↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異聞始末録  作者: 黒サケ缶EX
異聞始末録 千年の虫籠
14/53

終章 海は語らない



 町を離れる朝、サエキは港へ立ち寄った。


 規制線の一部は残っていたが、魚を運ぶ作業は再開されていた。以前ほどの豊漁ではないという。漁獲量は、少しずつ元の水準へ戻りつつあった。


 海は静かだった。


 あの黒い死骸が引き揚げられたことも、海底に穴があったことも、黒い虫が陸へ上がってきたことも、波は何ひとつ語らない。


 サエキは、宿へ戻る途中で老人の家に寄った。


 玄関の戸は閉じられていた。


 呼びかけても返事はない。


 近所の住民に尋ねると、老人は数日前から姿を見せていないという。


「どこかへ出かけたんでしょうか」


 サエキが聞くと、住民は首を傾げた。


「さあねえ。あの人は、たまにふらっと出ていくことがあるから」


 それ以上のことはわからなかった。


 サエキは家の前を離れた。


 老人がどこへ行ったのか、確かめる手段はない。


 海へ向かったのかもしれない。


 町を出たのかもしれない。


 あるいは、誰にも知られず、どこかで倒れているのかもしれない。


 どれも、可能性としては残っていた。


 ただ、最後に聞いた言葉だけが、妙にはっきりと記憶に残っていた。


 ――帰りは、海の方へ行かん方がいい。潮が満ちるからね。


 サエキは足を止め、遠くの海を見た。


 潮は、満ちているようにも引いているようにも見えた。


 その日のうちに、サエキは町を離れた。


 帰路についた車の中で、知人から連絡が入った。


『例の老人だが、まだ見つかっていない』


 サエキは短く返信した。


『捜索は続けるのか』


 すぐに返事があった。


『一応な。ただ、事件との関係は確認できていない。自分で出ていった可能性もある』


 サエキは端末を伏せた。


 事件との関係は、確認できていない。


 その言葉は正しい。


 老人が海の土竜について知っていた理由も、百歳を超える住民が多い理由も、誰も一番にならない理由も、結局わからないままだった。


 調べれば調べるほど、説明できることより、説明できないことの方が増えていく。


 サエキは窓の外へ目を向けた。


 町の姿は、もう見えなかった。


 あの海の底には、まだ穴がある。


 黒い死骸が、その穴を塞いでいる。


 今もそうなのか。


 明日もそうなのか。


 確かめる方法は、限られていた。


 海底の虫は、再び動き始めるかもしれない。


 あるいは、二度と姿を現さないかもしれない。


 どちらにしても、今回の件が終わったと断言できる者はいなかった。


 サエキは調査記録を閉じた。


 窓の向こうには、灰色の空が広がっていた。


 海は、何も語らない。


 ただ、底にあるものを隠し続けている。


 それが災いなのか、守り手なのか。


 人間には、まだわからない。


 そして、わからないままにしておくべきものも、この世にはあるのかもしれなかった。

異聞始末録


海底より引き揚げられた異形の死骸と、その後に起きた一連の異常事象。

死骸の腹部に刻まれた溝は、海底の穴に残された構造と酷似していた。

黒い虫の出現は収束したが、封じ込めが完全に維持されている保証はない。

百歳を超える住民の多さと、誰ひとり国内最高齢者にならないという奇妙な記録。

老人の失踪も含め、今回の件には未解明の事柄が多すぎる。

          

                  記録者 サエキ




作者不明の記録書


海の土竜には決してふれるな。


魚が増えたなら、海を疑え。


潮が引いたなら、岸を離れよ。


潮が満ちたなら、戸を閉めよ。


齢百を超える者が消えても探してはならぬ。


そして、誰かが土竜の行方を尋ねたなら、知らぬと答えよ。


知っている者は、もうここにはいない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。