【悲報】ボッキマン、童貞だった その②
「おいおい……そっちがそのつもりなら……」
次の瞬間、奴は音もなく俺に向かって跳躍してきた。俺は反射的に両腕でガードを固めるが、奴は俺の眼前に着地するとそのまま俺の顔を覗き込んで来た。
至近距離で見ると、ますますその異形さが際立つ。
黄色い瞳からは感情が全く読み取れない。その目はまるで獲物を狙う蛇のようだ。ナーブロウの吐く息が鼻にかかる。
「……何故だ?」
「あ?」
「俺は今、お前に殺されても仕方なかった。
なのになぜそうしない?」
俺は一瞬言葉に詰まる。
「……いやまあ、なんとなくそんなに悪い奴じゃないと思ったからかな」
俺の言葉を聞くと、ナーブロウは俺の顔から離れて今度は匂いを嗅ぐように鼻を痙攣させた。
「……お前は吸血鬼の支配下にはないことがわかった。
お前が奴のことを隠しているのは、
あくまでその甘さから来る行動ということだな」
「うるせえな、知らねっつってんだろ」
「俺はお前を痛めつけてまで奴の居場所を聞くつもりはない。
だがはっきり言っておこう、お前が知っているそいつに
庇うような価値など無い、すぐに始末した方がいい」
「……」
「……いや、いい。
吸血鬼を始末するのは俺の仕事だ、すまなかった」
ナーブロウはそれだけ言うと、先ほどまでの人間の姿に戻った。俺は警戒しつつ、奴の様子を伺う。
「では、注意はしましたからね。
僕はもう行きますよ。お部屋探し頑張ってください」
そう言うとナーブロウは踵を返し、立ち去ろうとする。
「……なあ質問していいか?」
俺は思わず呼び止める。
「なんですか?」
「お前が言う、その吸血鬼ってどう危険なんだ?
さっぱりわからないんだが……」
「ああ……」
ナーブロウは顎に手を当てると少し考え込み、やがて口を開いた。
「吸血鬼とは不死の怪物です。
冷酷で残忍、そして利己的で、自らの快楽のために他者を犠牲にすることを
何とも思わない。だがその力は強大で、ほとんどの人間は
奴らの前では赤子同然でしょう。そして不滅に近い肉体を持ち……」
ナーブロウはそこで話を区切り、大きく息を吐く。
「いや、こういう話を聞きたいんではなさそうだ。あなたが聞きたかった
ことは『そいつ』はどんな存在なのかということですね」
「……まあ」
「大昔の話です。あるところに『氷の女王』と呼ばれる絶大な力を
持った吸血鬼がいました。どれだけ絶大だったかというと、
大陸を氷で覆いつくすことで、地上の覇者だったドラゴンを絶滅に追い込み、
人類の文明をいくつも崩壊させたくらいです」
「……マジかよ」
「もちろんそれは比喩ですよ。
実際にはそこまでの力は持っていません。しかし、それでも彼女は
その力を誇示することで、人類や他の多くの吸血鬼たちを圧倒し、
支配することで巨大な帝国を築き上げていたことははっきりしています」
今度はドラゴン?もう頭がおかしくなりそうだ。
「どういう理由かその女王は死に、帝国も崩壊しました。
その後、彼女の一族もいくつかのグループに分かれ、それぞれ別の地へと
旅立っていきました。もっともそういった連中のほとんどは
大した悪さもせず、ひっそりと暮らしています。
ですが、中には『氷の女王』を母と崇め、彼女の娘だと自称し活動している
者も少なくありません。僕たちが追っているのはその一派です」
「へえ……」
こいつはどこまで本気で話しているのだろう。
そんな突拍子もない話を誰が信じるというのか。いや、こっちから質問したわけだし信じないわけじゃないけど、何というかいきなりすぎてついていけないのだ。
ただ話を聞く限り、わざわざ追い回すほど危険な相手ではないように思える。
「……なあ、それってそんなに危ないのか?」
「氷の女王の娘たちは母を復活させるという使命の下、
ある時は人々を支配するために疫病を蔓延させ、またある時には
祝宴のために民衆を扇動して、虐殺を引き起こし大地を血で染めたり、
またある時には、復活のための依り代を作り出そうと、人体から
肉と臓器を引きずり出したりと、目的のためなら手段を選ばず、
あらゆる方法で命を弄び続けています。全ては母のため。それが事実です」
「……」
ナーブロウの話を聞きながら、俺は立ち尽くすしかなかった。
なんと言っていいかわからなかったからだ。
こいつの言っている事は本当かもしれない。
しかし、あのサスーリカが?信じられない。いや、信じたくはなかった。
「……もし、そいつを見つけたらお前はどうするつもりだ?」
俺の問いに対し、ナーブロウは静かに答える。
「殺します。たとえその罪を認めようとも」
「なら、そいつを守ろうとする人間がいたらどうする?」
「……その場合は」
ナーブロウの俺の言葉を聞いて、少しの間黙り込む。
そして何かを考え込んだ後、口を開く。
「殺すしかないでしょうね」
俺はため息をつく。やはりそうなるか……。
「もし、吸血鬼に取引を持ちかけられたら、その時はよく考えてください。
……決して油断しないように」
「……ああ……わかった。ありが、とう」
色々ありすぎて頭の中の整理が追い付かない、俺は地面にへたり込んだ。
「強い力を持っているわりに不自然なほど魂が弱ってますね。
マンションが無くなったことがそんなにショックだったんですか?」
「……当たり前だろ」
それ以上、答えられなかった。
「まあいいか。それから、最初の話に戻りますけど僕はこのマンションの
爆破とは無関係ですよ。爆弾を使った人間の犯行でしょう。
ただし、実行犯は何らかの力によって操作されていた可能性はありますが」
そう言ってナーブロウは指である一点を示す。そこには頭の半分が無くなっている作業服姿の男の死体が転がっていた。
(こいつは……さっきの……)
「あれってマンションを爆破するとか言っていた人の死体ですよね?
恐らく爆風に巻き込まれて死んだんだと思いますが」
おいおい、自分で爆弾を仕掛けておいて……いくら何でも間抜け過ぎないか。
……いや違う。こいつはおそらく、ナーブロウの言うように催眠術か何かで操作、あるいは洗脳されていたのだろう。だから爆破の直前まで自分が死ぬことも理解できなかったのかもしれない。
男の顔には驚きと恐怖が入り混じった表情が貼り付いていた。まるで夢の中で必死に抵抗していたようにも見える。
「誰の仕業かはわかりませんけど、
こんな事をするのは邪悪な奴と決まっています」
「ああ……」
「あ、まだ瓦礫の下に何人かまだ息の残ってる人がいますよ。
まあそれを聞いてどうするかはあなたの問題ですが」
「おい、知ってるんなら助けてやれよ」
「人間の問題は人間で解決すべきです。
吸血鬼の問題は僕達で解決しますから、まあ、警告くらいはしますけどね。
でも出血大サービスで瓦礫の下にいる怪我人の傷口はもう塞いであります」
「……」
「じゃあ失礼」
ナーブロウはそう言い残すと暗闇の中へ消えていった。
俺は彼が去った方角を見る。そこには闇が広がっているだけだったが、しばらく眺めているとやがていつもの見慣れた景色へと変わり、街は喧騒を取り戻そうと動き始めた。
何らかの力で周囲一帯が黒い霧のようなもので覆われていたようだ。おそらくナーブロウの仕業だったのだろう。それにどういう意味があったのか、俺にはわからないが。
俺は先程までの出来事を思い出し、ため息をつく。
……あいつの話はどこまで本当のことなのか?仮にナーブロウの言うことがすべて真実だとしたら、俺はサスーリカとどう接すればいいのか?
「考えてても仕方ないか……それより……」
俺は立ち上がる。
マンションが消滅してしまった俺は、吸血鬼だとか氷の女王の娘がどうのこうよりも、これからどこで寝泊まりするべきか、という問題に直面している。
とりあえず今は自分の部屋に帰りたいが、帰る部屋が無い。
……いや違うだろ、まだ瓦礫の下に人がいるんだろう。助けてやらないと……。話はその後だ。俺は心の中でそう自分に言い聞かせると、まずは瓦礫の下から生存者を探すことにした。




