033.井野邸
「突然、ごめんね」
翔子さんと一緒に電車揺られている中、唐突に彼女は切り出してきた。
「ううん。今日はなにも無かったしちょうどよかったよ」
「でも、あの2人と・・・いつも遊んでる、みたいだし」
「たまに時間が合えば買い物に行く程度だよ・・・そうだ。2人は呼ばなくても良かったの?」
「うん・・・今回呼ばれてるのは・・・慎也くんだけ、だから」
今月も終わりになるが3人でカフェに行って以降、たまに2人に誘われて新しい店巡りや夕食の買い物等に付き合っている。遊んでいるとはおそらくそれのことを言っているのだろう。
「そういえば、翔子さんは学校終わったらすぐ帰ること多いよね。習い事みたいだけど何をしているの?」
「ん。ピアノ、と生け花・・・・・・・・・・意外?」
俺がそんなにわかりやすい表情をしていたのかその両の瞳が俺の目を正確に射抜く。
「えっ、うん。ピアノはなんとなく予想ついたけど生け花を習ってるのはあんまり聞かなくって」
「最初は親の趣味。それでなんとなく続けてたけど、そろそろ辞める」
「え!なんで!?」
「ん・・・・・・習い事ばかりでみんなと遊べないのは・・・寂しい」
「あぁ・・・」
「だって・・・・・・初めて遊ぶようになった、友達だから」
俺は虚を突かれた思いがした。今まで優衣佳さんと優愛さんのために翔子さんを紹介したから2人が助かったとばかり思っていたが、思い返せば翔子さんも初めて会ってから1年半ほど、深く仲良くするような友達は見てこなかった。翔子さんにとってもあの2人はかけがえのない存在になったということか・・・
「・・・・・・そうだね。これから夏も来る。みんなで一緒に遊ぼうね」
「うん・・・でも」
「でも?」
「慎也くんと2人きりでも・・・・・かまわない」
「へ?それって・・・?」
「ここ。私の家がある駅」
「あっ!待って!」
翔子さんが扉が開いたと同時に逃げるように立ち上がって出ていく。俺も急いでその後を追いかけた。
「ね、ねぇ翔子さん」
「ん?」
「ここって・・・俗に言う高級住宅地じゃ・・・?」
「そう、みたい。ずっと住んでるからわからないけど」
電車を降りた時には焦っていて気が付かなかったが改札を抜けるとそこには塀のある一軒家や至るところに防犯カメラが設置されている家など、ウチの近所と比べて雲泥の差である家がずらりと並んでいた。
そんな住宅地を翔子さんは我が物顔でズンズンと進んでいくので大人しくついていく。
「・・・・・ついた。ここ」
着いた場所は塀で囲まれた豪邸だった。クリーム色の鉄筋コンクリート製の2階建てで、少なくとも一般家庭の2倍は横に広いだろう。門の端を見ると小さく井野と掲げられている。確かにここは翔子さんの家のようだ。彼女は無表情のまま門を開け、扉前にあるインターホンを押した。
少しすると家の中で誰かが返事をしたようだ。女性の声が聞こえる。
「はぁ~い!あぁ!翔子ちゃん!」
「ん。ただいま」
「はい、おかえりなさい。それでその子が・・・・!ちゃんと連れてきてくれたのね!」
「あっ、はい。はじめまして。前坂慎也と申します」
迎えてくれた女性が意識をこちらへ向けたので俺は挨拶をする。彼女は白いワンピースにレッドブラウンの長い髪を一つに束ねて方から前に出しており、垂れた茶色い瞳が特徴的で出迎えてからずっと笑顔で対応してくれている。笑顔のおかげか非常に緩やかな雰囲気が包まれていて心地がいい。
「これはどうもご丁寧に・・・私、翔子の母の井野 麗華と申します。さ、玄関で会話もなんですし中へどうぞ」
彼女・・・麗華さんに案内されて俺は翔子さんと一緒に家に入る。家の中に入ると真っ先に目に入ったのは白だった。壁や床は真っ白で家具家電もそれに合わせて白か黒で統一されていた。そんな中を玄関からほど近いリビングルームに通される。
リビングも軽く見積もって20畳はあるだろうか、庭も広く様々な花が窓越しに見える。こんなに広い家に来たのは初めてでスケールが麻痺している。
「こちらへどうぞ・・・翔子が荷物を置いてくるまで少し待って貰えます?」
そういって麗華さんは黒い4人掛けテーブルの椅子を一つ引いてこちらに語りかける。俺はその誘導に従って椅子に座ると紅茶が差し出され、俺の向かい側に座られた。
「これはどうも、ありがとうございます」
「何が好みかわからなかったからダージリンにしたけど、大丈夫だったかしら?」
「・・・・・・はい!香りも良く、味わい深くってとても美味しいです」
「それは良かったわ。最近のあの子、急にコーヒーを淹れるようになっちゃって、私の入れる紅茶を飲まなくなったのよね。だからこうして飲んでくれる人が居ると私も楽しいわ」
「お母さん・・・私のいないとこで、話さないで」
語りかける声に気がついて後ろを向くと翔子さんが立っていた。荷物を置いただけのようでその姿は制服のままだった。
「あら、ごめんなさいねぇ。翔子ちゃんは習い事ばっかりでママ、話し相手がいなくて寂しかったのよ」
「・・・そろそろ本題に」
「あら、そうねぇ。でももうママの用事はほとんど済んでるのよ」
どういうことだろう。まだ家にたどり着いて10分と経っていない。リビングに通されて紅茶を飲んだだけだ。
「えっと・・・麗華さん」
「あら、ママでいいのよぉ?」
「麗華さん。お・・・・・僕に用事って結局なんだったのでしょう?」
いつもの口調で俺と言いそうになったがなんとか言いとどまる。
「えぇ。翔子ちゃんは小中とずっと習い事ばっかりでロクに遊べて無かったのよ。生徒会に入ったと聞いた時は友達もできるかしらって思ったんだけど、仕事が増えただけで今度は習い事と生徒会ばっかり。高校入ってもそうなるんじゃないかって心配だったのよぉ。
・・・それが高校入った途端、友達と買い物に行ったりカラオケに行ったりしてて私もホッとしたわ。けれど話を聞くとその中に男の子が居るって言うじゃない!翔子ちゃんを射止めた男の子ってどんな子か気になって連れてきてもらったのよ~」
「射止めたってそんな・・・・・・」
「そう。私じゃ慎也くんにとって役不足」
相手の家だから当然なものの俺への言いようボロッボロである。どうせ俺にとって役不足ですよ・・・・・・
「あらまぁそうかしら?ママにはお似合いだと思うんだけどねぇ」
「親の贔屓目」
「慎也くん、どうかしらこの子。最近花嫁修業も始めてなかなかいい子だと思うんだけど・・・」
「お母さん!」
「あらやだ。怒られちゃったわ」
もう2人に言い合いになってしまって当事者の俺に口を出す隙がない。それでも何か言わないと終わらないと感じ、俺も一石投じてみることにする。
「麗華さん」
「あらあら何かしら?」
「翔子さんはお・・・僕にはもったいないほど素晴らしい人です。僕も彼女に何度も助けられた恩人でもあります。それに学校には僕よりいい人も沢山居るでしょう、どうか、彼女を見守っていただけませんか?」
「あらまぁ・・・・・・・」
「~~~~!!」
翔子さんは思い切り立ち上がり、家の奥へと走り去ってしまった。俺と麗華さんだけがリビングに残される。
「えっと・・・・変なこといっちゃってすみません」
「いえいえ、すぐ戻ってきますよ。それよりあの子を庇ってくれたんでしょ!嬉しいわぁ。今日これからどうするのかしら?もう遅いし夕飯食べていかない?」
「いえ、翔子さんが居辛いと思うのでこのままお暇しようと思うのですが・・・」
「ならあの子が良いっていえばいいのよね?ね、翔子ちゃん、どう?」
後ろを振り向くと翔子さんが扉の影からこちらを伺っているのが見えた。しばらく頭だけ出してじっとしていたが麗華さんの言葉を受け、ゆっくりと頷く。
「じゃあ決まりね!すぐ作っちゃうから2人で待ってて!」
そう言って麗華さんはリビング奥にあるキッチンに向かい、入れ替わるように翔子さんが俺の隣の席に座る。ちなみに麗華さんがキッチンに向かう際に翔子さんの頭を撫でていたが嫌そうに手で振り払っていた。
「お母さんが、ごめんね」
「ううん、優しくて良いお母さんだよ。やっぱり家族っていいよね。俺は1人だから余計にそれを感じるよ」
家族と離れて暮らすようになってそのありがたみがよく分かるようになった。買い物一つとっても以前優衣佳さんに言われたように全くダメだ。今は時々買い物を一緒にすることによって改善傾向にあるが。料理でもなんとかなると思っていたけれど冷蔵庫の中身と相談して毎日違うレパートリーにすることの辛さは実際にやってみるまでわからなかった。こういう苦労を今まで母は子どもたちに見せないようにしてたんだなと思うと親の偉大さが身にしみる。
「そう、だね。家事をするようになった、慎也くんは、エライ、エライ」
そう言って翔子さんは俺の頭をゆっくりと撫で始める。撫でられることは今まで無かったものだからなんだか気恥ずかしくなる。
「えっと、翔子さん。恥ずかしいんだけど」
「ん。我慢して」
我慢しろと。いくらか撫でられるがままにしていたが限界が来る。俺は自分の頭に触れていたその手を掴んで自分のもとへと引き寄せる。
「ふゆっ!?」
翔子さんから何か声が漏れていたが気にしない。俺は引き寄せた身体を膝の上に乗せて翔子さんの頭をなで始める。
「ふゆぅ・・・・・・・・・」
彼女は目を細めされるがままになっている。俺もこっちのほうが気が楽だししばらくこの状態でいよう。
「え~っと・・・・・・私、お邪魔していいかしら」
「ぅぅぅぅ・・・・・・・・・ふゆぅ!?」
思っていた以上に時間が経っていたのだろう。麗華さんが料理を手にこちらへ運んでくれていた。それに驚いた翔子さんは思いきり自身の椅子へと戻る。
「うふふっ。運ぶよう呼んでも気づかないほど2人の世界だったもの。慎也くん、ママって呼んでもいいのよ?」
「・・・・・・・麗華さん、残りの料理運びますね」
俺は麗華さんの提案を聞かなかったことにして出来上がった料理を運び始めた。
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「ほんとに・・・大丈夫?」
「うん。大丈夫だよ。ここまでありがとね」
夕食後、泊まって行きなさいと言われた麗華さんに明日も学校があるからと丁重にお断りして、これから帰路につくところだ。
最初は翔子さんが駅まで送ってくれようとしていたがスマホもあるし駅から帰るときが心配だからと、これまた丁重にお断りした。
「ん。お母さんに会ってくれて、ありがとう」
「いい人でとても楽しかったよ。俺も久々に母親に電話したくなったな」
「なら、よかった」
「・・・・・・・それじゃっ」
「・・・・・・・まって」
俺が帰ろうと踵を返したその時、翔子さんが制服のいつもの場所を摘んで引き止める。
「ん?どうかし――――――」
そのまま翔子の方へ振り向こうとしたその時だった。彼女は俺の背中へ身体を引き寄せ、腕をお腹の部分にまわしてくる――――――
俺は抱きしめられていると理解するのにしばらく時間を要してしまった。
「え・・・・・・・えっと・・・・・・・・翔子さん?」
「・・・・・・・ん。なんでもない、おやすみっ!」
彼女は振り向かせないまま家の扉を閉め、俺は固まったまま家の外で1人になった。俺はその時ふと家の中での会話で気になった言葉を思い出し、スマホで意味を確認する。
「やっぱり俺は翔子さんにとって役不足だよ・・・・・・・」
その言葉は誰の耳にも入らず闇に溶けていった。
最後の最後で正しい名詞の意味を学ぶ系主人公
次回更新は二日後の20日になります




