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異聞始末録  作者: 黒サケ缶EX
異聞始末録  幽囚の魔女
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第三章 会話は通じない魔女



施設内部は、奇妙な造りをしていた。


入口に近い区画には監視装置や通信設備が設置されている。その奥へ進むにつれて、壁や床に古い石材が増え、機械設備と不可解な刻印が入り交じるようになった。


サエキは記録を取りながら、地下へ続く階段を下りた。


途中、壁際に倒れた椅子があった。床には乾いた染みが残っている。少し先には、蓋の開いた工具箱が置かれていた。


人がいた痕跡。


そして、そこから逃げたか、逃げられなかったかのどちらかを思わせる乱れ。


サエキは周囲を確認し、先へ進んだ。


最下層の扉を開けると、広い石造りの空間が現れた。


天井は高く、床には幾重にも重ねられた封印陣が描かれている。壁面には計測装置が埋め込まれ、その数値は不規則に変動していた。


そして、部屋の中央に女がいた。


長い黒髪。透けるように白い肌。古い時代のものと思われる衣服。


顔立ちは整っていた。人間の美しさに似ているが、人間らしい生気は感じられない。表情の動きが少なく、瞬きの間隔も、呼吸の様子も、どこか不自然だった。


女は石の台座に座っている。


しかし、自由に座っているわけではなかった。


手足は見えない力に拘束され、身体の一部は台座と床に取り込まれていた。腰から下は石材と一体化したように固定され、背後から伸びた幾筋もの紋様が、彼女の身体を通って床へと広がっている。


彼女自身が、封印の一部になっていた。


サエキは距離を保ったまま、周囲を観察した。


女が顔を上げた。


目が合う。


その瞬間、彼女の瞳に淡い光が宿った。


空気がわずかに変化した。


甘く、柔らかく、意識の隙間へ滑り込むような気配。警戒心を鈍らせ、判断を曇らせ、相手に自分を受け入れさせる呪いだった。


サエキは一歩も動かなかった。


視線も、呼吸も、表情も変わらない。


女の瞳が、ほんのわずかに細まった。


驚きが浮かぶ。


しかし、すぐに消えた。


サエキは装備の位置を確かめ、床の刻印に目を戻した。


「幽囚の魔女、か」


女が彼を見た。


「それが、私を指す言葉なの?」


「人間側の記録ではな」


「人間は、いつも勝手に名をつける」


女の声は落ち着いていた。


発音は明瞭で、言葉の意味も理解できる。質問をすれば返事があり、こちらの話に応じた言葉も返ってくる。


しかし、それを意思疎通と呼ぶのは早計だった。


ネームドの怪異は、人間の言語を理解しているように振る舞うことがある。だが、そこで成立しているのは、言葉のやり取りだけとは限らない。


こちらの問いを理解しているように見えても、答えは別の方向へずれる。過去について尋ねれば、事実ではなく、自分にとって都合のよい解釈を返す。危険性を問えば、危険という概念そのものを否定する。質問の意図を理解したうえで嘘をつく個体もいれば、相手の言葉を別の意味として受け取っている個体もいる。


幽囚の魔女についても、記録には同様の傾向があった。


彼女は会話ができる。


しかし、人間と同じ意味で話が通じるとは限らない。


サエキはそのことを知っていた。彼女の返答を信用するつもりも、言葉を重ねれば理解し合えると期待するつもりもなかった。


「四人、死んだ」


サエキは告げた。


「あなたの周囲にいた人間が、そう報告されているわ」


「襲ったのはお前か」


「彼らは私の前に現れた」


「質問に答えてない」


「私は、邪魔をされたくなかっただけよ」


魔女は淡々と言った。


サエキはうなずいた。


肯定でも否定でもない。自分の行為を説明するつもりはあっても、その責任を認めるつもりはない。彼女にとっては、そうした区別自体が重要ではないのだろう。


「人間を殺したことに、何か言い分はあるか」


「言い分?」


魔女はわずかに首を傾けた。


「彼らが死んだ。それだけのことよ。あなたたちは、死者が出るたびに理由を求めるのね」


「仕事だからな」


サエキは床の封印陣を調べ始めた。


魔女は彼を見ていた。


「あなたは、私を殺しに来たのでしょう」


「そうだ」


「なら、私を見なさい」


「必要なところは見てる」


サエキは、床の刻印に視線を落としたまま答えた。


魔女の表情に、かすかな不快感が浮かんだ。


彼女は他者の注意を引きつけることに慣れていた。恐怖でも、欲望でも、憎悪でもいい。自分に意識を向けさせれば、相手の反応を利用できる。


しかし、この男は彼女の言葉に必要以上の意味を見いだそうとしなかった。


サエキは封印の状態を記録した。


古い石板はところどころひび割れ、術式の一部は摩耗している。現代の計測装置にも、異常な数値が記録されていた。


「ここから出たいか」


彼は、答えが役に立たないことを承知のうえで尋ねた。


魔女はすぐに答えた。


「当然でしょう」


「出たら何をする」


「私の好きにするわ」


予想どおりの答えだった。


サエキは記録を続けた。


「また人を襲うか」


「必要なら」


「そうか」


質問は、答えを得るためだけに行うものではない。


返答の速さ、言葉を選ぶ間、視線の動き。相手が何を隠そうとしているか、何を当然だと考えているか。そうした反応を確かめるために、答えが返ってこないと分かっている問いを投げることもある。


魔女は人間を傷つけることに、ためらいを持っていない。


サエキはそれを確認した。


それ以上の会話は必要なかった。


彼は封印陣の外縁へ移動し、術式の接続を調べ始めた。


魔女は、その背中を見ていた。


まだ余裕はあった。


拘束されていることは不快だが、これまでにも似たような状況はあった。人間が何を考え、どのような術を使うかは、ある程度予測できる。


目の前の男も、いずれは自分の理解できる範囲に収まる。


彼女はそう考えていた。

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