第四章 魔女の理屈
サエキは施設内の記録を調べた。
幽囚の魔女に関する記述は、数十年前のものまで遡ることができた。
古い管理文書には、丘の森で女性の姿をした怪異が目撃されたこと、調査に入った者が原因不明の衰弱を起こしたことが記されている。
その後も、同じような報告が何度か残されていた。
ただし、魔女が現れた時期と、犠牲者が出た時期は一致しない。
長い年月、彼女は姿を隠していたらしい。
封印の管理記録を照合すると、異常が増え始めたのはここ数か月だった。計測機器の値が乱れ、封印陣の一部が摩耗し、地下からの振動が徐々に強くなっている。
そして、魔女が目撃され始めた。
封印が弱まったことで、彼女は以前のように姿を隠せなくなったのかもしれない。拘束の一部が緩み、限られた範囲に干渉できるようになった可能性もある。
サエキはさらに古い記録を調べた。
魔女は、もともとこの土地にいた存在ではなかった。
長い年月をかけて各地を渡り歩き、人間や異形の存在から知識と力を集めてきた。呪いを操り、他者の精神に干渉し、相手の能力や記憶の一部を奪うことさえあったらしい。
彼女が何を目的にしていたのか、記録には明確な答えがない。
ただ、彼女が自分の利益を求めていたことは確かだった。
誰かを守るためではない。
人間を救うためでもない。
自分が望むものを手に入れ、手に入れたものを失わず、他者に奪われないために。
そのためなら、彼女は人間を利用した。役に立たなくなれば捨てた。邪魔になれば殺した。
彼女の行動には、人間の善悪の基準を当てはめる意味が薄かった。
彼女にとって重要なのは、自分の利益だけだった。
やがて、彼女は地下に封じられた異形の存在を見つけた。
記録に残された名称は、大半が機密扱いになっていた。わずかに残った記述から、サエキは名前を読み取った。
底喰い。
それが何であるか、記録から分かることは限られていた。
底喰いは物質を摂取し、その性質を取り込む。生物を食らえば、記憶や精神的な痕跡さえ吸収する可能性がある。どこまで取り込めるのか、どのように変化するのか、その限界は分かっていなかった。
魔女は、これを利用しようとした。
底喰いの力を自分のものにし、得られるものを増やそうとしたのだ。
だが、利用を続けるうちに、底喰いは彼女の制御を離れていった。
取り込まれた性質が増えるほど、封印の構造も不安定になった。底喰いは周囲の術式さえ侵食し始め、魔女が築いたものを飲み込もうとした。
そこで初めて、彼女は封印を選んだ。
世界を守るためではない。
底喰いを野放しにすれば、自分まで失うことになるからだった。
サエキは記録を閉じ、魔女のもとへ戻った。
「底喰いを利用していたんだな」
魔女は彼を見た。
「何を根拠に?」
「記録に残ってた」
「古い記録など、いくらでも間違っているわ」
「そうか」
サエキはそれ以上、反論しなかった。
彼女が事実を認めるかどうかは、重要ではない。記録と封印の構造が示していることは、彼女の言葉ひとつで変わらない。
「制御できなくなって、封じた」
「あなたたちは、何でも簡単な話にしたがるのね」
「違うのか」
「私は、必要な処置をしただけよ」
魔女の口調は、依然として落ち着いていた。
「利用できるものを利用した。手に入れたものを失うわけにはいかなかった。あれが私の手に負えなくなったから、封じた。それだけのことよ」
「人間を守るためじゃない」
「なぜ、私が人間を守る必要があるの?」
彼女は不思議そうに尋ねた。
その声には、皮肉さえなかった。
本当に、理由が分からないのだ。
人間が死ぬことも、苦しむことも、彼女にとっては周囲で起こる出来事のひとつにすぎない。自分に利益があるなら利用し、邪魔になるなら排除する。それ以上の意味はなかった。
「なるほど」
サエキは床の術式を見た。
「だが、今の封印は持たない」
「分かっているわ」
「お前を残して補修する方法は?」
「あるかもしれないわね」
「実際にできるのか」
「あなたが試せばいいでしょう」
サエキは魔女を見た。
質問に答えているようで、肝心な部分は避けている。自分にとって都合の悪い事実を認めず、相手に判断を押しつける。これも記録にあった傾向と一致していた。
「お前は討伐する。」
サエキは告げた。
「封印は別の方法で組み直す」
魔女の表情がわずかに変わった。
「私を殺せば、封印が崩れるわ」
「だから、別の方法を考える」
「あなたにできるとは思えないけれど」
「できるかどうかは、やってみる」
魔女は薄く笑った。
「人間は、いつも自分にできることを過大評価するのね」
サエキは返事をしなかった。
彼女の言葉を論破する必要はない。
仕事を終えれば、それでいい。




