【悲報】ボッキマン、献血を妨害する その⑨
俺たちはサスーリカの案内に従いしばらく歩いていたがやはりどんどん室温が低くなってきている。もはや冷蔵庫の中に入っているような感覚だ。
俺みたいなのはともかく、ここに来る能力者にイグナイトのような火を操る能力がなければもっと大変だったに違いない。
「サスーリカさん、これってどうやって冷やしてるんだ?
いくら地下だからって限度があるだろうし、電磁波も出るだろうし
電気は使えないわけだろ?」
「私の力で冷やしています」
そう言うとサスーリカは指先から小さなつららを出現させて見せた。
「ああ……あんたも能力者だったんだな」
「能力者?
私たちの血族なら誰でも出来ることです」
「……そうか、イグナイトは火の玉を出せるんだよ」
「ボッキマンさんはどんなことが出来るんですか?」
「俺か?俺は面白い冗談が言えるぞ」
「それなら私の天敵ですね」
そんな話をしていると、通路の先に唐突に開けた空間が現れた。
そこは今まで通ってきた通路に比べて広くなっており、天井からは氷柱のように尖った結晶体が垂れ下がっている。
床のあちこちに水たまりができていて、歩くたびにぴちゃりと音を立てた。
これまでの部屋や通路よりも少し温度が高いようだ。
「ここに護衛が居ます。いえ、護衛というか住み着いていると言った方が
いいかもしれませんね」
「……戦いになりそうなのか?」
「はい、私は素通りできますけれどあなたたちお二人は恐らく難しいと思います」
「わかった、じゃあ俺とイグナイトに任せてくれ」
俺たちは彼女の前に並んで立ち、戦えに備え、構えようとした。
しかし、現れたそいつを見てイグナイトは絶句したように立ち尽くした。
俺は彼の視線を追うようにして、その生物を見る。
それは巨大な蚊のような生き物だったが、ただの虫ではないことは一目で分かった。
体の大きさは2メートル近くあり、上半身は縞模様の入った黒い甲殻に覆われており、口の形状は蚊のそれに酷似していた。
しかし、その腕は犬や狼のようなフサフサした毛の生えた筋肉質の人間のものであり、その手には鋭い爪が生えていた。そして下半身に行くにつれ蚊としての特徴は薄れていき、腕と同様にまるで狼を思わせる脚が現れていた。
俺たちは怪物の様子をしばらく見ていたが、奴は先ほどからよくわからない行動を取っていた。足元に転がっている鎖を手に取って匂いを確かめるかのように自分の口元に持っていったり、かと思うと急に頭を振って地面に叩きつけたりといった奇行を繰り返していた。
「狼と蚊が合体した的な?」
「……いや、違う。あいつは……あいつは……」
イグナイトは動揺し言葉を探しているようだ。
俺も正直なところ、そんなイグナイトの様子を目の当たりにして何を言うべきか迷っていた。
するとサスーリカが口を開いた。
「彼は外にいたボウフラの皆さんと同じく会長さんの奴隷ですが、
イグナイトさんのお知り合いなのですか?」
「……」
イグナイトは沈黙したままその問いには答えなかった。
俺は改めて目の前の巨大で醜悪な化け物を見つめ直したが、どこをどう見ても個人を識別できるような面影はない。
「おいどうしたんだイグナイト。
お前がやりづらいなら俺が一人でやるぞ」
「……いや、ボッキマン、ここは俺にやらせてくれ。
お前は手を出さないでほしい」
「お前な、ずっと主役みたいなこと言いすぎなんだよ。
俺の存在感が希薄なものになるだろうが」
「いいから、頼む……」
俺は両手を広げて肩をすくめながら後退してみせた。
イグナイトは何か覚悟を決めた様子で俺の横を通り過ぎ、一歩前に出て口を開いた。
「こいつはおそらく、ジュウガロン……数週間前に消息を絶った
糾業会のメンバーの一人だ」
「じゅーがろん?」
「ジュウガロンは狼の姿に変身することで嗅覚をはじめとした
鋭い五感を手に入れることができた。
さらに金属を易々と切り裂く爪を使った格闘戦も得意としていた。
奴の状態を見るに怪物となった今でも
それらは失われてはいないと見ていいだろう」
イグナイトの表情には怒りの感情が見て取れた。
こいつが今どんな気持ちなのか俺には分からない。
だが、もし俺が同じ立場だったらやはり同じように感じていたかもしれない。
「……わかった。お前ひとりでケリをつけたいんだな。
なら行ってこい。でもお前は病み上がりだからな。
サスーリカさんからドクターストップがかかったら容赦なく割って入るぞ」
「……ああ、それで構わない」
イグナイトがゆっくりと歩き出し銃を構えると、ジュウガロンは顔を上げて持っていた鎖をイグナイトに向け投げつけて来た。イグナイトはそれを素早く避けながら引き金を引くと、無数の火の玉から熱線が放たれる。
ジュウガロンは動くことなく上半身の甲殻で受け止めようとしたが、思ったよりも熱線の威力があったらしく、驚いたように飛び退いて距離を取った。
だがこの距離はイグナイトの間合いだ、火の玉と熱線のコンビネーションがジュウガロンの退路を塞ぎ、どんどん追い詰めていく。
ジュウガロンは怒りの雄叫びを上げ、両腕を振り回しながら火球と熱線を打ち消そうとしたが無駄なことだ。肌が泡立ち、肉が焼ける嫌な臭いがする。
やがて火球が直撃し、ジュウガロンは大きく仰け反った。
それでも倒れず踏みとどまったが既に全身が火傷を負い、そのダメージはかなりのものになっていた。
サスーリカはその様子をじっと見ている。
彼女はどんな気持ちなのだろうか。あの怪物は吸血鬼と化した会長が作り出した奴隷とはいえサスーリカにとっては眷属のような存在ではないのだろうか。
そう思って彼女の方を見ると彼女は誰に聞かせるともなく呟いた。
「運動能力が大きく衰えています、彼はもう飢餓の限界のようですね。
とても苦しんでいると思います」
その声色はどこか寂しげで、そして悲しみで震えているように思えた。
ジュウガロンはふらつきながらも再び鎖を手に取り、それを振り回す。
イグナイトが言っていた自慢の身体能力も、鋭い爪も、今は見る影もない。
「あいつは食べ物を与えられていなかったのか?」
「はい、血液は会長さんが独占していましたから。
でも……こっそり、彼のために血を与え続けていました。
だけど、彼の状態を見るとそれでも不十分だったようですね」
サスーリカはそこで一度言葉を区切り少し間を置いてから続けた。
「彼、最初は私のことを警戒していたんですけれど、
私が食事を与えなければ死んでしまうとわかってからは、私が会長さんの
所へと行く間、私を守るように傍らに居てくれるようになりました。
私の話を聞いてくれたり、一緒に遊んでくれることもありました」
イグナイトの攻撃を避けきれず、ジュウガロンは再び吹き飛ばされた。
その衝撃で鎖を取り落とし、そして力なく地面に横たわった。
「けれど、私の、やったことは……ただ、彼の……苦痛を……長、引かせ……」
サスーリカは目尻に涙を貯め、彼の行く末を目に焼き付けるかのように見つめていた。
ジュウガロンが起き上がろうと苦痛の呻き声をあげながら腕を大きく振りかぶると、上半身から焼け焦げた甲殻がぱらぱらと落ちていく。
その光景はまるで穢れた支配から彼が抜け出そうとしているかのようだった。
「それに……わ、私は……かっ、か、彼に……あっ、与える、たっ、ために
……あ、あ、あなたたちをここに……つ、連れてきて……し……」
サスーリカは流れる涙を隠そうとはしなかった。
「ごっ、ごめんなさい……ごめんなさい……」
「……」
俺は何も言わなかった。かける言葉など見つからなかったし、何よりそんな資格があるとも思えなかったからだ。
ジュウガロンは立ち上がり、そしてサスーリカの方に顔を向けてきた。
ジュウガロンと目が合ったサスーリカは悲鳴のような大声を上げた。
「……も、もう無理!!!!
イグナイトさん!ごめんなさい!」
そう言うとサスーリカは指を突き出した、
恐ろしい力がその指先に宿っているのがわかる。
「えっ?!ちょっと……サスーリカさん!」
俺は思わず叫んだ。
サスーリカが何をしようとしているかはわからないが何かがまずい。
しかし止める間もなく、サスーリカの指先から氷の弾丸が放たれた。
凄まじい速度で飛来したそれはイグナイトの銃に命中し、粉々に砕いた。




