外で待機していたジュリアンが心配そうに声をかけてくる。
「ううん、なんでもないわ。パーティー会場に行きましょう」
これ以上、この息の詰まる屋敷にいたくなかった。
私たちは促されるまま、華やかな音楽が流れる大広間へと足を踏み入れた。
私が姿を現した途端、会場の空気がわずかにざわついた。
無理もない。噂の令嬢なのだから。
遠巻きに投げかけられる好奇の視線を無視して、壁際の目立たない場所を目指そうとした──その時だった。
「あら、ようやく顔を出したのね。我が家の恥さらしさん」
甲高く耳を劈くような声が大広間に響き渡った。
音楽がピタリと止む。
大勢の貴族たちが道を空けたその先から、扇で口元を隠した長姉カトリーヌと次姉ジョスリーヌが歩み出てきた。
「姉上……恥さらしとはご挨拶ですね」
二人は私の姿をねっとりとした目で見定めた後、隣に控えるジュリアンへと視線を移した。
「ジュリアン。エリザベートの髪飾りが少し曲がっているわ。あんなだらしない格好では家の恥。従兄弟であり護衛なのだから、直して差し上げなさい」
カトリーヌ姉様が、鷹揚な態度でジュリアンに命じた。
え、髪飾り?
言われてみれば、少しだけピンが緩んでいる気がする。
いや、でも自分で直せる気も──
「失礼いたします、義姉上」
真面目なジュリアンは一礼し、私の髪飾りに手を伸ばそうと一歩近づいてきた。
その瞬間だった。
「うおっ!?」
「きゃっ!」
何者かがジュリアンの体に激突する。
バランスを崩したジュリアンの大きな体が、私を押し倒すように覆い被さってくる。
私たちは床の絨毯の上に、もつれ合うようにして倒れ込んだ。
(ちょっ、重い! 早くどいて!)
大勢の貴族の前で、見目麗しい従兄弟の騎士に押し倒される形になった私。
これはちょい体裁が悪すぎる。
私は慌ててジュリアンの肩を押し返そうとした。
「ジュリアン……? ちょっと、早く起きてよ」
「あ……義姉上、その……」
なぜかジュリアンは、至近距離にある私を見つめたまま、顔を赤くして固まってしまったのだ。
(はよどかんかい! 誤解されるでしょ!)
私が小声で急かしたまさにそのタイミングで。
「まあ、なんということ! 皆様、あれをご覧ください!」
背後でジョスリーヌ姉様が、まるで舞台女優のような大袈裟な悲鳴を上げた。
音楽がピタリと止まり、会場中の貴族たちの視線が、床で密着する私とジュリアンに一斉に突き刺さる。
「公爵閣下の寵愛を受けながら、白昼堂々、従兄弟の騎士と抱き合うなんて! なんて破廉恥な!」
「ち、違います! これは事故で……!」
私はジュリアンを無理やり退かし、慌てて立ち上がって弁明した。
しかし不自然に密着していた余韻と、未だに顔を赤くして視線を泳がせているジュリアンの様子は、誰の目から見ても浮気現場を目撃されて動揺している男にしか見えなかった。
「なんだなんだ?」
「あの騎士、随分と顔を赤くしているぞ」
「いくら事故とはいえ、あそこまで初々しい反応をするものか……?」
ざわざわと、疑念の囁きが広がり始める。
ああもう……ジュリアンが変な態度取るから!
カトリーヌは勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
「事故ですって? なら……エリザベート。貴女のドレスのひだに引っかかっているその『ハンカチ』は何かしら?」
「えっ?」
言われて自分のドレスの腰元を見ると、確かに見覚えのない刺繍のハンカチが不自然に挟まっていた。
ちょ、なにこれ。
いつの間にこんなものが!
「そして……まあっ!」
さらにジョスリーヌが、先ほど私たちが倒れていた床を指差して口元を覆った。
ジュリアンが倒れた拍子に、彼の懐からこぼれ落ちたらしい『それ』を見て、周囲の貴族たちが一斉に息を呑む。
「あれは……女性のガーターリボン!?」
「白のシルクリボンだ……!」
女性の太ももに巻く、ドレスの下の秘められた下着の一部。
それが男性の懐から出てきた。
それが意味することはただ一つしかない。
「寝室を共にした者しか持てないはずの品を、なぜあの騎士が持っている!?」
「従兄弟同士で不義密通とは!」
「ディアエル公爵閣下を裏切るなんて、なんて汚らわしい女だ!」
会場が冷たい非難の渦に包まれる。
(はめられた……!)
私とジュリアンを密着させ、その混乱に乗じてお互いの持ち物をスリのように仕込んだのだ。
姉たちの狡猾で陰湿な罠。
公衆の面前での完璧な醜聞の捏造。
「違う! 私はそんなもの彼に渡してないし、ハンカチだって……ねえジュリアン! 違うってちゃんと否定して!」
私は隣に立つジュリアンにすがりついた。
ここで彼が「これは陰謀だ!」と騎士の誇りにかけて怒ってくれれば、まだ反撃の目はある。
「私と、義姉上が……夜を共に……」
否定しろアホ! このアホ騎士!
何デレデレしてんのよ! 中学生か!
「ほら見なさい! 騎士の態度が何よりの証拠よ!」
「ディアエル公爵閣下がこれを知れば、極刑は免れないぞ!」
容赦ない非難の言葉が浴びせられる。
絶望的な空気の中、私は血の気が引いていくのを感じていた。




