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莫愁

 ソンとアヒョン公主の婚礼は粛々と進行された。儀式に次ぐ儀式にソンは飽きていた。

 これがアヒョン公主ではなく、カヒであればと何度も何度も思うのだった。

 あの時、カヒと逃げれば良かった、っと酷く後悔した。

 ソンと公主は向き合うと老いた侍女から二つに割られた瓢箪(ひょうたん)を渡された。

 これで酒を酌み交わせば正式な夫婦になる。

 ソンは瓢箪の酒を一気に飲むが、アヒョン公主は少しずつ唇を潤すように飲んでいる。

(呑気なのか、緊張してるのか……)

 ソンはウナクに目配せをして公主の瓢箪を酒が飲み終わる前に奪い取らせた。

 こういう役目は全てウナクである。ウナクは有能な部下であり、憎まれ役である。

 老いた侍女は明らかにウナクの行為に嫌な表情を浮かべた。

 それはウナクへの軽蔑も含んでいた。

 たかが、武官が高貴な公主の婚礼を邪魔したからだ。しかし、ウナクの行動はソンにとっては些細なものであった。

 鏡の君はゆっくりと上座に座る二人の前に出て祝いの言葉を述べた。

「こたびはおめでとうございます。梧桐の鏡をご用意いたしました。わたくしめからの祝いの品です」

 鏡の君は鏡の入った箱を差し出した。

 梧桐は夫婦の印であった。これは唐時代に活躍した魚玄機ぎょげんきの詩にもでてくる。

 梧桐は夫婦円満を意味するから、彼女は選んだのだろう。ただ、鏡の君が純粋な気持ちで鏡を選んだのかは定かではなかった。

 多少の嫉妬は混じっていたはずだろう。

「梧桐を選ぶのは教養がおありなのですね」

 アヒョン公主のゆったりとした口調の言葉を聞いて鏡の君は微笑んだ。

「わたくしめは女官でしたので教育係から仕込まれました」

「噂は少々……今度、詩書を片手に語り合いたいものです」

「はい。ご教授くださると嬉しゅうございます」

 鏡の君はそういうと柔和な笑みを浮かべながら席に戻って行った。しかし、瞳は何か挑発するようなものがあった。

 アヒョン公主側の侍女たちはざわついた。鏡の君はこれまで屋敷の差配、家政を取り仕切ってきた。

 梧桐の鏡を贈りながらも、その瞳は「女主人は私」っと言っているようなものだった。

「公主さま、あなたを困らせないように差配は今まで通り鏡の君に任せます。良いですね?」

 ソンはアヒョン公主に尋ねると彼女は控えめに頷いた。

 アヒョン公主は内心で鏡の君に嫉妬を覚えた。そして生まれて初めて「仕返し」という言葉を知った。

「公主さま!」

 宮中から付き添ってきた乳母の慎夫人しんが声を荒らげた。

「妾に差配を任せてはいけません!旦那様もお考えを直してくださいませ」

「なりません。鏡の君は妾ではありません。次婦(じふ)です。これは皆さんの顔合わせの時に侍女頭から説明を受けてください」

 慎夫人は何か言いたげだったが、言葉を飲み込んだ。

 このソンの判断は庶妻側と公主側との軋轢を生むことになる。

 特に慎夫人は鏡の君を敵対視するようになった。

 婚礼の儀式が中盤に差し掛かると舞姫たちがくるくると体を回しながら踊り出す。

 ソンは大后から下賜された葡萄酒を持ってこさせて味わった。

 ウナクは飲みすぎないかと心配になる。その心配は初夜にも及んでいた。

 酔ってアヒョン公主の部屋に向かわず、誰かの部屋に行かないか心配だったのである。

「旦那様、飲み過ぎないように」

 ウナクが小声で言うとソンは静かに手を挙げた。まるでウナクの言葉を制するようだった。

(大后さまの意志であるから、初夜くらいは……でも、心配だ。なんせ、公子さま、いや旦那さまは美女しか知らない。烏姫を召し上がるかどうか……)

 ウナクは気づかれないようにため息を吐いた。しかし、ソンには気づかれていた。


 皆が寝静まる頃、アヒョン公主たちの侍女たちは落ち着かない様子であった。

 アヒョン公主の部屋には香が焚きしめられ、ざくろや桃といった果物、西域の酒が用意されていた。

 寝台にはアヒョン公主が身動ぎもせず座っている。

 自分の書いた物語に出てきた貴公子が今からやってくる……

 そう思うだけで胸が張り裂けそうだったが、緊張の方が勝っていた。

 慎夫人から初夜の作法は聞いていたが、相手はあの放蕩公子と言われた男だ。

 何をするのか分からない。

「公主さま、慎です。入りますよ」

 慎夫人が寝所に入ってきた。彼女の顔は明るい。それでアヒョン公主は悟った。

「旦那さまがお見えですよ!」

「え、旦那さまが!?」

「当たり前ですよ!公主さまはここ女主人。おまけに公主が正室となれば初夜には必ず現れますよ」

「そうね。わたくしは正室ですものね」

 その言葉を聞いた慎夫人は喜びながら寝所を後にした。入れ替わるようにメヒャンに先導されながらソンが現れた。

 ソンは髪を垂らし、いかにも楽そうな着物を着ている。

「二人きりにさせてください」

 ソンはメヒャンに柔らかな口調で言うと彼女はいささか不機嫌そうに寝所を後にした。彼女はおこぼれを狙っていたのである。

 男主人が妻の侍女に目をかけることは多々ある。おまけに初夜を奪うこともできた。

「旦那さま……」

「この婚礼衣装はきつそうですね。それに面紗も……」

 ソンはアヒョン公主の面紗を捲った。

(噂通りの烏姫だ)

 しかし、ソンの手は止まらなかった。帯を解き、一重、二重と着物を脱がせていく。

 そのたびにアヒョン公主の頬が紅色に染まる。

 薄衣を脱がせると痩せた体が姿を表した。

「緊張していますか?」

 ソンはこの痩せた体に魅力も何も感じなかった。しかし、誰かと重ね合わせて抱く事はできる。

「さあ、おいで」

 ソンの手が肌に触れる。アヒョン公主は思わず身構えた。しかし、これは正室の務めと息を整えた。

 公主はゆっくりとソンに包まれていく。

 アヒョン公主は今までにない温かさと訳のわからない冷たさを感じた。

 不思議な夜にアヒョン公主は溶かされていった。ソンが別な温もりを思いながらと知らずに全てを任せた。

 夜に溶かされた後。

 アヒョン公主は少し眠った。

 目が覚めると隣には素肌で眠るソンがいる。

 何か愛おしさが込み上げてきた。

「私の貴公子……」

 彼は狸寝入りを決め込んでいた。

(私は烏姫の貴公子に成り下がったのか……私の魂はカヒと共にあるのに)



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