094.水上邸
「着きましたよ。この家です」
「おぉ………」
あれから俺と雫はバスに乗ってから最寄りのバス停まで移動し、数分歩いた先にある雫の家の前まで来ていた。
「……どうしました?」
「いや、一軒家っていいなぁって思って」
他の3人の家を思い浮かべても全員が一軒家だった。対して俺は今までずっと集合住宅、自分とは違うものに憧れを持ってもおかしくない。
「家の修理とかご近所さん付き合いとか、いろいろ面倒な部分もありますけどね。 そうですか……慎さんは一軒家派でしたか……」
扉の前で何やら考え込む雫。 ……ごめん、夕方とはいえ太陽の下はそろそろ暑いんだけど。
「雫?」
「あぁいえ、すみません。 どうぞ慎さん、ようこそ私の家へ!」
開け放たれた扉の向こうは一般的とでも言うのだろうか。きらびやかでも、一方物が無さすぎるわけでもない想像通りの様相だった。
ぱっと見綺麗に整理整頓されていて落ち着きを感じる。
「お邪魔しまーす」
「あら~!いらっしゃい、慎也くん……でいいのよね?」
「はい。前坂慎也と言います。 えっと……お久しぶりです……?」
扉の開く音に反応したのか廊下の奥から1人の若い女性が姿を表した。
姉……雫は一人っ子と聞いていたから母親だろうか。髪は茶色に染髪してショートボブにしており背は雫よりも若干高くTシャツワンピースとラフな格好だ。さらに特筆すべきなのはそのワンピースを押し上げる胸元の大きなものでであり雫とは遺伝的な繋がりがあるのだなと言うことを強く意識させる。
「あら、覚えててくれたの?嬉しいわ」
「あの時はロクにお話も出来ずすみません」
「忙しかったから仕方ないわ。どう?元気にしてた?」
「はい。おかげさまで……」
人違いの可能性もあったがどうやら同一人物のようで安心する。
彼女とは以前顔を合わせたことがある。俺が出場する水泳の大会で雫と一緒に来てた人だ。あの時は次の種目の招集がかかっていて会釈程度で終わってしまったが。
「玄関でずっと立ち話も暑いわね。リビングにいらっしゃい、エアコン効いてて冷たいわよ」
「………なーに人のお母さんに認めてるんですか?」
リビングへと戻っていく後ろ姿を見ていたら後ろにいた雫がこちらを覗き込んできた。その目はなにやらもの言いたげだ。
「いや、背丈とかいろいろと雫に似てるなって思って」
いろいろと、ね。
「もちろん、私のお母さんですからね。それはそれで背はこれ以上伸びないって言われてるようで少し残念な部分もあるんですよ。胸は十分育ちましたのに……」
彼女はそう言いながら自身の胸へと手を伸ばす。それにつられて俺も目線を移動しそうになるも、何か言われることを直感して寸前で踏みとどまることができた。
「は、早いとこリビング行こうか。ここに居続けたら心配かけちゃう」
「あっ、待ってくださいよ~!私また靴脱いでないんですから~!」
リビングへの扉をくぐると既に雫の母は椅子に座っておりテーブルの上には人数分のコップとお茶の入った冷水筒が置かれていた。
「さ、二人とも座って座って!」
「は~い」
「失礼します…」
俺たちは揃ってコップの置かれている箇所…雫の母の向かい側に腰を下ろす。
「それじゃあ改めまして……私は雫の母の水上 遥です。今日は来てくれてありがとう」
「こちらこそお呼び頂きありがとうございます。雫さんにはいつも助けられておりますので…」
まさか母親である遥さんからの指示だとは思わず驚いたがそこらへんは表情に出さず話を合わせる。
「思ってた以上に礼儀正しい子じゃない。……それにしても、突然だったでしょうに今日はよく泊まるのを了承したわね?」
「へ?泊まる?」
「え? ………雫?」
「慎さん……これは、えっとぉ……」
邂逅一番遥さんとの会話に齟齬が発生する。俺と遥さんは互いに顔を見合わせたあと、その元凶だと思われる隣のバツの悪そうな少女に顔を向ける。
「……そうだ!慎さんはコーヒーが好きなので淹れてきますね!!」
雫が突然立ちあがり遥さんの後ろにあるキッチンへ足早に移動しようとしたその時だった。遥さんは目にも止まらぬ早さでその手を動かし雫の腕を掴む。
「お母さん………」
「雫。お母さんと言ったよね?ちゃんと説明しなさいって……」
「はい……」
「雫へのお叱りは後でします。 ………慎也くん、ここまで説明も無く連れてきてごめんなさい。突然だけれど泊まって行くことは大丈夫?もちろん無理だったら私の車で家まで送るわよ」
そうきまりの悪い顔をしながらナチュラルに雫へヘッドロックをかます遥さん。 雫がその腕をタップしている。
「いえ、何も聞かずに来た俺にも否はありますので! 泊まっていくことも遥さんがいいのであればもちろん構いません」
「いいの!? ありがとう……本当にいい子ね、慎也くんは」
駅で流れに乗ってやるって決めちゃったし仕方ない。明日休みで助かった…
「いえ……それで、そろそろ雫さんを離してやってくれませんか?」
「あら、そうだったわね……良かったわね雫、泊まっていってくれるそうよ」
遥さんから開放された雫は床に手を付き呼吸を整える。なかなかアグレッシブな母親だ……
「はぁ…はぁ…。 慎さんならそう言ってくれると信じてました!!」
「そりゃあ、想像してなかった話ではなかったからね」
今までの雫の行動パターンから考えて。
「さすがは私が敬愛する先輩です!それでは―――」
「ただいまー」
雫が何か言いかけたところで玄関の扉が開き男性の声が聞こえてくる。
「あ、お父さんですね」
「お父さん!?」
突然の男親の登場に俺は驚愕を隠せず声を大にしてしまった。こんなに早い登場だとは。
焦りながらも立ち上がって父親が入ってくるのを待つ。
「今日慎さんが泊まる前提でお父さんも早引きして帰って来てくれたんですよ あ、おかえりなさ~い」
「おかえりなさい」
「ただいま。遥、雫 そしてキミが……」
「は…はじめまして! 雫さんと仲良くさせてもらってる前坂慎也と申します!!」
部屋に入ってきたのは立ち上がっていた俺さえも見上げてしまうほどの男性だった。2メートルはいかずとも190センチはあるだろう。
「やっぱりキミが噂の慎也君か。私は水上 猛。いつも雫が世話になってるね」
「いえ、こちらこそ……」
その長身から相当な威圧感が来るかと思ったがそんなこともなく、優しい口調で語りかけられ心の底で安堵する。
「お父さん、あんまり慎さんをその無駄に大きい図体で威圧しないでよね!」
「ははは……中学入ってから娘が人が変わったように明るくなってね……物怖じしなくなったのは良いことなんだが」
「あはは………」
そんなこと言われてもなんて返したらいいか思いつかない。せめてもの笑いでごまかそう。
それにしても敬語の抜けた雫はなかなか新鮮だ。
「お父さんも座って座って。ちょうどいい時間だしお夕飯にしましょ。慎也くんはアレルギー無いって聞いたけど大丈夫?」
「はい。アレルギーとかは特に問題ないです」
遥さんは「よかった」と漏らしてキッチンの奥へと向かっていく。リビングには俺、雫、猛さんの3人が残される。
「えーっと……慎也君」
「は…はい!」
「慎也君、中学では娘と居てくれてありがとう。娘はずっと大人しく人見知りだったから心配しててね……それでキミが支えてくれたって聞いていつかお礼を言わなきゃと思っていたんだ」
突然の猛さんからのお礼に俺はすこし呆気にとられてしまう。
「お、俺は何もしてないですよ。それどころか雫さんには部活で毎日お世話になっていて……いつも居残り練習に付き合わせてしまってすみません」
中学時代の居残り練習は雫がいなかったら続かず早々に部活を辞めてしまっていただろう。高校に入ると同時に辞めてしまったから元の木阿弥だが。
「いや、それが良い方に作用してくれてね。毎日楽しそうにキミの事を話す娘を見て嬉しかったんだ。……ところで、部活辞めて一人暮らしなんだって?ちゃんと食べているかい?」
俺の何を話していたのだろうか。
「はい。料理の出来る友人に教えてもらいながらなんとか形にはなってると思います」
「友人……ねぇ。 雫、その友人ってアレかい?」
「うん、アレだよお父さん」
「アレ……とは……?」
アレとはなんだろう。俺が聞いたその時、キッチンから遥さんが大皿を持ったまま近づいてくる。
「みんなー、おまたせ。 今日は慎也くんも来たしお寿司よ!」
「おっと慎也君、その話はまたあとで」
猛さんに話を打ち切られてしまった。仕方ない、俺もその大皿を受け取って準備を手伝うことにした。




