花降り祭り 3
私自身が祝われる対象だと気づいても、仕事がなくなるわけではない。
「エレナさん、おはようございます」
「……おはようございます」
僅かなズレもなく、転移術式によってレオーネ公爵邸の中庭にやってきた私は、今日も、やはりエルトン様に出迎えられた。直前に呟いた私の声までは転移してこなかったみたいで、そっと息をつく。
家でぐずぐずしていた時間は長かったけど、いつもより早く目が覚めた私は、ずいぶん早くに到着してしまった。にもかかわらず、エルトン様は私を出迎えるためにここ、中庭にいる。一体、いつからここにいたのだろう?
気にはなるけど、今考えることではない。まずは公爵様方に挨拶をせねば。
「エレナさん、こちらへどうぞ。準備はできております」
「? はい……」
準備とは何ぞや? と思いはしたが、きっとエルトン様に案内された先に公爵様がいるのだろう、と考え、大人しくついていく。……が、これがよくなかった。
彼に案内されるがまま、春の花が咲き乱れる中庭に目を向ける。
プリマベル王国の中でも南の方に位置するヴェルデ領は、毎年、王都で春の祭り【花降り祭り】が開催される1か月以上前に春が訪れる。雪解けを合図に各領地で開催される“春の訪れを祝う祭り”も、ヴェルデ領では【花降り祭り】の、多少前後するものの、1か月前に開催されるのが当たり前となっている。今年は春の訪れが例年より僅かに早かったようで、1か月半前に終わっているのだが。
どちらにしても、ヴェルデ領はずっと前に春を迎えている。当然、ヴェルデ領の中でも南の方に位置するレオーネ公爵邸の花々は、春の初めに咲く花から春の終わりを彩る花に、そして少しばかり気が早かったのだろう、夏の始まりを喜ぶ花たちに、すっかり移り変わっている。プリマベル王国を象徴するアグリアの花は、春の始まりに咲く木花だから、すっかり綺麗な白い花弁を落として小さな実をつけている。
次にここ、レオーネ公爵邸のアグリアの花が咲く時には、私はシルヴィオ様の護衛任務と、エミリオ様の家庭教師の仕事を終えていますように。ボンヤリしながらそんなことを願っていた私は、足を止めたエルトン様がドアをノックした後、彼が自ら扉を開けたところを見ていなかった。だから当然、開いたドアの先にいるのは公爵様だと思い込んでいた。でも違った。開いたドアの先で、私を待ち構えていたのは、どこかでよく見た覚えのある使用人3人で、部屋のどこにも、公爵様の姿はなかった。
仮にこの部屋に公爵様がいた場合、ノックした者、つまりエルトン様がドアを開けることは、貴族のルールとして許されることではない。でも室内にいたのは使用人3人だ。エルトン様からドアを開けたとしても責められることはない。
だから、エルトン様がドアを開けた時点で、私は公爵様がこの部屋にいないことに気づくべきだった。そして、エルトン様が言っていた準備という言葉を理解しているべきだった。なのに、ぼんやりしていたせいで、私はエルトン様がドアを開けていたことに気づくことができなかった。しかも、明らかに私を待ち構えていただろう3人の使用人と、その後ろにあるものを目にしても、素早く状況を理解することができなかった。
まあ、つまり、はっきり言ってしまえば、エルトン様がドアを開けた時点で、私の逃げ道は絶たれていたのである。
公爵様がいない代わりに、部屋の中には、これまた見覚えのある、豪華かつ実用的な化粧台が置かれていた。それから、華やかなワンピースを着せられたトルソーがひとつ、静かに私を見据えていた。
「……え?」
このワンピースは誰が着るものなのだろう。こうまで準備が整えられていて、これからおめかしされるのは誰なのだろう。
私の姿を写した使用人達の目が光り輝いている時点で、これから何がなされるのかわかってしまっている。
それでも、もうないに等しい希望の光にすがって、脳内では違う答えを求めて、答えのわかりきった疑問がぐるぐる頭の中で駆け巡っている。背中をツツ、と嫌な汗が伝っても、思考を止めることはできない。
「では、4の鐘が鳴るころ、迎えに参ります」
「ぇ……あ、まっ……ぅんぅ……」
引き留めることなどできず、私を置いて出ていってしまったエルトン様が戻ってくることはない。
行き場を失った手を下ろすこともできず、閉められたドアをどうすることもできずに見つめていると、後ろで何かが動く気配がした。
いや、何かが、ではない。私を待っていたらしい使用人3人だ。どうやら私に逃げ場はないと、認めざるを得ない。
流石、公爵家に雇われている使用人である。足音も立てずに私の背後に迫っていた3人は、上品な笑みをたたえ、でも、目だけはらんらんと輝かせている。
「エレナ様、ご安心ください。とびきり可愛らしく仕上げますので」
「ひんっ……んぅ。……は、はひ……」
逃げられないとわかっていても、腰が引けてしまうのは仕方がないこと。
安心しろ、と言われても素直に安心することができないけれど、そんな私の心境など知る由もない3人は、私を解放することはない。
約ひと月半ぶり、私がシルヴィオ様護衛の依頼を受けた時ぶりに彼女らに取り囲まれた私は、エルトン様が迎えに来る直前までされるがままだった。




