【悲報】ボッキマン、浮気する その⑥
バッタは長い脚で器用にバランスを取りながら、地面の上を滑るように逃げる。
俺もそれを追い角を曲がると、バッタはそのままマンションの側面を駆け上ろうとしていた。俺は咄嵯に跳躍すると壁を駆け上がり、バッタの脚を掴み、そのまま地面に引きずり下ろすように叩きつける。
結構力を込めたが、奴の体はボヨン、とボールのように弾み衝撃を吸収する。まるでゴムボールを地面に叩きつけたような感触だった。
やはりどうやら単純な攻撃ではたいした効果がないらしい。それでもバッタは俺の手から逃れようとする。こいつにとって俺はかなり恐ろしい存在なのだろう。
俺はバッタを逃さないように顔面にストレートパンチを叩き込む。パキンという音と共に奴の鋏のような歯が砕ける。
「ギュ!ギュ!ギィー……」
バッタが短い声を上げて、苦しむ。
だが、バッタの体には俺の拳がめり込んでいくだけで、まったくダメージを与えられている気がしない。
このまま殴り続けても意味がないかもしれない。
「……ああ、普通に殴ったくらいじゃ平気なんだな」
「ギュィ」
返事をするように鳴いたかと思うと、バッタはいきなり両手を伸ばし、俺の目を潰そうとして来た。そんなことをしてもまったく意味がないが、目を狙うという事は俺を恐怖させようとしているのだろうか。
俺は眼球を潰される前に奴の手を掴み、一気に引っ張り上げてやった。
奴の手を掴んだまま、奴のみぞおちを蹴り上げ空中に浮かせると思いきり振り回す。
遠心力で加速した奴の体が凄まじいスピードで地面に激突させた。
それでも大してダメージがないのか奴はちっぽけな翅を広げてバサバサと威嚇し、抵抗する。
「……わかった。もうお前のことをヒトだとは思わないことにするよ」
俺はそう言うと力を込めて足を踏み出し奴の顎に蹴りを叩き込んだ。
人間相手には決して使われることのない、殺意を込めた必殺の蹴り。
爆音と共に何かか裂けるような音がし、バッタの頭部は破裂したかのように大きく膨らむ。それと同時に奴の肉体は一瞬で上空に打ち上げられていった。
「……あぁ」
俺はその様子を見て思わずため息をつく。
バッタは頭を広げたままの状態で空高く舞い上がっていき、やがて見えなくなった。
土埃が激しく舞う中、俺は夜空の闇をじっと見つめていた。
「没木さん!」
後ろから聞き慣れた声が聞こえ、振り返るとそこには神代がいた。
神代の顔色は悪く、表情からもかなり疲労しているのがわかる。しかし、彼女は何故か俺のことを睨みつけていた。
「……どうしたんだ?」
「……彼には法の裁きを受けさせるべきだったと思います。
それにあれでは生死も確認できませんし、何の解決にもなっていません」
「裁きって……あいつバッタだろ。コオロギでも弁護士につけるつもりなのか?」
「でも……」
神代は俺の言葉に不満があるようで納得いかない表情を崩そうとはしなかった。
だが、彼女の言葉は間違っていないかもしれない、もし俺がもっと上手く立ち回れていれば……と、後悔しても仕方ない。
「……まあ、俺もあんたが正しいと思うよ。じゃあな。
何も解決できなくて悪かったな」
「そうやってまた不貞腐れる……
だったら最初から私なんか助けなければいいじゃないですか」
「あのな、そこまで言うなら自分でどうにかしろよ。
あんたは引きずられるだけで何も出来なかったろ、何が私の力は
神様のギフトだよ。結局、あんたはただの一般人と変わらないんだよ」
俺は苛つきを抑えきれず、つい神代をなじってしまった。
「……」
神代は黙り込んでしまい、俺も少し言い過ぎたかなと思ったが、頭を掻きながら彼女が何か言い出すのを待っていた。
だが、神代は一向に口を開こうとはせず、沈黙が流れる。
「なあ、これでよくわかったろ。
こんな事してたらあんたいつか取り返しのつかな……」
「ええ!わかりましたよ!弱い人たちの気持ちが!
そしてなおさら彼らのことを助けたいと思うようになりました!
それは、いけないことなんですか!!」
また興奮が始まったのか、神代は怒鳴るような口調で叫びはじめた。
もう好きにしてくれよ。俺は手を差し出す。
「……わかったよ、いけなくないよ。
誰だってあんな状況になれば怖い思いをするよな。
でももう家に帰ってゆっくり休もう、な?」
手を払われようが手を取られようが、どうでもいい。心底疲れたのだ。
しかし彼女は立ち尽くしたまま俺の股間を凝視していた。
「……どういうことです、それ?
どうしてあなたは、こんな状況なのに、ぼっ、勃起しているんですか?」
「……俺はさ、勃起しないとパワーが出せないんだよ。こうしないと戦えないの」
「嘘!!最低です、最低、最低、最低!
何を考えてるのこの人……信じられない……」
「考えるとか考えないとかじゃなくて、そういう能力なんだから仕方ないだろ」
「嘘つき!変態!痴漢!強姦魔!!」
「ああ、そうだな。ごめんな」
「嫌、近寄らないで下さい、この変質者」
「ああ、わかった、俺が悪かった」
「無理、絶対、無理、私は、わ、私、私は……」
そこまで言うと神代は絶句した。俺はため息をついて、彼女に背を向けると歩き出した。しばらく歩いてから振り返ったが神代は立ちすくんだまま動かない。
「おい、いつまで突っ立ってんだよ。危ないぞ」
「……」
何度か促すと神代はよろめきながら歩きだした。
「大丈夫か?」
「触らないで下さい!」
「この距離でどうやって触るんだよ」
「うるさい!」
「ああ、ごめんよ」
俺は神代を刺激しないように小声で謝ると、彼女を置いてさっさと歩いて行く。
しかし、ふいに足が払われて後ろに倒れそうになった。
振り向いて見ると彼女が手を前に突き出し意識を集中させている。
どうやら俺に能力を使ったようだ。
「……何すんだよ」
「私は一般人でもないし、この距離で貴方に触れることが出来ます!」
「自慢の能力をずいぶんくだらないことに使うんだな。それで満足か?」
「……」
彼女は泣きそうな顔になっていた。
それから俺たちは無言のまま歩いた。神代はずっと下を向いていて表情は読み取れない。やがて神代が住んでいるマンションが見えてくると、彼女は急に立ち止まり口を開いた。
「あ、あの……」
「ん?」
「今日は本当にありがとうございました。それと……すいませんでした。
私のせいであんなことに巻き込んでしまったのに……その……
助けてもらったのに……ひどいことを言ってしまって……ごめんなさい」
「いや、いいよ……ショックだったと思うし、仕方ないと思うよ」
「……」
エントランスの前まで来ると俺は曖昧な言葉で別れを告げる。
「ん、まあ、じゃあ……」
「……はい」
時計の針は夜のとうに2時を過ぎていた。
俺たちはこの後7時に本気で会うつもりなんだろうか?そんなことを考えたが、どちらにせよ今は頭が回らず何も思い浮かばなかった。
肩を落としながらマンションに入っていく神代を見送ると俺は家路に急ぐ。
もう今日は色々ありすぎてクタクタだった。
体の方はともかく、精神的に。
俺は部屋に入るとそのままベッドに倒れる。
「はぁ……疲れた」
今日は本当にいろんなことがあった。二年分くらい会話したような気がする。
俺は目を閉じ、眠りにつこうとする。その時スマホが震動した。
メールのようだ。俺は寝転びながら画面を確認する。
『没木さん、今日はありがとうございました。
待ち合わせの件ですが、辛いようなら9時に来ていただいてもかまいません。
しばらくはあそこのコートにいるつもりなので』
「わかったよ。ありがとう、おやすみ」
俺は少し迷ってから返信を打ち送信ボタンを押した。
そしてスマホを枕元に置くと気を失うように眠りに落ちていった。
俺の名はボッキマン。
バッタの怪物よりもおかしな女との関わり方に悩む男。
……本当ならバッタの怪物のことで悩むべきなんだろうな。ボッキマン的には。




