秘めたる想い
シウが辺境に旅立つ日、ソンは馬を走らせて京の外れに見送りに来ていた。
シウは珍しく目に涙をためている。それもそのはずだ。
シウの妹と弟も見送りに来ていたからだ。
「ソン、辺境の地にいても手紙を書くよ」
彼の声が震えている。
「シウ……きっと、戻れるさ。きっと大丈夫だ」
そこに妹のキョンビがシウに言葉をかけた。
「お兄様、早くお戻りになられてください。私が嫁ぐ前までには……」
シウはくすりとした。
「キョンビ、二年後だな。ペクゲ、お前は泣き虫を治すんだぞ」
「はい!」
キョンビとペクゲの言葉を聞いたシウは辺境の地へ従者を連れて、馬を走らせた。馬が見えなくなるとキョンビとペクゲは我慢していたのか声をあげて泣いた。
「二人とも屋敷に帰りましょう。泣くのはおやめなさい」
二人は小さく頷くと輿に乗り込んだ。
シウの向かう辺境の地は寒冷地である。そこにある城、解鳴城の城主として赴任するのだ。
おまけに何度も何度も隣国の侵攻を受ける土地でもあった。ここの城主になるということは、全く気が休まらないことに等しい。
ソンはこの二人の将来を案じた。
実家の屋敷には居場所がない。継母に虐げらながらの生活は地獄だ。それにシウに頼まれたのだから、最後まで世話をするべきた。
「ウナク、本邸に向かいます。キョンビとペクゲは別邸に」
「かしこまりました。公子さま、珍しいですね。本邸に向かわれるなんて」
「実家に寄るのが悪いことですか?」
「失言でした。お許しを……」
キョンビとペクゲは別邸に向かい、ソンは久しぶりに本邸へ足を運んだ。
本邸には大公夫妻がたくさんの侍女や侍従が住んでいる。もちろん、女主人はイェ氏である。
イェ氏は由緒正しい家柄の娘であった。おまけに教養高く、琴の名手で趣のある演奏をすると評判だった。
なぜ、その評判の娘が老い始めた大公の後妻になったのか。
それは彼女が庶女だったからだ。イェ氏は評判よりも血に負けたのだ。イェ氏の生母は侍婢だった。卑しい身分の名前のない女だ。
だから、彼女にも名前はない。
本邸の塀から見える木々には夏の花が咲き始めている。
この早さは春はどこに行ったのだろう、っと思うほどだ。
正門でウナクとソンは取り次いだ。しばらく待っていると老いた侍女が現れて、中に入るように促した。
「大公さまは?」
ウナクが老いた侍女に聞くと何回か聞き返して告げる。
「釣殿でございます」
老いた侍女は二人を釣殿まで案内するといつの間にか消えていた。持ち場に戻ったのだろう。
「父上、お久しぶりです」
釣殿には脇息にもたれる大公と鯉に餌をやるチンがいた。その脇には無表情のイェ氏が座っている。
「おお、ソン。久しぶりだ。ソン、ウナク座れ」
ソンは言われた通りにした。ウナクは少し後ろに座った。
「継母上も父上とご一緒でしたか」
イェ氏は顔を不機嫌そうに背けた。
「一緒で悪いのですか?」
ウナクは思った、
(また機嫌が悪い……この人は感情が不機嫌しかないのか?)
っと。
場をとりもつようにソンがイェ氏に優しく問いかけた。
「釣殿は涼しくて良いですね。夏になれば、もっと気持ちよく感じるでしょう」
「さあ?」
イェ氏はぶっきらぼう過ぎる。
これにはソンもお手上げであった。
そこにチンの愛らしい声が聞こえてきた。それでもイェ氏は無表情を貫く。
「父上、餌がなくなったよ!もっと欲しい!」
「あはは!チン、餌が欲しいか!どれ、父と行こう」
この息が詰まりそうな雰囲気に嫌気が差していた大公はチンの手を引いて釣殿を後にした。
「ウナク」
「公子さま、いかがなさいましたか?」
控えていたウナクにソンは目配せをした。
一瞬、ウナクは動揺した。
「ウナク」
「はい。外に控えております」
ウナクはソンの意図が分かった。
ソンはイェ氏と二人きりになりたかったのである。
イェ氏はまだ顔を背けていた。しばらくの静寂後にソンは口を開いた。
「継母上さまは私がお嫌いですか?」
イェ氏の鼓動が強くなる。今にも響きそうだ。
なぜ、そんなことを聞くの──?!
「当たり前です。あなたは跡継ぎ、わたくしはチンを跡継ぎにしたいのです。嫌って当然」
そこでようやくイェ氏はソンに顔を向けた。
言葉の悪辣さは表情には浮かんでいなかった。おまけに泣き出しそうな瞳の潤みがみえた。
「継母上さまは、本当に私を嫌っているのですね。分かりました……跡継ぎはチンにしましょう。その代わりお願いがあります」
「何かしら?」
「シウの妹、キョンビを行儀見習いとして……どこか仕えさせてはくれませんか?」
「ご自分でなさることね。あなたの女の人脈をお使いあそばせ」
イェ氏は立ち上がろうとした。
その瞬間、ふらついてソンにもたれるように倒れた。
「継母上さま、お怪我は?」
「ソン……」
顔をあげたイェ氏は涙を流していた。頬が赤く染まり、火照っている。
「継母上さま、まさか……」
「誤解なさらないで」
イェ氏はソンから体を離して、少し乱れた髪で釣殿を後にする。そして、ちらりと遠くに見えるソンを見つめた。




