【速報】ボッキマン、虫捕りに出掛ける その②
「これは……」
薄暗いの下水道の壁の一部に蜃気楼が映し出されているかのように別の景色が見える。白いパイプと壁が整然と配備されたそれは明らかに人工的な空間だった。まるで病院か研究所のようだ。
立体映像か何かを使ってカモフラージュしていたものが、解除されているのだろうか?
恐る恐るそこに手を伸ばすと、硬い壁に手が触れた。
どういうことだろうか?明らかにおかしい。目の前には空間があるはずなのに俺の手はしっかりと固いものに触れている。
試しに指先でつついてみるが、やはり壁だった。
俺には到底想像もつかないテクノロジーが使われているようだ。
だが、今はそんなことは関係ない。そのまま手を軽く押し込んでみると、波紋が広がり向こう側の空間へと吸い込まれていく。
俺は意を決して体を押し込むようにして中に入った。
下水道の壁をくぐり抜けたその先は近代的な施設につながっていた。先ほどまでの不潔な場所とは違い清潔感のある壁が並び、床には綺麗にタイルが敷かれている。
俺の足がタイルに触れると、靴底から伝わる感覚からそれが本物だと分かった。
幻ではなかったことに安堵した俺は少し迷ったものの、奥へと進んで行った。
「ここは研究所か?……それとも宇宙人の秘密基地か?」
「ボッキマンさん、これって不法侵入ですよ!」
「ゴキブリに家を追われたから仕方ないだろ。世の中そういうもんだよ」
俺は適当にブラウニーの相手をしながら辺りを見回す。
どうもここ最近、奇妙な現象に巻き込まれている気がしてならない。
その内、異世界に行ったり、大巨人と戦ったり、ゾンビとか吸血鬼に襲われる羽目になるんじゃないだろうか。
そんなことを考えていると後ろから声をかけられた。
「あれ?人がいる?」
振り向くとそこに一人の男が立っていた。
身長は俺と同じくらいだが、似ているのはせいぜいそこまでだ。
俺と比べると細身だが、脚は俺よりも長くてスタイルが良い。
髪は眉の辺りで切りそろえられており、目元は涼しげで、整った口元には爽やかな笑みが浮かんでいる。
白のクルーネックに青紫のスウェットを重ね着したその身なりは下水道から現れたとは思えないほどラフだ。かといって研究員にも見えない。
まるで男性アイドルグループかなんかに所属していてもおかしくない程のイケメンだ。
「ええっと、俺は……」
俺が口を開くと、男は嬉しそうな笑みを浮かべて言った。
「もしかして虫かなんかを追っかけて来た感じ?だったら俺と一緒だよ」
男はあっさりとした口調で言う。
「まあ……そういう感じだけど……朝起きたらゴキブリだらけでさ……あんたもか」
「ゴキブリ?
ああ、そっか、いや、俺はゴキブリはまだ一匹も見てないんだけどさ、
大変そうだね、上は」
そう言って男は天井の方へ視線を向ける。
俺は一瞬、その男が何のことを言っているのか分からなかったが、すぐに理解する。
恐らく、この男の言う『上』とは地上のことだろう。しかしどういうことだ。この男は何を言いたいんだ。
「ま、とりあえずこの先に行かない?
悪い科学者がいてさ、一緒に文句を言いに行こうよ」
「ええっ!?」
「ええって……
だって、このままじゃ君はずっとゴキブリと暮らすことになるんでしょ?」
「まあ……そうだけど……」
「だったら行くしかないじゃん」
「ええ……」
「大丈夫、安心してよ。俺も一緒に行ってあげるからさ」
俺は少し迷ったが妙になれなれしいこの男の後に続くことにした。
それにしてもこんな下水道の先にあるような場所に一体何があるというのだろうか。
どうせろくでもないところに違いないが、とりあえず男の言うその『悪い科学者』とやらに会いに行くことにした。
俺は謎の男と一緒に通路の奥へと進んだ。
「あんたその科学者とかいうのと知り合いなのか?」
「いや、違うよ。俺はただ、人からなんとかしてくれって頼まれて来ただけだから」
「ああ……そうなのか」
俺はよくわからないまま返事をする。
曲がり角に差し掛かった辺りで男は急に立ち止まり、手で俺を遮った。
「おっと、下がった方がいいよ」
「え?」
「ほら、そこの角」
男はそう言い終わると同時にふわりと飛びあがり、そのまま目の前の何もない場所を蹴り上げた。
すると何もない場所に黄色っぽい血飛沫のようなものが上がり、何かが壁に叩きつけられるようにして崩れ落ちた。
それは人間くらいの大きさをした、頭部を失ったカマキリのような生き物だった。
「うぉおっ、なんだ!!」
俺は驚いて飛び退く。
「もう死んでるから安心だよ」
「マジかよ……」
俺にはまったく見えなかったが、確かに男が言った通りそこには何かが潜んでいたようだ。
「カマキリは頭がなくても動けるらしいけど、こいつは違うみたいだね」
男は平然とした様子で倒れた死体を見下ろすと、さっさと歩いて行く。
俺は慌てて後を追った。
「あの、ところで名前とか聞いてもいいかな?」
「ああ、俺の名前は没木一歩
あんたは?」
「オレは七角多加羅だよ、よろしく。
オレはこういうの慣れてるから、オレの後ろに居た方がいいよ。
さっきは言わなかったけど、見えないのがいっぱいいるからね」
「へぇ……」
俺はそう答えると目を凝らして周囲を確認したが何も見えなかった。
だがどうも嘘ではないらしく、その後も何度か七角は化け物と戦っていたが、俺にはその姿を確認することはできなかった。
俺が気づかないうちに背後から襲われたこともあったようだが、俺の身体に触れる前にその化け物はバラバラになって地面に落ちていた。
この七角という男、もしかして俺のことを守ってくれているのだろうか。
だとしたらとんでもなくいい奴なのかもしれない。
今までは出会う奴出会う奴に変に誤解をされたり喧嘩を売られたりしてきたが、こいつからはそういうのを感じられない。
「没木さんはなんでここに来ようと思ったの?」
「それは部屋にゴキブリが湧いててそれを辿ったら下水道に行き着いて……」
「あ、ごめん、さっきも言ってたよね。でもそれってさ、すごくない?」
「ん、なんで?」
「だってオレがここに来たのは仕事だからさ。
部屋に虫が湧いたからって跡をたどって下水道に潜ろうなんて思えないよ。
すごい勇気だなって思ったんだ」
「そ、そうかな……?」
俺は照れくさくなり頭を掻く。
「でも、ここに来てどうするつもりだったの?
駆除の道具とか持ってきてるわけじゃないんだよね?」
「いや、あまりにも腹が立ったのでいっそのこと
この下水道に火でも放ってやろうかと……」
「ハハハ、それはやばいよ。ガスに引火しちゃうかもしれないよ、ハハハ」
「そうだな、やばいよな、ハハハ」
「「……」」
「……あ、でも、その前にちょっと聞きたいことがあるんだけど」
「なんだ?」
「没木さん、さっきの怪物のこととか特に聞かないんだね。
もしかしてこういうのに慣れてる感じ?」
そう言われ俺はハッとする。
確かに目に見えないの巨大な昆虫の化け物がいて、それに対し何も言わないなんてちょっと不自然だ。
「え、いっ、いや……怪物がいるだなんて現実離れしてて、
ちょっと頭の中で整理しきれてなくて正直よくわからなかったというか……
それに今はゴキブリの方が大事だし……」
「そうなんだ。まあいきなりこんな状況になってもよくわかんないか……。
でも危険なのは間違いないから、できればオレから離れない方がいいよ」
「ああ、わかった……ありがとう、そうさせてもらうよ」
俺はそう答え、それから少しの間沈黙が続いた。
結論から言うと、七角はいい奴だった。
見ず知らずの、それも汚水と害虫の体液にまみれた気味の悪い男に気遣いができるとてつもなくいい奴だった。
俺が何か質問をすれば丁寧に答えてくれるし、こちらの話にもしっかりと耳を傾けてくれた。
俺は自分のことを誤魔化してしまったことについてちょっと後悔していた。
それに今思えば、この時に自分の能力を打ち明けていればややこしいことにはならなかったのではないかと思う。
そんなことを思いながら歩いていると、前方に頑丈そうな大きな扉が見えてきた。




