族姫
部屋の外が騒がしい。
大后は自ら部屋の外にでた。
「騒がしいと思えば、ソン公子ね」
「大后さま」
ソンは頭を下げる。
「頭を上げてちょうだい。公子、何をしていたの?」
大后は鋭い氷のような眼差しで彼を見つめる。彼女は人の温もり全く持ち合わせない。
残酷非情。そのくせ怜悧。
いつまでも変わらない月、そして玫瑰のような顏。
彼女は憎いところを全て持ち合わせ、全てを手にした最高の女媧である。
「いえ、何も……」
そこに女官がやって来て大后に耳打ちする。
大后は妖艶な唇から、ソンの心を刺すような言葉を放った。
「何か嗅ぎ回っていたのでは?」
「何を嗅ぎ回るというのですか?私はなにも……」
ソンはなるべく彼女の瞳を見ようとした。
だが、彼女の視線は矢のように射抜いてくる。ソンは驕り、逆らった妃嬪たちの末路を知っていた。
「大后さま、今は東のお妃さまを案じてください」
「なぜ?」
大后は冷徹な表情を変えずに聞き返す。
「いえ、何でもございません」
「あなたは東のお妃の難産は私が原因だと思うのかしら?」
「そのような……」
「あなたは壁に耳あり障子に目あり、と言う言葉をよく知ってるはず。この後宮の主はだれ?」
とても低い声で切り裂くように大后は尋ねた。あの放蕩公子でも、この女媧の前では全てが無意味である。
「公子がしていることはお見通し。早く身を引くことね。さもないと……」
大后はすっと、ソンの耳元に顔を近づける。
「一族を滅ぼしてやる」
そう告げると大后は部屋に戻って行った。
ソンは全身の力が抜けそうになった。あのような女は初めてだった。
ソンは思う。
(あの女を抱いた陛下は何を考えているんだ)
大后は毒があり、棘のある「危うい花」だ。
決して近寄ってはいけない。関わってはいけない。ソンは軽い目眩を覚えた。そして「危うい花」から漂う色香に惑わされそうになった。
「公子!」
宮闈から戻ってきたウナクが駆け寄ってきた。
「どうなさいましたか?顔色が悪いです」
「大后に気づかれた。ミョンウォルを連れて別邸に帰りましょう」
「はい。宦官らには体調不良と告げておきます。それより……あの巫女は?それに鏡の君は?」
ソンは少し考えて答えた。
「巫女には私に仕えてもらいます。そうでなければ私の命はないのです。それにあの巫女には名誉と言うものですよ。鏡の君は折をみて連れてきなさい」
(大后に何を言われたんだ?巫女には罪はないのに。神に仕える女がこんな男に今度は仕えるのか?)
ミョンウォル、巫女と合流したソンは輿に乗り込み王宮から出ていった。
巫女はガタガタと体を震わせている。この巫女には男は不浄な対象であった。
彼女は祭天金人と言う、何ら不気味でよく分からないに仕えている。
それならば、花も恥じらう美しい彼女を巫女と言う役割から解放しよう、そうソンは思う。だが、彼女を純潔のままにするのも楽しいと想像した。
「公子さま」
ミョンウォルの声でソンは我に返った。
ミョンウォルはすかさずソンに尋ねた。
「なぜ、帰るのです?東のお妃さまは良いのですか?」
「正直に言います。とある権力者から圧力をかけられたのです。この件から手を引かないと私もあなたの命もない……わかりますね?」
ミョンウォルは不安そうに黙り込む。
だが、もっと不安だったのは巫女である。これから自分が迎える運命を薄々と感じていた。そして仕える対象が祭天金人ではなく、この不浄な男である、っと。
この後、東のお妃は娘を産んだ。酷い難産であったが、ソイや鏡の君らの尽力で産声が宮中に響いた。その二人の尽力は大后には目障りだった。
娘は姫御子と呼ばれ、細群氏の血を引く族姫が産まれたのである。
大后が館に戻ると青磁の花瓶を思い切り床に叩きつけた。
「あの狐媚惑主め!細群の族姫を産むなんて……女は血を広げられる。男より面倒だ!」
大后の怒りは収まらなかった。そとに控えていた女官も動揺して顔を見合せている。
「乳母さまをお呼びに?」
控えていた女官が口々に言う。女官の一人が意を決したように言った。
「お呼びしましょう」
女官は乳母を呼びにその場を後にした。大后の乳母は唯一、彼女に意見を言える存在であった。そして乳母を呼ぶ理由はもう一つある。
「乳母さま!」
乳母は館の隅に住んでいた。乳母には子どもがいた。その子どもは侍衛獄司として務めている。
「あら、どうなさったの?」
乳母は庭先に出ていた。女官の表情で乳母は全てを悟った。深々とため息をつくと大后の元に向かった。
大后の寝室に乳母は取次なしに足を踏み入れると彼女は恨めしそうに座り込んでい。
髪は乱れ、翟衣は破け、部屋は割れた花瓶が散乱している。
「お嬢様、何を怒っているのです。本当に昔からの癇癪が治っていないのですね」
「洪宗を呼んで!あなたの息子なら獄舎から出せるでしょ!!!」
「また、あの男と繋がっていたのですか!?なりません!」
「なら、ここで命を絶つわ!私が死ねば余氏の栄華は細群氏に奪われるのよ!」
大后は持っていた小刀を白い首筋に当てた。
「細群氏の姫御子なんて、取るに足りません」
「ばあや、それでも辛いの!悔しいの!この昂った感情をホンジョンに向けるのもいけないないの?」
乳母は諦めた。このやり取りは堂々巡りだ。
「ホンジョンを呼びます」
乳母は老いて小さくなった背中を向けて部屋を後にした。大后は鳳冠を外して鏡を見つめた。
栄華で満ちた余氏の族姫は自信に溢れている。そして地位を守るために残忍だ。
大后は紅を取り出し、指で塗り直す。紅さし指がほんのり温かい。
「私にも温かさが残っていたのね」
そう呟くと天を仰いだ。




