花降り祭り 8
プリマベル王国では1日に、大小合わせて24の鐘が鳴る。この鐘は、各領地と王都、それぞれに数十ヶ所ずつ存在している大聖堂や教会が管理する国内最大級の魔道具だが、各々、ばらばらに動いているわけではない。王都の大聖堂に存在する魔道具が、国内全域に分布する大聖堂や教会の魔道具の母体であり、全て、この母体に連動して動いている。
細かく時間を定めていないプリマベル王国だが、大まかな時間を判断するのに重要な鐘である。領地によって、教会によって鐘の鳴るタイミングが異なっては、国民が困る。だから鐘の魔道具に母体という存在があることも、すべてが連動して動いていることも当然と言えば当然のことなのだが、季節のお祭りの時、特に祭祀が始まる時、王都の大聖堂で、国内最大の魔道具の母体である鐘の音を聞くたびに、これ以上ないほどの感動で胸がいっぱいになる。
大鐘と小鐘の、大きく2つに分類される鐘は、大鐘の方が重く音に厚みがあり、神聖さも感じられる。対する小鐘は、大鐘よりも軽やかな音の集まりで、どこか親しみを感じる。
近くで聞いた時、思わず感嘆のため息をついてしまいたくなるのは大鐘だけれど、私は、親しみを感じられる小鐘の方が好きだ。近くで、それもよく聞くと、音の響きが、振動が、大鐘よりも繊細であることを感じ取ることができるから。それはすなわち、小鐘に設計されている音が、大鐘よりも複雑であるという事だ。同じ1つの魔道具なのに、音の設定の違いを感じることができる。
祭祀の始まりを告げる鐘は、大鐘の間の小鐘だ。小鐘は大鐘よりも軽やかに感じるとは言え、近くで聞くと、遠くで聞いている時は感じられない、ビリビリと空気を震わせる鐘の重みを肌で感じる。このままいつまでも鐘の余韻に浸っていたいけれど、今、私は公爵様達の護衛任務、という仕事中だ。気持ちを戻して、展開している魔術に意識を向けて集中する。
私同様、各領地の護衛達は壁際に控え、貴族達は中央に整然と並んでいる。貴族達の前には、小柄な女性の背丈ほどはある台座が置かれ、その上に、人の頭ほどはある巨大な魔石が置かれている。更に魔石の奥には、大小様々な聖杯が、左右にずらりと並んでいる。祭祀のたびに見ている光景だけれど、こうして国内に存在するすべての聖杯が並んでいる様には、毎度圧倒される。
鐘が鳴りやむのを待って前に進み出てきたのは、王都の大聖堂の司教様だ。頭の上からつま先まで、全身を白い——服というよりは巨大な布と言った方がしっくりくる——衣で纏い、口元を半透明のベールで隠した姿は、男性であるのに、どこか女性のような麗しさを感じる。辛うじて見えている目元の雰囲気からか、それともゆったりとした柔らかい動きからか。
前までやってきた司教様は、巨大な魔石の前で立ち止まると、頭を垂れ、両手を合わせた。祈りをささげる姿勢だ。
「すべての愛し子を支え、受け止められし神々を覆い隠す雪が溶け、新たな命が芽吹き、光が差し込む春が訪れました。北の大地にヌンティアツィーナが、南の大地にサルヴィーノが、東の大地にエルネスティーノが、西の大地にヴィルヘルミーナが加護を与え賜いし我が国に、すべての神々の主であるマリアーチェロの守護のもと、変わらぬ平穏が続きますことをここにお祈り申し上げます」
中性的ではあるものの、少し低く厚みのある声で季節の祭りごとに異なる口上を述べた後、国の平穏を願う司教様は、祈りをささげたままその場に膝をつく。と、整然に並んで立っていた貴族達も膝をつき、握りしめた右手を胸に当て、左手を床につけた。彼らの右手には、それぞれ祭祀の時だけ使う特別な魔石が握られている。
「雪に覆われし時より溜まっておりました不浄なものを取り除き、雪解けの大地に花の香りを届け、命の芽吹きを祝福いたします」
司教様の言葉が終わった直後、彼の前の巨大な魔石が淡い光を放った。その光は徐々に強くなり、光から僅かに熱を感じたあと、一際強い光を放ち、大聖堂内に、それからおそらく国内全域に光の粒が降り注ぐ。巨大な魔石とそれぞれの手に握られた魔石をもとに、国内全域の魔力濃度が調節された。
展開している魔術越しに外の歓声を感じながら、1つ瞬きすると、司教様は膝をついたまま、顔だけを上げた。
「次に母なる月明かりが大地に降り注ぐ時まで、アリアーチェロの守護が変わらず続きますことを祈り、神々への感謝をここに誓います」
再び深く頭を垂れた司教様は、頭を下げたままゆったり立ち上がると、足音を立てずに並ぶ聖杯の中央を通り、司教座に腰掛けた。
司教様が腰掛けてからも、貴族達は姿勢を変えない。このまま彼らは、聖杯に魔力を注ぐことになる。
「清らかな春のぬくもりを感じられる今日、我々の魔力を捧げることをお許しください」
司教様が腰掛けてから祭祀の言葉を口にしたのは、プリマベル王国で最も北に位置する領地、ビアンコ領を治めるウリーヴィ公爵様だ。続けて他の貴族達も、声を揃えて同じ言葉を口にする。
彼らが言い終わるのを待って、ウリーヴィ公爵様はまた口を開いた。
「アリアーチェロ様をはじめとする神々と、神々の遣いである【ウニロ】の皆様方が、今後も我が国と民を見守り、お導きくださいますよう」
「ひとつ、花の恵みを」
「ひとつ、水の恵みを」
「ひとつ、木の恵みを」
「ひとつ、風の恵みを」
「ひとつ、星の恵みを」
「ひとつ、火の恵みを」
「ひとつ、月の恵みを」
「ひとつ、土の恵みを」
ウリーヴィ公爵様に続き、ロゼオ領の貴族、アッズーロ領の貴族、アランチョ領のマリク公爵家、ヴェルデ領のレオーネ公爵家、ヴィオーラ領の貴族、ロッソ領の貴族、ジャッロ領のエミリアーニ侯爵家、そしてネーロ領の貴族が、順に声を揃える。
「ここに、生命の恵みを捧げます」
最後に、もう1度ウリーヴィ公爵様が口にして、大聖堂内に魔力による光が満ちた。
貴族達が触れる床を通り、聖杯の真上の、天井の装飾が淡く光を放つ。その光が大きな球体となり、みるみるうちに大聖堂の天井一帯を覆う大きさになり、魔力の雫を降らせる。まるで、美しい光の花弁が空から舞うかのように、美しい光景だ。
球体から降り注ぐ魔力の雫は、美しい音色を奏でるように、音を立てて聖杯に注がれていく。
すべての聖杯に、魔力の光が並々に注がれたあと、光の球体は小さくしぼみ、最後は弾けた。魔力でいっぱいになった聖杯は、僅かに光を放っている。
「次の【月影祭り】も無事に迎えられることをお祈り申し上げます」
最後に、ウリーヴィ公爵様が締めくくり、祭祀は無事に終わった。
いつのまにか張られていた空気が緩み、穏やかな雰囲気が溢れる。護衛達も息をつき、肩の緊張を緩ませている。
でも私は、緊張を緩めることができなかった。展開している魔術越しに感じられる外の気配が、祭祀が始まる前と比べて沈んでいたから。
大聖堂の中から外を見ることはできない。窓がないわけではないが、窓ガラスには外から中が見えないように、中から外も見ることができない特殊な加工がされているから。
何があったのか、起きているのか、魔術で探ることはできた。でも、そうする前に、外の様子を知ることができた。
祭祀が終われば、貴族達は外の祭りに参加する。魔力の注がれた聖杯や、巨大な魔石は教会に所属する者しか触ることができないから、いつまでも大聖堂にいても邪魔になるだけだ。
だから、1番入り口に近かった護衛が扉を開けたことで、外の様子を、即座に知ることになった。
「雨……」
誰が呟いたのかわからなかったが、きっと、みんな同じ気持ちを抱いていたと思う。
春の祭り【花降り祭り】で王都が1日晴れると、次の【花降り祭り】まで、他国との諍いがなく平和に暮らすことができる。逆に、雨が降ってしまうと、王国に災いがおとずれると言われている。
王都に来た時とは一転して、冷たい雨が降り注ぐ光景は、何やら不吉な予感を私達に植え付けていった。




