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異聞始末録  作者: 黒サケ缶EX
異聞始末録 忘れられた役目
54/59

単章 戸口の2人

その屋敷を買い取ったのは、近頃になって財を成した男だった。


 町外れの高台に建つ、古い屋敷。かつてはこの辺りでも名の知られた家の持ち物だったという。広い敷地に、時代を感じさせる造りの建物。手入れこそ行き届いていたが、長く人が住んでいなかったせいか、どこかひっそりとした空気が漂っていた。


 男が屋敷を購入したのは、建物そのものに価値を見いだしたからだった。古いものを残しながら改修し、ゆくゆくは自分の住まいとして使うつもりだったという。


 ところが、住み始めて間もなく、妙なことが起こり始めた。


 夜になると、誰かに見られているような気がする。


 眠っていると、夢の中で誰かが戸口に立っている。


 朝になれば、しまったはずの物が別の場所に移されていたり、見覚えのない物が廊下に置かれていたりする。


 屋敷に勤める者たちも、似たようなことを訴えた。眠りが浅くなり、夜中に何度も目が覚める。特定の廊下や部屋に入ると、急に眠気に襲われたり、理由もなく不安になったりする者もいた。


 それでも、生活が立ち行かなくなるほどではない。仕事はできる。食事もできる。ただ、眠っても疲れが抜けず、日ごとに顔色が悪くなっていく。


 男は最初、古い建物にありがちな問題だと考えた。だが、修繕を重ねても状況は変わらない。そこで、屋敷で起きていることを調べられる者を探し、サエキに依頼をした。


 屋敷に招かれたサエキは、家主の話を最後まで聞いてから、いくつか質問した。


「最初に異変が起きたのは、いつ頃ですか」


「住み始めて、一週間ほど経った頃です。最初は夢を見ただけでした。戸口に人が立っている夢です。顔はよくわかりません。ただ、二人いたような気がします」


「二人、ですか」


「ええ。ですが、夢の中ではっきり見たわけではありません。目が覚めてから、そう思ったんです」


 家主は言葉を切り、少し考えるようにしてから続けた。


「それから、屋敷の者たちも同じような夢を見るようになりました。内容はそれぞれ違うようですが、戸口に誰かが立っているという点は共通しています」


「夢の中で、何か言われた者は?」


「います。ですが、話の内容は一致していません」


 サエキはその点を記録に残した。


 夢の内容が一致しないこと自体は、珍しくない。怪異に関わる夢は、見る者の記憶や意識によって異なる形を取ることがある。重要なのは、違いの中に共通するものがあるかどうかだった。


「実際に、二人の姿を見た者もいるんですね」


「はい。夜中に廊下を歩いていた者が、部屋の戸口に立つ二人を見たそうです。こちらを見ているだけで、近づいてきたり、何かをしたりはしなかったと」


「その二人が、物を動かしていると?」


「そう考えるしかありません。ほかに説明がつかないことも起きていますから」


 サエキは頷いたが、その考えをそのまま受け入れたわけではなかった。


 物が動くことと、戸口に立つ二人の姿が見えること。眠りが妨げられることと、特定の場所で強い眠気を感じること。それらが同じ原因によるものなのか、今の段階では判断できない。


「まずは、屋敷の中を見せてください」


 サエキはそう答えた。


 屋敷の調査を始めて、すぐに気づいたことがあった。


 廊下の奥にあるいくつかの部屋では、ほかの場所よりも空気が重く感じられた。法力を使って確認しても、そこに明確な異常があるとは言い切れない。ただ、部屋の前に立つと、意識がぼんやりとし、目を閉じたくなるような感覚があった。


 それは、単なる疲労とも違っていた。


 サエキは無理に奥へ進まず、部屋の位置と、そこに出入りする者たちの話を記録していった。


 異変が起きた場所は、屋敷全体に散らばっているわけではなかった。特定の廊下や部屋に集中している。物が移動する場所にも偏りがある。夢の中で二人を見たという証言も、同じ区域に関係していた。


 偶然にしては、まとまりすぎている。


 サエキは屋敷の者たちから、個別に話を聞いた。


 証言を集める際、サエキは最初から「二人の姿を見たか」とは尋ねなかった。先にそう聞けば、相手の記憶に影響を与えるおそれがある。何を見たのか、いつ起きたのか、どこにいたのか。まずは、本人が覚えていることをそのまま話してもらう。


 そのうえで、時刻と場所を照らし合わせていった。


 ある者は、夢の中で二人のうち片方が部屋の中を見守っていたと話した。もう片方は、廊下の先を気にしていたという。


 別の者は、二人が自分を見ていたと証言した。何かを伝えようとしているようだったが、目が覚めると内容を思い出せなかったらしい。


 さらに別の者は、二人の姿を見た夢の中で、もう何も心配する必要はないという意味の言葉を聞いたと話した。


 細部は一致しない。しかし、いずれの証言にも、二人が何かを伝えようとしているという印象が残っていた。


 サエキは、夢の内容を一つの意味にまとめることを避けた。


 伝えたいことがあるのだとしても、それが何なのかはまだわからない。見る者によって言葉が変わるのであれば、夢の中の言葉だけを手がかりに結論を出すのは危険だった。


 次に、サエキは屋敷の古い記録を調べることにした。


 家主によれば、屋敷には以前の住人が残した手記や、建物の修繕に関する書類がいくらか保管されているという。古い書類の中には、建物を建てた当初の記録も残っているかもしれない。


 家主から預かった書類を、サエキは一枚ずつ確認していった。


 修繕の記録。部屋の使い方を記した覚書。以前の住人が日々の出来事を書き留めた手記。


 その中に、屋敷の一部を特別な目的のために設けたことをうかがわせる記述があった。


 屋敷の元の持ち主は、建物を建てた当初から、ある異形のものを封じるための場所として、この屋敷を用意していたらしい。


 屋敷は、ただ住むためだけに建てられたのではなかった。


 元の持ち主には別の本邸があり、この屋敷に常住していたわけではない。にもかかわらず、建物には不自然なほど細かな決まりが残されていた。特定の部屋の扱い、廊下の使い方、そして、ある場所に関する記述。


 手記には、封じたものを守るための役目についても書かれていた。


 二人の存在を直接示すような記述は、どれも断片的だった。だが、片方が守り、もう片方が監視するという役割分担を読み取ることはできた。


 二人は、元の持ち主によって役目を与えられた存在だった。


 その役目は、単に屋敷に留まることではない。封じたものを守り、異変が起きないかを見張ること。そのために、二人はこの屋敷に残されていた。


 サエキは、手記と古い間取り図を照らし合わせた。


 異変が集中する場所は、封じたものに関係する区域と重なっていた。夢の中で二人を見たという証言が多かった場所も、同じ区域に近い。


 これで、二人の役割と屋敷の構造が結びついた。


 だが、それだけでは、現在起きている異変の理由まではわからない。


 封じたものが今も存在しているのか。それとも、何か別の理由で二人が動いているのか。そこを確かめる必要があった。


 サエキは記録を読み返した。


 元の持ち主が残した文書には、封じたものについての記述とともに、契約に関する記録もあった。


 二人は、役目を与えられただけではない。元の持ち主との間に、契約が結ばれていたのだ。


 契約がどのような手順で結ばれたのか、その詳細は記録からは読み取れなかった。ただ、役目を終えるための手続きが別に必要だったことは、いくつかの記述からうかがえた。


 ところが、その手続きが完了したことを示す記録は見つからない。


 サエキは契約に関する文書をもう一度確認した。


 元の持ち主は、封じたものを滅ぼしたあと、間もなく亡くなっていた。


 封じたものを滅ぼしたことは、手記の中に記されていた。だが、二人との契約を終えたという記述はない。


 元の持ち主が亡くなったことで、契約は終わらないまま残された。


 役目を終えることができない二人は、その後も屋敷に留まり続けていたのではないか。


 サエキは、ここでようやく、これまでの現象が一つにつながり始めたと感じた。


 戸口に立つ二人。眠りを妨げる夢。物が動く現象。特定の場所で強まる眠気と不安。


 二人は、屋敷に害をなすために現れているのではない。契約によって与えられた役目を果たし続けている。しかし、守るべきものは、すでに存在しない。


 それでも契約は終わっていない。


 夢の中で伝えようとしていたのは、そのことなのかもしれなかった。


 ただし、サエキはまだ断定しなかった。記録から読み取れることと、現在の現象から推測できることは、分けて考える必要がある。


 家主に記録の内容を説明する前に、サエキは封じたものがあったとされる場所を確認することにした。


 古い間取り図に記された場所と、現在の部屋を照合しながら、サエキは屋敷の奥へ向かった。


 そこへ至る廊下では、以前と同じように意識が重くなった。目を閉じて、少し休みたいという感覚がじわじわと広がってくる。


 サエキは足を止め、周囲を確かめた。


 この感覚が、二人の役目と関係しているのか。それとも、長く残った契約の影響なのか。まだ、はっきりとはわからない。


 無理に進まず、法力を用いて周囲の状態を探る。明確な敵意は感じられなかった。少なくとも、何かがサエキを襲おうとしているようには思えない。


 やがて、記録に記された部屋へたどり着いた。


 扉を開ける。


 室内は、拍子抜けするほど普通だった。


 古びた壁と床。長く使われていないことを示す、わずかな埃。ほかに目立ったものは何もない。


 封じたものが置かれていた痕跡も、今なお何かが潜んでいる気配もなかった。


 サエキは部屋の中を一通り確認した。


 隠された物があるわけでもない。異様な法力が残っているわけでもない。封じたものが、今もそこに存在しているとは考えにくかった。


 念のため、室内をもう一度見渡す。


 何もない。


 封じたものは、すでに滅ぼされている。記録にあった出来事と、目の前の状況は矛盾していなかった。


 サエキは部屋を出た。


 廊下へ戻ると、少し離れた戸口に二人の姿があった。


 どちらも、人の姿に似ていた。だが、そこに立っているという事実以外、はっきりしたことはわからない。二人はサエキを見ていた。近づくことも、道を塞ぐこともない。


 サエキは足を止めた。


 ここまでの調査で、二人が何者なのか、何のために屋敷に残っているのかは、かなり明らかになった。けれど、二人が今、何を望んでいるのかまではわからない。


 サエキは二人を見たあと、ゆっくりと視線を戻した。


「もう、守るものはないんだな」


 二人は答えなかった。


 ただ、こちらを見ていた。


 その姿に、敵意は感じられない。あるのは、長い時間を経てもなお、与えられた役目を続けようとする、静かな気配だった。


 サエキは、それ以上何かを試みようとはしなかった。


 二人を無理に祓う必要はない。契約が残っている以上、外から力を加えたところで、根本的な解決になるとは限らない。何より、二人はこの屋敷で何かを守ろうとしているのであって、無差別に人を害しているわけではなかった。


 必要なのは、二人が留まり続ける理由を明らかにすること。そして、契約が終わるために何が必要なのかを見極めることだった。


 サエキは家主のもとへ戻り、調査でわかったことを説明した。


「この屋敷には、かつて何かを封じていた場所があったようです。建物を建てた元の持ち主は、そのために屋敷を用意したのでしょう」


「では、今も何かが封じられているのですか」


「いいえ。記録と現場を確認した限りでは、封じられていたものは、すでに滅ぼされていると考えられます」


 家主は、すぐには返事をしなかった。


「それなら、あの二人は……」


「元の持ち主との契約によって、屋敷に残っている可能性があります。片方は守り、もう片方は監視する。そうした役割を与えられていたようです」


「守るものがなくなったのに、まだ残っているということですか」


「そう考えるのが自然です。元の持ち主は、封じたものを滅ぼしたあと、間もなく亡くなっています。契約を終えた記録は見つかりませんでした」


 家主は、視線を落とした。


「それでは、どうすればいいのでしょう」


「まだ、確かなことは言えません。ただ、二人は屋敷を害するために残っているわけではないようです」


 サエキは断定を避けた。


 夢の中で何かを伝えようとしていたこと。二人が役割を分担していたこと。そして、契約が終わらないまま残っているらしいこと。それらは、記録と証言を重ねることで見えてきた事実だった。


 だが、契約を終わらせる方法については、記録に明確な答えがない。


 サエキは、古い記録の該当箇所を示した。


「ここに、契約に関する記述があります。役目を終えるための手続きがあったことは読み取れますが、具体的な方法まではわかりません」


「では、何もできないのですか」


「いいえ。少なくとも、二人を無理に祓う必要はありません。まずは、こちらから何かをするより、二人が何を伝えようとしているのかを確かめるべきでしょう」


 家主は、しばらく黙っていた。


 やがて、屋敷の奥へ目を向ける。


「夢の中で、二人は何度も何かを伝えようとしているようでした」


「そうですね」


「私たちは、何かを間違えて受け取っていたのでしょうか」


「その可能性はあります。ただ、夢の内容は人によって違っています。言葉そのものよりも、共通している意味を考える必要があるでしょう」


 家主は小さく頷いた。


 サエキは立ち上がった。


「もう一度、二人の様子を見てきます」


 屋敷の奥へ向かうと、二人は以前と同じ場所に立っていた。


 戸口からこちらを見ている。


 サエキは、二人の前で足を止めた。


「封じたものは、もういない」


 返事はなかった。


「お前たちが守っていたものは、すでに滅ぼされている。お前達に役目を与えた者も、もういない」


 二人は、動かなかった。


 その沈黙が、肯定なのか、ただ言葉を理解していないのか、サエキには判断できなかった。


 だが、二人の姿を見ているうちに、ひとつ気づいたことがあった。


 彼らは、封じたものがまだ存在すると主張しているわけではない。守るべきものが残っていると訴えているわけでもない。


 ただ、役目を終えられずにいる。


 夢の中で伝えようとしていたのは、封じたものがすでにいないという事実。そして、自分たちが今もここに残っているという事実だったのではないか。


 それを、見る者たちはそれぞれの言葉で受け取っていた。


 サエキは二人を見つめた。


「お前たちは、まだここにいるんだな」


 二人は、やはり答えなかった。


 それでも、サエキには、二人が何かを待ち続けているように見えた。


 その後、家主は屋敷で起きたことを改めて考えた。


 夢の中で見た二人の姿。眠れない夜。物が移動していたこと。部屋の戸口に立ち、ただこちらを見ていた二人。


 それらは、屋敷に害をなす怪異の振る舞いだと思われていた。


 しかし、調査によって明らかになったことは違っていた。


 二人は、与えられた役目を守り続けていた。守るべきものは、もう存在しない。それでも契約が終わっていないため、屋敷に留まっていた。


 家主は、二人が長い間この場所に残されていたことを思った。


 どれほどの年月が経ったのか、正確なところはわからない。元の持ち主が亡くなってから、屋敷の持ち主は変わり、建物の使われ方も変わった。それでも二人は、同じ役目を続けていた。


 家主は、屋敷の奥へ向かった。


 戸口には、二人が立っていた。


 家主は二人を前にして、しばらく言葉を探していた。何を言えばよいのか、あらかじめ考えていたわけではない。ただ、ここにいる二人に、伝えておくべきことがあるように思えた。


「長い間、ここを守ってくれていたんですね」


 二人は、家主を見ていた。


「もう、守るものはありません。今まで、ありがとうございました」


 その言葉が届いたのかどうか、家主にはわからなかった。


 だが、二人の表情が、ほんのわずかに変わった。


 長く動かなかった顔に、穏やかな笑みが浮かぶ。


 二人は、にこりと笑った。


 そして、その姿は、静かに消えていった。


 家主は、しばらく戸口を見つめていた。


 廊下に漂っていた重苦しさは、いつの間にか薄れていた。あの部屋の前に立っても、以前のように意識が沈むことはない。


 その夜から、屋敷の者たちは少しずつ眠れるようになった。


 夢を見る者もいたが、戸口に立つ二人の姿は、もう現れなかった。物が勝手に移動することもなくなり、屋敷に漂っていた不安も消えていった。


 サエキは、調査結果をまとめた記録を家主に渡した。


「これで、解決したと考えていいのでしょうか」


 家主が尋ねた。


「少なくとも、今起きていた異変は収まったようです」


「二人は、もう戻ってこないのでしょうか」


「契約が終わったのであれば、戻ってくる理由はないでしょう」


 サエキは、そう答えた。


 それ以上のことは、記録からも、現場での調査からもわからなかった。


 二人がどれほど長く屋敷に留まっていたのか。どのような思いで役目を続けていたのか。そして、家主の言葉がなぜ契約を終わらせたのか。


 そのすべてに答えが出たわけではない。


 ただ、二人は消えた。


 守るべきものは、すでになくなっていた。役目だけが残され、終わりを迎えられずにいた二人は、最後にかけられた言葉を受け取り、ようやく屋敷を去ることができたのだろう。


 サエキは、屋敷を後にした。


 門を出る前に、もう一度だけ建物を振り返る。


 古い屋敷は、来たときと変わらない姿でそこにあった。


 けれど、戸口に立つ者は、もういない。


 サエキはもう一度だけ屋敷を見て、それから歩き出した。

異聞始末録     記録者 サエキ


町外れの古い屋敷で、複数の住人が睡眠障害や不可解な夢、物品の移動といった異変を訴えていたため、調査を行った。調査の結果、屋敷にはかつて異形のものを封じていた区域があり、そこには封じたものを守る者と監視する者の二人が残されていたことが判明した。


古い手記によれば、二人は屋敷の元の持ち主との契約によって役目を与えられていた。しかし、封じたものはすでに滅ぼされており、契約を終了させる手続きも行われていなかった。元の持ち主が亡くなったことで、二人は役目を終える機会を失い、その後も屋敷に留まり続けていたものと思われる。


二人に明確な敵意はなく、住人への異変も積極的な加害行為というより、終わらない役目に関係するものと考えられた。最終的に、家主が二人に長年屋敷を守ってくれたことへの感謝と、もう守るものはないことを伝えたところ、二人は穏やかな笑みを浮かべて姿を消した。その後、屋敷の異変も収束した。


今回の件で印象に残ったのは、二人が長い年月にわたって、すでに存在しないものを守り続けていたことだ。契約の終了に必要だったのが、正式な手続きだったのか、それとも家主の言葉を受け取ることだったのかは、確認できていない。ただ、役目を与えられた存在を解放するには、力による排除以外の方法もあるということを、改めて認識させられた事件だった。

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