夢の中で逢えど
カヒは西のお妃として百官から祝賀を受けた。内命婦からも外命婦からもだ。
ずしりと重い銀の簪が、まるで自分を逃げらない鎖に思えた。
彼女は沈んだ表情を隠すように扇で顔を隠し、黙っている。
「カヒ、喜ばしいことではないか」
ヘンが柔らかい笑顔を見せた。
「え、ええ……」
この笑顔が脅しに見える。何故なら、この笑顔には裏がある。
この後、カヒには地獄が待っている。
恐怖で扇を持つ手が震えだした。カヒは一向に収まらない震えに、
「王子さま、少し酔いを醒ましてきても?」
っと、小さな声でヘンに尋ねた。
「すぐ戻るんだぞ」
ヘンはやたら上機嫌だった。カヒの白い手を握りながら、そう言ったのである。
「はい……」
カヒは席を立つと女官を連れて外に出た。
頬に当たる風がやたら冷たく感じた。瞳から涙が流れる。
「夢で逢えたのに」
ヘンとの夜伽の後。
暴力に支配された夜。その日に見た夢は、空のように透き通っていた。
そして現れた「誰か」。言葉が出てこない。
「誰か」の言葉も聞こえない。
「誰か」の唇が動く。
そこでカヒは目覚めた。となりにはヘンが寝息を立てている。
手探りしても「誰か」の温もりも何もない。あのまま、手を引いて夢の中に招いて欲しかった。
誰ぞ彼……!
カヒは我に返ると手ぐしで髪を整えた。袖で涙を拭う。それは儀式のように決まった流れのようだった。
「西のお妃さま」
ヨンダルの声がした。カヒは振り返る。
「どうもお酒が強くて、まだ酔いが醒めないのです」
「左様でございますか。代わりと言えば失礼ですが、東のお妃さまがお越になりました。館でお休み下さい」
「はい」
カヒは女官に目配せをして館に向かった。花紺青の着物は彼女の白い肌を引き立たせている。しかし、華やかさを捨てた女に見えた。
館に向かう途中で見ては行けない人を見た。
藤棚に隠れていたが、カヒには分かった。
腰に着けていた香り袋に見覚えがあったからだ。
あの香り袋はソン──!
だが、カヒは女官を気にして駆け寄れなかった。ソンはカヒの存在に気づいていなかった。そこら辺で口説いた女官の腰に手を回して接吻を交わしていた。
しかし、藤棚に隠れていたからカヒにはそこまでは見えなかった。
「あれは東のお妃さまの女官では?」
女官が指差した。
そこでようやくソンが女官を抱きしめていると気づいた。
天と地がひっくり返るような、激しい動悸と執着を覚える。
ソンは女官から体を離して藤棚から出ると、カヒがこちらを恨めしそうに睨んでいた。
「カヒ!」
「気安く呼ぶな!わたくしは第二次妃よ!」
ソンが藤棚の密会を見られていたことに気づく。あの女官とは戯れだった。だが、今更、そう告げても遅い。
「第二次妃というと……」
カヒの隣で黙っていた女官が口を開いた。
「西のお妃さまでございます」
「西のお妃!?」
「あなたは文を読んでくださらなかったのね!」
カヒは思い出したかのように嗚咽混じりに言った。嗚咽というより、慟哭に近かった。
「わたくしはあなたの夢を何回も見ました。それで地獄の夜をやり過ごしていたのです」
そっと、ソンはカヒに手を伸ばそうとしたが、カヒは後退りする。
「わたくしは消耗品でしたのね」
カヒは冷徹な表情を浮かべて踵を返した。
その日、宮殿の空き部屋でソンは藤棚の女官を抱いた。解かれた黒髪にソンは何度も撫でた。月光の差し込む窓から女官の美しい背中が映る。
「どうして、わたくしめを?」
「あなたに恋心を盗まれたからです」
「わたくしめは盗まれたとは思いません」
「では、理由を教えてくださいますか?」
「公子さま逢えぬ誰かをわたくしめに重ねただけでございます」
その通りだった。この女官は目元がカヒに似ていた。そして腕を掴んだとき、まるで彼女は吸い込まれるようソンの腕の中にいた。
「あなたのお名前は?」
「そんな物はございません」
「では、わたしが……」
ソンは彼女の背中を抱いた。
「明月はどうでしょう?あなたには月の光が良く似合う」
月光の君……そう言ったところ
そのころ、
夜、カヒは具合が悪いと誰も通さなかった。王子は尋ねてこなかった。何故なら、東のお妃が懐妊したからである。喜ばしい出来事が重なったヘンは東のお妃と飲み明かしていた。
異国の舞姫、宮妓、相撲、音楽…
ヘンは太子のような豪華絢爛な宴を一晩中続けた。それを諌めたのは大后である。
そればかりではなく、大后はヘンに自分の姪を妃に薦めてきた。
少妃でいいから、っと妥協されたら仕方がない。
大后はこの先、小后の存在を知られても良いように布石を敷いたのである。流石に姑を傷つける「息子」はいないだろうと言う安易な考えだった。
「ヘン、東のお妃が懐妊にして嬉しいのはわかっています」
「あまりの喜びに……軽率でした」
そこに太子が現れた。
「いや、構わないよ。大后には初孫なのだ。それに私は派手な事ながあまり好きではないのだ」
「ヘン、良き兄を持ちましたね」
こうしてヘンの元に少妃が入内した。
カヒは思う……女はいつも欲を満たされる消耗品なのよ。
いずれ、少妃も……




