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11:赤眼の蜘蛛

「市民の皆さん、ものすごく不安そうですよ! 騎士団のメンツはどうしちゃったんですか!?」

「俺に言うな! ここの騎士どもに言え!」

 けたたましく鳴り続ける半鐘を伴奏にファルクは叫んだ。逃げる人々の流れに逆らって走り、噴水広場を右折したところで急停止する。

 そこは戦場となっていた。 

 やや離れた先では、小鹿の森キッツカシータの街道へと繋がる、シュネーケンの巨大な正門がそびえている。大都市の玄関口に相応しい、重厚な威容だ。

 だがファルクたちが注目したのは堂々たる門構えでも、そこを守るように周辺に布陣する騎士たちでもない。そのさらに向こう、森へと続く道から黒々と蠢く何かが波濤のように押し寄せてきている。

 それが密集した、人間と同サイズの蜘蛛の群れと気付いて、エインセールが小さく悲鳴を上げた。

「あれが、オズヴァルト様が言ってた……あんなにいるなんて……!」

「急ぐぞ、妖精」

 短く告げたときには、ファルクは門へと足を進めている。早足ながら、動きは慎重なものだ。

「さっさと行かないと手遅れになる」

「そ、そうですね! どんな魔物が相手でも、人々のために立ち向かわないと……」

「戦うわけないだろ」

「え?」

 嫌悪感に耐えるように強く拳を固めていたエインセールだったが、ファルクの一言に目を丸くした。

「えっと、シュネーケン騎士団の方々と協力して、魔物を撃退するんじゃないんですか?」

「そんな暇あるか。俺たちの目的を忘れたのか?」

 ファルクが答えている間に、都市の外では戦端が開かれていた。騎士の剣と蜘蛛の脚が交錯する音が聞こえてくる。

「突き止めることは、あの蜘蛛どもがなぜ森にいるのか、だ。退治よりも、逃げ帰る個体の追跡に力を入れる方がいい。まあ、それがアリスを治す役に立つのか知らないけどな」

 少年が前方を見据える。鋭い視線の先では、騎士たちが魔物と奮闘していた。剣と盾を構えた前衛が蜘蛛に肉薄し、その後ろから弓兵たちが矢を連射しては蜘蛛の頭部を正確に射抜く。さらにその後方では別の騎士たちが掲げた杖に魔法の光を灯している――隙のない連携だ。

 その武功から〝シュネーケンの力は結束の力〟と称えられる彼らだが、目の前の戦いはまさにそれを体現していた。

「賢者も言ってたろ。あいつらは強い。横から俺が入ったところで、むしろ邪魔になるだけだ。それより、急げ。門が閉まれば、森へ出られなくなる」

 魔物が攻めてきた際は、市内への侵入を阻むために門は閉ざされる。騎士たちの出入りがある今はまだ開いているが、正門の両端ではいつでも閉門できるよう騎士がスタンバイしている。

 ファルクの言うように猶予はない。エインセールもいっそう力をこめて羽をはためかせる。もっとも、彼女に関しては正門が閉じた後でも飛んで越えることができるのだが――エインセールが見慣れぬ何かを視界に捉えたのは、ちらっと門の頂上部を見上げたそのときだった。

「あ、あんなところに!」

 門の上を這い回る何か――蜘蛛の魔物の姿にエインセールが叫んだ。騎士たちの猛攻をすり抜けたのか、あるいは別ルートから現れたのかはわからないが、外壁を這い上がってきたらしい。その黒く細い脚が足場の縁をつかむ。

 次の瞬間、そいつは空中に身を躍らせていた。口から白い糸を吐き出しながら急降下する。その真下にいるのは門を閉めようと構えていた騎士だ。

 頭上からの思わぬ襲撃に、騎士は声もなく仰向けに倒れた。その体に覆いかぶさった蜘蛛が振り上げた脚を垂直に振り下ろす。鋭利な棘を備えた脚は騎士の鎧を貫通することはあたわなかったが、金属が弾き合うような高い音が響く。

「ファルクさん!」

「構うな! あいつらなら切り抜けられる!」

 言い捨てて、むしろ混乱で見咎められない今が好機とばかりにファルクが足を速める。

 一方、門の付近では、仲間の危機に近場にいた騎士が蜘蛛へと斬りかかっていた。だが長剣を振りかぶったその瞬間、蜘蛛の口から飛び出した糸が騎士の両腕を縛るように絡みついた。思うように剣を振るえなくなった騎士に、さらに白糸が吹きかけられる。とっさに顔を庇いはしたが、数秒足らずで全身に巻きついた糸に動きを封じられ、騎士が受け身も取れず転倒する。

 拘束した騎士にさらに糸を放ちかけた蜘蛛だったが、先に足下の獲物を片付けることに決めたらしい。赤い眼光を真下に向けるや、騎士鎧に脚を何度も叩きつけ始めた。固い響きに、動けぬ騎士の呻きが混ざる。

「ファ、ファルクさん……」

 絞り出すように少年の名を呼んだとき、エインセールの意識は体ごと、門の外へ出ることから目の前の惨状へと移っている。

 抑えきれぬ感情の表れのように、彼女の羽が強く震えた。

「ごめんなさい! 私もう、黙っていられません!」

 言い放った直後、エインセールは方向転換し、矢のような勢いで飛び出していた。後ろでファルクが何かを叫んだが彼女には届かない。

 蜘蛛の脚が、騎士の兜を弾き飛ばした。あらわになった顔面へと、すかさず鋭利な棘が振りかぶられる――横合いから妖精が割り込んだのはそのときだった。

「もうやめて……止まってください!」

 無駄な抵抗だと知りつつもエインセールは腹の底から叫んだ。死を告げるように降り落ちてきた蜘蛛の脚に、反射的にきつく目を瞑る。

 自分の体では盾にもなれないだろう――騎士ごと串刺しにされる自分の姿をイメージしたエインセールだったが、なかなかやって来ない痛みと死におそるおそる目を開ける。

 眼前に蜘蛛の脚があった。

 妖精に触れるか触れないかの位置で静止している。慄きながらも、エインセールの頭を疑問がかすめた。どうして止まった? まさか、さっきの「止まって」という想いが伝わったとでもいうのだろうか……。

 だが、そんな淡い希望を砕くように、脚が再び動いた。今度こそ貫くと決意でもしたかのように勢いよく持ち上がる。棘が高々と振り上げられ――その勢いのまま遠くへ飛んでいった。

「え……」

 妖精の驚愕に重なるように、白光が閃いた。蜘蛛の脚を斬り飛ばした刃は、宙で翻るや蜘蛛の胴体を斬り割っている。一瞬で絶命した蜘蛛の体が体液を漏らしながら崩れる寸前、ブーツが死骸を蹴り飛ばした。真っ二つになった魔物が壁に叩きつけられる。

「ファルクさん!」

「離れてろ妖精」

 顔を輝かせたエインセールに、蹴り足を引き戻しながらファルクは短く命じた。苦しげに呻く騎士をちらと見てから、蜘蛛の糸で動きを封じられた騎士へと視線を転じる。

 糸はてらてらと光を反射していた。粘液でぬめっているようで、軽々しく切断しようものなら手間がかかるうえに武器の切れ味を損ねてしまうだろう。

「悪いが、しばらく我慢していろ」

 騎士に告げて、ファルクは腕を振り上げた。その手に握られているのは、刃渡りが彼の二の腕ほどの長さの片手短剣だ。後ろも見ずに突き出されたその切っ先が、ファルクを襲わんと背後に急降下してきた蜘蛛の眉間を貫く。刃を引き抜きながらファルクの体が反転、もう片方の手に持つ同型の短剣で蜘蛛の顔面を断ち割った。双剣の洗礼を受けた魔物が地面に激突し、動かなくなる。

 だがそのときにはファルクの目は足下の死骸ではなく、上に向いていた。門の上に蜘蛛が続々と現れては、壁を這い、あるいは飛び降りて次々に市内に侵入を果たしている。騎士団が敗北した様子はないから、やはり別ルートから接近をしていたようだ。

「妖精! そいつらを見ておけ!」

 倒れている二人の騎士を託し、ファルクは地を蹴って駆け出した。両腕を翼のように水平に伸ばして、傷だらけの黒外套をはためかせる姿は、手負いの黒き猛鳥を思わせる。だが現実には手負いどころか、少年は無傷のまま戦場を席巻しつつあった。首めがけて伸びてきた脚を左の剣で受け止める間に、右の剣で別の蜘蛛を切り裂く。直後に跳躍して空中側転。敵の真上を飛び越えながら回転と落下の勢いを活かしてその背中を断った。着地からの刺突で魔物の腹を抉り、そのまま持ち上げた敵の体を、横合いから放たれた蜘蛛の糸を防ぐ盾にする。

「きりがないな……」

 素早く正確な双剣捌きに、蜘蛛たちは一匹、また一匹と死に沈んでいく。だがいかんせん、敵の数が多すぎた。

 そもそも双剣は、その取り回しやすさから一対一の高速戦闘において真価を発揮するが、対集団戦には不向きな武器である。ファルクがいかによどみなく敵を狩ろうと、すべての個体に対処するのは物理的に不可能だ。

 そのうえ蜘蛛たちも目の前の少年が脅威であると悟ったらしく、ファルクから距離を取りつつある。迂回して市街地へ向かい出した個体を、ファルクは舌打ちしながら追いかけて――

「――そこの少年、跳べ!」

 野太い大声がファルクの耳朶を打った。

 直感的に従って、その場で真上に跳躍する。直後、先ほどまでファルクがいた空間を三本の矢が通過し、その先にいた蜘蛛を討ち取った。

 そして爆炎がそこかしこで閃いたのは、さらにその直後のことだ。魔法詠唱で紡ぎ出された炎の砲弾が広範囲に撃ち出され、次々と魔物に着弾しては戦闘不能に追い込んでいるのだ。

 咲き乱れる火炎に照らされながら、着地したファルクは振り返った。

 そこに並んでいたのは全身鎧で身を固めた騎士たち――先刻、門の外で大群を相手取っていた守備隊だ。どうやら外の戦いに勝利したらしい。先頭に立つ男の号令の下、一糸乱れぬ動きで残りの魔物を仕留めにかかる。

「……」

 戦いはまもなく終わりを迎えようとしている。

 嘆息した少年の視線の先には、いつの間にか閉ざされた正門があった。

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