#13 ワインの香り
純白のテーブルクロスの上に置かれた五つのグラス。
私はゆっくりと息を吸い込む。
この世界に来て初めて飲む公国の最新鋭ワイン。
過去の記憶の味に頼ることはできない。
けれど、ワインは決して嘘をつかない。
育った大地の気候、土壌……そして造り手の情熱は、必ずグラスの中に風景として現れてくれるから。
「一つ目のグラス……」
私は一番右のグラスのステムを細い指で摘み、白い布に透かして色調を確認した。
「澄んだ輝きのあるペールイエロー。グラスを回すと、ミントや若草のような爽やかな香りが立ち昇ります……まるで、冬の朝に採れたばかりの熟れた白葡萄を、そのまま搾ったかのような清涼感」
「ほう……」
レイドラーがわずかに目を細めた。
私はグラスに口をつけ、舌の上でワインを転がすようにして味わいを確かめる。
「この喉を透き通るような鋭くも上品な辛口。柑橘の瑞々しさを閉じ込めるために、気温の低い夜間に収穫されたのでしょう……これは恐らく『星屑の白撫』。よく冷やして、海辺の静かなテラスで、新鮮な白身魚と共にいただきたい一杯ですね」
正解だと言わんばかりに、レイドラーの口元が微かに引き攣った。
私はグラスを置き、次々とテイスティングを進めていく。
「二つ目。淡いサーモンピンクの色調。極寒の地で引き上げられた、美しい酸味と赤い果実の香り……『氷雪のロゼ』。三つ目は、これまでに嗅いだことのない華やかで妖艶なアロマです。異種交配によって生まれた革新の味……『黒百合のノワール』ですね」
「……フフッ、お見事です」
迷いのない私の言葉と、あまりにも的確な情景描写に、広場を囲む観衆たちが水を打ったように静まり返り、聞き入っている。
「すごい……完璧に当てているぞ!」
「スノーローズ家と言えば、エリザベート嬢についてよくない噂がったが……あの所作と鋭い感覚は本物だよ」
私は深い赤色のワインが入ったグラスを傾け、香りを深く吸い込んだ。
「四つ目。縁にレンガ色を帯びた深いガーネット色。腐葉土、なめし革、そして乾いたシガーのような複雑なブーケ……十年の歳月が、火山の土壌特有の力強いミネラルを感じます。これは『赤獅子の雫』ですね」
「正解です」
レイドラーは笑みを崩さぬまま、髭を撫でつける。
「……静かな冬の夜、暖炉の火を見つめながら、熟成したジビエのローストと共にゆっくりと語り合いたくなるような、重厚で美しいワインです」
「な、なんと……」
ソムリエを務める審判の老人が、震える声で感嘆を漏らした。
残る最後の一つ。
私はそれを口に含み目を閉じた。
「……完璧な骨格。シルクのように滑らかなタンニンと、どこまでも続く優雅な余韻。公国の頂点に君臨するに相応しい最高傑作、これが『フヴィート・グラン・エラ』でしょう」
私がグラスを置くと同時に、レイドラーが「……素晴らしい」と小さく、しかし確かな敬意を込めて拍手をした。
それを合図に、広場中から割れんばかりの大歓声と拍手が巻き起こった。
「す、すごい! 全問正解だ!」
「あのご令嬢、飲んだワインの風景が目に見えるように……なんだか美味しそうだった」
「なんて素敵な言葉を紡ぐのでしょう。エリザベート様は情景を思い浮かべるのも達者なのね」
アリスが「エリザ様かっこいいー!」と飛び跳ね、ジュリアンも信じられないものを見るように目を丸くしている。
レイドラーは整えられた髭を撫で、小さく息を吐いた。
「見事ですエリザベート様。貴女がこれほどまでにワインを理解されるとは……私の完敗です」
「ありがとうございます。これほど素晴らしいワインを造り上げた公国の技術に、心から敬意を表します」
私が優雅に微笑んで一礼すると、レイドラーは「ですが」と、ニヤリと挑戦的な笑みを浮かべた。
「せっかくの機会です。是非、これも見極めていただきたい」
給仕が、新たな『六つ目のグラス』を私の前にコトンと置いた。
観客がざわめく。
私はグラスを手に取り、色と香りを確かめ、口に含んだ……なるほど。そういうこと。
「ちょっと! それはずるいです!」
観客席から、アリスが身を乗り出して叫んだ。
「そのグラス、さっきのワインをいくつか混ぜましたよね!? 味がめちゃくちゃになるじゃないですか!」
「あれはおそらく……ブレンドか!」
ジュリアンも渋い顔で頷く。
しかし、レイドラーは首を横に振った。
「狡くはありません。ワインにおいて、ブレンドは単一の品種に勝る調和を生み出すこともある。高度に確立された技術なのです」
「レイドラー様の仰る通りよ。アリス」
私がアリスを窘めると、レイドラーがわずかに目を見開いた。
「ブレンドは、珍しくないよ。むしろ、造り手のセンスが最も問われる芸術……勿論、私も嗜んでるわ」
私はグラスを置き、自信を持って告げた。
「『赤獅子の雫』の力強い骨格に、『黒百合のノワール』の華やかな香りをブレンドしていますね。比率は……おおよそ六対四といったところでしょうか。見事な調和です」
「……っ!」
レイドラーは今度こそ絶句し、数秒の沈黙の後、心底楽しそうに声を上げて笑った。
「ハハハハッ! いやはや、恐れ入りました! ブレンドの比率まで言い当てられるとは。貴女の舌と知識は本物だ」
レイドラーは深く、臣下が主君に向けるような最敬礼を私に捧げた。
「……敬意を表して。貴女のような真の理解者に、こんなものはどうです? 未だ市場に出回っていない幻のワイン。我が国の技術の粋を集めて創り上げた傑作です」
レイドラーの合図で、給仕がうやうやしく『二つのグラス』を運んできた。
それを見た瞬間、観衆からどよめきが起こった。
「なんだあれは!? 見たことないワインだ!」
「グラスの中で、マグマのように煮えたぎっているぞ!」
「もう一つは普通に見えるが……なんだ? この熟れた果実のような強烈に甘い香りは。本当にワインなのか?」
広場が騒然となる中、私はその二つのグラスを見て、心臓が大きく跳ねるのを感じた。
「どうでしょう? 特別に提供したいのですが」
誇らしげに告げるレイドラー。
私は目を細め、そのワインを静かに眺めた。




