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086.祭りの日~その9~

「ただいま。お風呂ありがとね」

「あっ!お兄ちゃんおかえり~!」


 優衣佳さんに続いて俺もお風呂で今日の疲れを癒やしてからリビングに戻ると紗也が俺に飛び込んできた。


「ただいま、紗也……あれ?」


 紗也にテーブルまで引っ張られているのをされるがままでいるとふと覚えのない香りが漂ってきた。


「お兄ちゃん、気づいた? どうかなこの香り?」


 その差し出された手首に鼻を近づけるとその香り…柑橘系の香りが強くなる。俺も借りたシャンプーのものとは違うようだしお風呂上がりに香水でも付けたのか。


「いい感じだね。何かかけたの?」

「うん!優愛お姉ちゃんにクリーム渡されたの!」

「これだよ~。慎也くんも塗ってみたらどうかな?」


 そうして渡されたのは容器に入ったボディークリーム。蓋を開けると先程の香りが強くなった。

 確かにいい香りだけど、俺がつけるのもいかがなものか。


「いや……俺は遠慮しておくよ……」

「え~!こんなにいい香りするのに~!」

「男の俺がつけてもあまり意味ないだろうしね」


 容器を優愛さんに返すと紗也が抗議してくる。見た感じ高そうなものだし俺に使うより3人が使ったほうが有意義だろう。


「あら、そんなことないわよ。香りだけじゃなく保湿効果もあるしね。」


 キッチンで洗い物をしている優衣佳さんが補足してくれた。そんな彼女も使っているようで、テーブルの隅に置いてあった違う色の容器を俺に見せてくる。


「……それでも、きっと高いんでしょそれ? 俺に使うより2人が使ったほうが―――」

「えぇい!!!」

「何!?」


 俺が更に遠慮の言葉を連ねているところでいきなり目の前が真っ白になる。


 ―――比喩表現ではなく文字通り。

 腕に引っかかる感触と声から察するに紗也が突然俺のシャツを脱がしにかかったのだろう。そのまま手を離す様子も見られなかったので腕をあげてスムーズに脱げるようにフォローする。


「紗也、どうしたの? シャツの前後ろ逆だった?」

「ううん、そうじゃなくって………二人とも、今のうち!!」

「「………!!」」


 紗也が俺のシャツを遠くに放り投げてテーブルを挟んだ向かい側にいる2人に働きかける。

 その言葉を受けた2人は無言で頷きあってゆっくり俺に近づいて来た…………まさか………!?


「まって!二人とも、わかったから! 俺もクリーム付けるから………って紗也!?」


 俺が逃げるため席を立とうとするものの、後ろに回っていた紗也の手によって阻まれる。その顔は純粋たる笑顔だ。

 妹よ………いつのまに兄の友人と共謀するという手法を身につけた………?


「そ……そうだ!優愛さん、実は俺にはアレルギーが……」

「ないよね?お兄ちゃん?」

「………はい」


 優愛さんを止めるため必死に思いついた言い訳が長年連れ添った紗也によって潰されてしまう。


「ゆ…優衣佳さん、俺そのクリームよりさっき見せてくれたやつのほうが………ひゃっ!!」


 せめてもの時間稼ぎの言葉も虚しい結果に終わり、俺らしからぬ声がその口から漏れる。

 これはクリームか優愛さんの手の冷たさなのだろうか。その声を皮切りに2人から4本の腕が伸び、俺の身体がボディークリームによって香り付けされていく。


「いや~!俺の身体がプルプルに~!」

「ふははは!いいではないか~!いいではないか~!」

「二人ともノリノリね……あっ、案外腕太いのね……」


 やられたから仕方ないと、深夜テンションとなった俺にそれに乗ってくれる優愛さん、そしてその様子を見ながら淡々と塗ってくれる優衣佳さんと。俺は2人に身体を任せて大人しくボディークリームの香りを楽しんだ。






「お姉ちゃん……これ……」

「えぇ……海でも見たけど近くで見るとなかなかね………」


 一通り上半身が終わった頃だろうか。クリームの力によってぷるんぷるんの肌質へと生まれ変わった俺をマジマジと眺めながら2人はなにやらつぶやいている。


「………二人とも?」

「……慎也君、ごめんなさい。 もう一度触れるわね」


 そんな断りの言葉ももう今さらなので俺はされるままでいる。

 すると2人の手はそっと俺の腹部に手を触れた。


「……すごいわね……こんなに硬いなんて……」

「うん。 それに腹筋が割れてるなんて初めて見た……」


 どうやら2人が見ていたのはうっすらと割れた俺の腹筋だったようだ。

 そのまま撫でたりつついたりして観察されるのをこそばゆいと感じ、なんとなく気恥ずかしくなった俺は思わず紗也の方を向くと目が合った。

 紗也は少し目がトロンとしながら、そんな俺の頭をモモにやるようにゆっくりと撫で始める。……なにこの状況。



 ワン!


 しばらくされるがままでいると唐突にモモが近づいて鳴き声を発した。

 その声に2人は目を覚ましたのか驚いて俺から手を離す。

 どうやら妙な空気になっていたこの状況を打開してくれたのはモモのようだ。……初めてモモの鳴き声を聞いた気がする。


「ご……ごめんなさい。男の人のお腹見たのなんて初めてで……つい……」

「私も……」

「それはいいんだけどさ……ともかく、クリームありがとね」


 我に返った2人はテーブルにあったそれぞれのコップを一気に飲み干す。こういうとこ姉妹っぽいよなぁ。


「そろそろ俺たちが寝る場所教えてくれないかな? もう紗也が限界で……」


 優衣佳さんと優愛さんが暴走していた時から目がトロンとして眠そうだったがもう今では8割方目が潰れて気合で起きている状態だった。

 そんな紗也を見た2人もすぐ納得してくれたようだ。


「もうそんな時間……そうね、何もない部屋だけど案内するわ。 優愛、コップの片付けは任せていいかしら?」

「は~い!終わったらそっち行くね!」

「それじゃあ紗也ちゃんもいいかしら?こっちよ」

「ん~……」


  紗也もなんとか自分の足で歩いてくれた。俺たちは彼女の誘導で初めてその階段を登り2階へと足を踏み入れた。




「この部屋よ。………重ねていうけど、何もない部屋だからね?」


 廊下を上がった先、5つほどある扉のうち一つの前で優衣佳さんが念押しする。泊めてもらう身でそんなことを指摘するつもりはないけれど……


「大丈夫だよ。寝られたらそれでいいから」

「そう……それじゃ、開けるわね………」



 扉を開けた先は本当に何もなかった。

 ……いや、本当に何もないわけではくベッドが置かれておりちゃんと寝ることが出来る部屋だった。しかしそれだけ、ベッド以外には何もなくただ白い空間がそこには広がっている。


 この家には生活に必要なもの以外何もないんだっけ……

 決して忘れていたわけではないが、思考とこうして目にするとでは一味違う。リビングの何もなさは何度かお邪魔することで慣れたが、こういう部屋を目にすることで彼女たちの家庭の状況を突きつけられている気がして現実に引き戻される感覚がした。


「……やっぱり、これじゃ寝られないかしら?」

「あぁ……いや、ベッドがあるだけで十分だよ!布団だけがポツンと置かれてることも覚悟してたし!」


 優衣佳さんが心配して語りかけてくれるがなんとか俺の思いを悟られないように取り繕う。


「それも五十歩百歩だけどね。 それに2人でシングルベッドだから寝づらいと思うけど……なんなら私の部屋で寝る?」

「いや、二人ともこの部屋でいいです。 でも、いきなりだったから布団すらないことも考慮してて……よくベッドあったね」


 そう、最悪のパターンはただの空き部屋だったパターンだ。この部屋はかろうじてそうではなく安堵する。


「いや、それは―――」

「それはねぇ、お姉ちゃんが見越して買ってたんだよ~」

「優愛!」


 リビングで洗い物の終わった優愛さんが話に割り込んできた。ってことはコレ新品!?


「優愛さん、買ってきたって?」

「いつか慎也君に泊まってもらいたいけど絶対同じ部屋は拒否するだろうからって夏初めに準備してたんだよ~。 私もベッドの組み立て手伝ったんだから!」


 エヘンと胸を張る優愛さん。それは…先を見越してというかなんというか……


「えっと…」

「いいじゃない……こうやって役に立つ日が来たんだから……」


 部屋の隅でいじける優衣佳さん。引かれたと思ったのだろう。俺は限界を超えている紗也をベッドに寝かせて彼女と向かい合う。


「優衣佳さん、驚いたけど俺の為にありがとう、引いてないよ。 実際役に立ってるし、今後もあるかもわからないからまたその時は頼らせて貰ってもいいかな?」

「それじゃあ……この家に慎也君も住まない……?」

「それはちょっと……」


 少し話が飛躍しすぎてるかな? けれど立ち直ってくれたようで立ち上がってまっすぐ俺を見る。


「……ありがと、慎也君。 気を取り直して説明に戻るけど、そっちがトイレで奥の部屋が私と優愛の部屋よ」


 ………1階のも合わせるとこの家にはトイレが2つもあるのか。朝とか取り合いにならなさそうで非常に羨ましい。


「わかった。何かあったら部屋をノックするね」

「慎也くんならいきなり入ってもいいんだよ?」

「……そういう時は紗也に頼むよ。 それじゃ、お休みなさい」

「えぇ、お休みなさい」

「おやすみ~!」


 2人が奥に進むのを見て扉を閉じる。鍵は………無いか。紗也もいるし2人の良心に頼るしかない。

 俺は一足先に夢の世界に入った紗也を起こさないようにゆっくりベッドに入る。シングルベッドに2人で寝るのは手狭だが紗也は小柄だし俺が端によれば何の問題もない。


「んん……お兄……ちゃ……」

「紗也……?」


 起こしたと思ったが寝言のようだ。紗也は寝返りをうってこちらを向き、髪の毛が邪魔なようで顔をしかめる。


「おやすみ。今日はありがとね」


 何度も心配かけたり動きにくい浴衣で連れ回して苦労かけた。バッグからチラリと見える下駄によって写真を撮り忘れたがことに気がつくが仕方ない。

 俺は紗也の顔に掛かった髪を分け、その寝顔を見守りながら目を閉じた。


私はボディークリームよりボディヨーグルトを愛用しています。


次回更新は2日後の18日です。

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