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異聞始末録  作者: 黒サケ缶EX
異聞始末録 泥底の声
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単章 村の供物



山間の村に着いたのは、日が傾き始めた頃だった。


村の入り口には古びた看板が立っていたが、文字は雨風に削られ、ほとんど読めなくなっている。周囲には田畑と山林が広がり、民家の数も少ない。人の気配はあるものの、どこか落ち着かない静けさが漂っていた。


今回の依頼は、村人の失踪についての調査だった。


失踪したのは、村で暮らしていた数人の人間。村人たちの話では、いずれも周囲から「役立たず」と見なされていた者たちだという。


サエキは村人たちから話を聞いて回った。


しかし、証言にはいくつか食い違いがあった。


失踪した人数を正確に答えられない者がいる。最後に姿を見た時期も、人によって異なっていた。中には、最初からそんな人間はいなかったかのように話す者までいた。


「いなくなった人間を探しているんですか」


ある村人が、面倒そうに尋ねた。


「そのために来ました」


「探したところで、どうにもならないでしょう。あの連中は、いてもいなくても同じでしたから」


その言葉に、サエキはすぐには答えなかった。


村人たちは、失踪した者たちを追い出したことを隠そうとはしなかった。むしろ、それが当然の判断だったと考えているようだった。


働かない。役に立たない。周囲に迷惑をかける。


そんな人間を村に置いておく必要はない。


村人たちの言い分は、おおむねそのようなものだった。


「追い出したのは、あなた方ですか」


「そうです。村のためですから」


返ってきた答えに、反省の色は見られなかった。


サエキはそれ以上の追及を避け、別の手掛かりを探すことにした。


その日の夕方、村外れで一人の老人と出会った。


老人は他の村人たちとは違い、失踪した者たちについて話すことを嫌がらなかった。


「墓地に行ってみなされ」


老人は、山の斜面にある共同墓地を指した。


「何かあるんですか」


「昔から、あそこには妙なものがある」


老人の声は低かった。


「泥じゃ。黒い泥がある。あれが、あの者たちを連れていった」


「泥が人を連れていった、と?」


「ああ」


老人はうなずいた。


「昔は何も言わなかったんじゃ。ただ、そこにあるだけだった。誰も気に留めなかった。だから、誰も止めようとしなかった」


「何を止める必要があったんですか」


老人は答えなかった。


しばらくして、老人は小さく息を吐いた。


「わしは、あの者たちが追い出されるのを見ていた。何も言わなかった。止めることもできたかもしれん。だが、何もしなかった」


老人の顔には、深い疲れが浮かんでいた。


「だから、今ここにいる」


その言葉の意味を尋ねる前に、老人は歩き出していた。


サエキはその後ろ姿を追った。


共同墓地は、村から少し離れた山の斜面にあった。


古い墓石が並び、手入れの行き届いていない場所には雑草が伸びている。墓地の奥には、周囲の土とは明らかに色の違う一角があった。


黒い泥だった。


地面に染み込んでいるというより、そこだけ土が溶けているように見える。表面は湿っているが、雨が降った形跡はない。風が吹いても、泥の表面だけはほとんど動かなかった。


サエキは一定の距離を保ち、観察を始めた。


「ここです」


老人が泥を指さした。


「これが、あの者たちを?」


「ああ」


老人の声が震えた。


「最初は何もなかった。だが、いつからか声が聞こえるようになった」


そのときだった。


泥の表面が、わずかに揺れた。


泡が一つ浮かび、音もなく弾ける。


そして、声が聞こえた。


「役立たず」


聞き覚えのある言葉だった。


村人たちが、失踪した者たちについて語るときに使っていた言葉。


続いて、別の声が聞こえる。


「いてもいなくても同じだ」


「村のためだ」


泥の底から、村人たちの声が繰り返されていた。


老人は顔を伏せた。


「聞こえるじゃろう」


サエキは泥から目を離さなかった。


声は、ただ言葉を繰り返しているだけではないようだった。抑揚や間の取り方まで、村人たちの話し方に似ている。


「いつから聞こえるようになったんですか」


「分からん。気づいたときには、もう聞こえていた」


そのとき、背後から複数の足音が近づいてきた。


振り返ると、村人たちが墓地の入り口に立っていた。


「何をしている!」


そのうちの一人が声を荒らげた。


「余計なことをするな。あれは放っておけばいい」


「あなた方は、ここに何があるのか知っているんですね」


「知っているから言っているんだ!」


村人たちは、墓地に入ろうとはしなかった。


彼らは黒い泥を見ていた。恐れているようにも見えたが、それ以上に、何かを隠そうとしているようだった。


「昔から、あそこには近づくなと言われていた」


別の村人が言った。


「なら、なぜ放置していたんですか」


サエキの問いに、村人たちは黙り込んだ。


老人が口を開いた。


「わしらは、何もしなかったんじゃ」


その声に反応したかのように、泥の表面が大きく波打った。


黒い泥が盛り上がる。


そこから、何かが這い出そうとしていた。


サエキはすぐに距離を取った。


泥の表面には、細長いものが浮かび上がっていた。人の指のようにも見えるが、はっきりとした形はない。


「下がってください!」


サエキは村人たちに告げた。


だが、彼らは動かなかった。


老人だけが、泥の前に立ち尽くしていた。


「………もういいんじゃ」


老人がつぶやいた。


「わしは、ずっとここにおった。あの者たちを見捨てた。だから、もういい」


「何をするつもりですか」


サエキが問いかけたとき、老人の足元が黒く染まった。


泥が地面を這い、老人の足首にまとわりつく。


老人は抵抗しなかった。


「昔は何も言わなかった」


その声は、ひどく静かだった。


「だから、誰も気づかなかった」


泥が老人の膝まで覆う。


「今は、聞こえる」


老人の身体がゆっくりと沈み始めた。


サエキは動こうとしたが、泥の広がり方を見て足を止めた。老人の周囲だけでなく、地面のあちこちに黒い染みが現れている。


迂闊に踏み込めば、同じように捕らわれる可能性があった。


老人は最後まで抵抗しなかった。


やがて、頭の先まで泥に沈み、その姿は見えなくなった。


残された泥は、しばらく盛り上がったままだった。


そして、ゆっくりと形を変えた。


人の身体を丸めたような泥塊が、そこに残っていた。


表面には、衣服の切れ端のようなものが混じっている。泥の一部からは、指のような突起がいくつか伸びていた。


サエキは近づかず、しばらく観察した。


泥の塊は動かなかった。


だが、完全に活動を止めたと判断するには早い。


サエキは、まず浄化を試みることにした。


持っていた呪符を取り出し、泥から一定の距離を保って地面に置く。


続いて、聖水を少量だけ垂らした。


泥の表面が、わずかに揺れた。


反応があった。


ただし、それが聖水によるものなのか、呪符に対するものなのか、あるいは別の要因なのかは分からない。


サエキはすぐに結論を出さず、変化を見極める。


黒い泥の広がり方が、わずかに変わったように見えた。


そこで、サエキは法力を練り始めた。


泥の性質は不明。人間を取り込み、声を発し、形を変える。少なくとも、通常の土や泥とは異なる何かが作用している。


既知の術式をそのまま当てはめることはできない。


サエキは目の前の反応を確かめながら、法力を集中させた。


泥の表面が大きく波打つ。


声が聞こえた。


「役立たず」


「何もしなかった」


「見ていた」


いくつもの声が重なり、墓地に響いた。


サエキは集中を切らさなかった。


法力を泥へ向ける。


黒い表面に細かな亀裂が走り、泥の一部が崩れ始めた。


それでも、完全に消えたわけではない。


サエキは反応を確かめながら、法力を維持した。


やがて、泥の動きが弱まった。


声も聞こえなくなった。


黒い泥はその場に残っていたが、先ほどまでのような動きは見られない。


サエキは慎重に周囲を確認した。


地面には呪符が残っている。聖水を垂らした場所には、周囲とは異なる色の染みができていた。


黒い染みそのものは消えていない。


サエキはそれ以上触れず、しばらく様子を見ることにした。


そのときだった。


背後から悲鳴が上がった。


振り返ると、墓地の入り口にいた村人たちの足元が黒く染まっていた。


「な、何だこれは!」


一人が叫ぶ。


悲鳴が上がった。


村人たちは互いを押しのけ、逃げようとした。しかし、地面のあちこちから泥が滲み出し、足首を絡め取り、膝へと這い上がっていく。


「助けてくれ!」


「違う、俺は関係ない!」


「俺は何もしていない!」


彼らは口々に叫んだ。


「頼む、引っ張ってくれ!」


「俺を置いていくな!」


サエキはすぐに駆け寄った。


「動くな!沈みが早まるぞ!!」


しかし、村人たちは恐怖で混乱していた


一人が足を引き抜こうとする。別の一人は転倒し、両手を地面についた。


その手にも泥がまとわりつく。


サエキは近くに落ちていた枝を拾い、最も近くにいた村人へ差し出した。


「これに掴まれ!」


村人が枝をつかむ。


サエキは力を込めて引いた。


だが、泥は村人の身体を引き戻すように広がった。枝がしなり、村人の身体がわずかに浮いたところで、再び沈み始める。


「おい! お前、専門家なんだろう! 助けろ! 俺たちは、村を守っていただけなんだ!」


サエキは力を緩めずに引き続けた。


しかし、枝の先が泥の中へ引き込まれ、村人の手が離れた。


法力を放とうとサエキは構えた。


その瞬間、村人たちは次々と泥に沈んでいった。


先程の老人とは比べ物にならない速度で村人達は沈んだ。


悲鳴が途切れる。


黒い泥は、何事もなかったかのように地面へ広がっていた。


やがて、そこに残っていた人影はすべて消えた。


サエキは周囲を確認した。


墓地の奥にあった泥は、先ほどの浄化によって動きを止めている。


一方、村人たちを呑み込んだ泥は、明らかに違う動きを見せていた。


同じものなのか。


別のものなのか。


あるいは、先ほどの浄化によって何かが変化したのか。


現時点では判断できない。


サエキは周囲に残された痕跡を調べたが、明確な手掛かりは見つからなかった。


老人が何者だったのかも分からない。


泥に呑まれたのか、それとも別の理由で消えたのか。


村人たちが失踪した者たちと同じ場所へ連れていかれたのかも不明だった。


確かなのは、村人たちが消えたこと。そして、墓地の泥が完全に消えたわけではないということだけだった。


サエキは必要な記録を残し、現場を離れることにした。


帰り道、山道の脇に黒い染みがあることに気づいた。


サエキは立ち止まり、山道の脇にある黒い染みを観察した。


表面は乾いているように見える。墓地で確認した泥とは、状態が違っていた。


外見だけで安全だとは判断できない。


サエキは周囲にほかの異常がないことを確認すると、黒い染みに向けて法力を放った。


法力が触れた瞬間、黒い染みがわずかに震えた。


次の瞬間、染みは弾けるように崩れ、跡形もなく消え去った。


サエキは消えた場所をしばらく観察した。反応はない。少なくとも、目に見える異常は残っていなかった。


これで終わったとは限らない。墓地の泥と、村人たちを呑み込んだ泥。そして、この山道に残されていた染み。それぞれの関係は、結局分からないままだ。


サエキは周囲をもう一度確認し、山道を下り始めた。 


そのとき、背後から老人の声が聞こえた。


「これでいいんじゃ」


サエキは足を止めた。


振り返っても、そこには誰もいない。


「……どうだろうな」



サエキは小さく息を吐き、再び歩き出した。

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