#12 ソムリエとして
宰相レイドラーに案内され、私は中央広場に設けられた特設の壇上へと向かった。
アリスとジュリアンは一番前の観客側──特等席に陣取っている。
(うわ、すごい見物人……!)
私は内心で冷や汗を流した。
広場をぐるりと囲むように集まった観衆は、身なりのいい貴族から、簡素なチュニックを着た平民まで様々。
数百人は下らない人だかりができている。
「レイドラー様だ。今年の勝負、宰相閣下自ら参加されるのか」
「相手は……あの烏の濡れ羽色の御髪、噂のスノーローズ家のエリザベート嬢では?」
「おおっ、これは盛り上がるぞ!」
私とレイドラーが並んで歩く姿を見て、会場がドッと湧き上がった。
レイドラーは紳士的に手を差し伸べ、私を壇上へと促す。
「さあ、こちらへ。ディアエル陛下のお気に入りのご令嬢……お手並み拝見といきましょう」
壇上に上がる直前、ジュリアンが背後からそっと身を乗り出し、緊迫した声で囁いた。
「ある程度の自由が認められている独立国のフヴィート公国ですが、その主家はあくまで大陸の王国です。その王国の国王を差し置いて、公爵を『陛下』呼ばわりするとは……あの男、何か得体の知れない冷たい覇気を感じます」
ジュリアンの警告に、私は小さく頷いた。
壇上に上がると、そこには豪華な赤いベルベットの布が敷かれた長いカウンターが用意されていた。
その上には美しく磨かれた十個のワイングラスと、出題用と思われる五つの小さなワイン樽が並んでいる。
中央には、立派な髭を蓄えた初老の男──公国のソムリエとおぼしき審判が控えていた。
「では、ルールを説明しましょう」
レイドラーがよく通る声で観衆に向けて告げる。
「用意したのは、我が国が誇る最高級の葡萄酒、五品目──」
レイドラーはまるでオークショニアのように、大仰な手振りでワインを紹介する。
南部の火山灰土壌で育ち、オーク樽で十年熟成させた『赤獅子の雫』。
夜摘みの白葡萄のみを使用し、柑橘の香りを閉じ込めた『星屑の白撫』。
北の寒冷地で酸味を極限まで引き上げた『氷雪のロゼ』。
ディアエル公爵直々の品種改良によって生まれた幻の交配種『黒百合のノワール』。
最高傑作と名高い、公国の頂点に君臨する『フヴィート・グラン・エラ』。
「──以上。産地も、育て方も、経過年数も全く異なるこれら五つの銘柄を、ブラインドテイスティングで当てていただきます」
銘柄を聞いて、観客たちが「おおお……」と感嘆の声を漏らす。
アリスがポンッと両手を合わせて祈るように言った。
「難しそう……だけど、エリザ様ならきっと大丈夫ですよね!」
しかし、ジュリアンは険しい顔のまま呟いた。
「いや、簡単ではないはずだ。この公国で作られるワインは他国で飲めるものとは全く違う。ディアエル閣下が独自に発展させた最新鋭のワインだ。普段から本場のものを飲み慣れていないと、恐らく判別は難しい」
ジュリアンの危惧を肯定するように、レイドラーが私を見てニヤリと笑った。
「この国でワインは一大産業です。嗜む者も多く、ワインの違いが分かる者は一目置かれ、ひいては本人の地位にも直結します。見事なワインを造り出した者は陛下から直接爵位を賜るほどに……この国ではワインとはそれほどまでに大きいのです」
レイドラーは一歩私に近づき、声を潜めた。
「故に……ワインの違いも分からない貴族は、それだけで品位のない無能だと烙印を押されても文句は言えません。エリザベート様には、領民の方々も注目している。もし、大衆の面前で不正解という失態を犯せば……ディアエル陛下に相応しくない女だと思われてしまうかもしれませんね」
不敵に笑い、綺麗に整えられた髭を撫でるレイドラー。
「それが目的だったのか……!」
観客席のジュリアンが、怒りに任せて拳を強く握りしめたのが見えた。
要するに……彼は私に恥をかかせたいのだ。
日陰者の伯爵令嬢ごときが、偉大なる公爵様の隣に立つなど言語道断だと。
ここで私の無知を晒し上げ、公国の民衆にあんな小娘は公爵様に相応しくないという世論を作らせるための公開処刑。
「値踏みするような真似をして申し訳ございません。ですが、陛下の片腕として、あなたを吟味せざるを得ない私の心情……ご理解いただきたい」
「…………」
私は黙っていた。
ただじっと、カウンターの上に並べられたワイングラスと樽を見つめていた。
「どうしました? 怖気づきましたか?」
レイドラーの言葉は聞こえていない。
見えるのはワインだけ。
その微かに漂う葡萄の香りに、私の脳は仕事モードに切り替わろうとしていた。
私は小さく息を吐き出しす。
久々にモードチェンジってね。
「な、なんだ……? 義姉上の様子が変わったぞ?」
「エリザ様のあの表情……まさに『氷の麗人』ですわ!」
前世の職場では数え切れないほど、顧客の前にワイングラスを差し出してきた。
ワインの奥深さに、一時は人生を捧げようとしていた身──プロのソムリエとして妥協はできないし、ふざけることはできない。
「審判の方」
私が呼びかけると、初老の審判がビクッと肩を揺らした。
「は、はい! 何でしょうか、ご令嬢」
「勝負の前に、三つほど要求があります」
私はカウンターに敷かれた豪華な赤いベルベットの布を指差した。
「一つ。この赤い布を退かし、純白のテーブルクロスを用意するか、真っ白な紙を私の手元に用意してください。背景が赤では、ワインの正確な色調、透明度、粘度を正確に判定する妨げになります」
私の言葉に審判が息を呑んだ。
ワインを光や白い背景に透かして色調を見るのは、テイスティングにおける絶対の基本だからね。
「二つ。グラスを全て乾いた清潔なリネンでもう一度拭き上げてください。ここは野外です。いくら洗いたてのグラスとはいえ、屋台のバターやチーズの脂の匂いが微かに付着している可能性があります。香りを塞ぐ要素は徹底的に排除してください」
「っ……! か、かしこまりました!」
慌てて給仕たちが白い布を持ち込み、グラスを磨き直す。
「なんだ……?」
「あのご令嬢、ただ者じゃないぞ……」
私は最後に、レイドラーの顔を真っ直ぐに見据えて言った。
「そして三つ目──レイドラー様。本日は気温が少し高いかと。赤のフルボディを適温に保つため、樽の温度管理はどのようにされていますか? もし外気に当ててアルコールの揮発が早まっているなら、その分を逆算してテイスティングさせていただきますが」
少し芝居ががってるし、言ってることは仰々しいかもしれない。
けど、これでいい。
箱入り娘じゃないんだぞと伝わればそれでいい。
レイドラーは目をわずかに見開き、数秒の硬直の後、心底面白そうにニヤリと口角を吊り上げた。
「……なるほど。これは失礼いたしました。樽は魔法石で完璧な定温管理を施しております。どうぞ、そのままの状態で存分に味わっていただきたい」
「分かりました。ありがとうございます」
私は姿勢を正し、グラスの細い脚の根元をそっと摘んだ。
「それでは、始めましょうか」
「フフッ……これは存外、面白い勝負になるかもしれませんね」
喧騒に包まれた広場の中央で、私と宰相のプライドを懸けたブラインドテイスティング勝負が静かに幕を開けた。




