呆気ない解放 3
嫌味のない豪華な内装と、目の前に座る水色の髪の男の子は、私の記憶にある1ヶ月前と何も変わっていない。
ひと月は4週間で、私がここに来たのは4週間前が最初で最後だ。
ひと月経ってしまえば、気候は大分変わってくる。
1ヶ月前とは違う、内装を邪魔しない花はプリマベル王国では見たことがない。この花も、きっとヴィノリーナ皇国特有の品種なのだろう。
そういえば、プリマベル王国よりも北に位置するヴィノリーナ皇国は、プリマベル王国とは、1年を通した気候がまったく違うらしい。
プリマベル王国の中心である王都はすっかり春の気候だけれど、プリマベル王国内でも気候は大きく異なる。だから王都よりも南に位置しているヴェルデ領は今が春の花の見頃なのに対し、国内最北端での国境を持つビアンコ領では、まだ雪が溶けない地域もあるらしい。
プリマベル王国よりも北に位置して、1年の半分以上が冬のヴィノリーナ皇国は、今はまだ冬のはず。もしかしたら、この花は冬の花なのだろうか。
いつもだったら気にならないことで、気になったところで帰ってから調べようと思う。しかも、目の前には他国の皇子とその護衛がいる。普段であれば、意識が遠のきそうなこの状況で関係ないことを考えることはない。頑張って笑顔を貼り付けているような状況だ。
なのに、笑顔を取り繕うことよりも、どちらでもいい花のことを考えているのは、わけがわからなくなりそうだからだ。目の前の彼、4週間ぶりにこの部屋にやってきた時からずっと変わらない笑顔のティルソン様が、何のために私を呼び出したのか、考えるだけで頭の中に迷路が出来上がる。
少しでも考えないように試行錯誤した結果、私は笑顔を捨てて思考を彼方へと飛ばすことにした。
「…………」
ヴィノリーナ皇国には、ガラスみたいに綺麗な花があると、本で読んだことがある。たしか、ヴィノリーナ皇国を象徴する花で、国旗にも入っている。
(あ、そう。ちょうどこんな感じの形をしていた……って、ティルソン様の服のボタン、もしかして全部同じ花のデザイン? しかもすごい繊細で細か…………)
「んぇあ!?」
前のめりになってティルソン様のボタンを観察していたところ、視線を感じて目をあげると、笑顔のままのティルソン様と目が合った。
「ぁ……ぇと、申し訳、ありません……」
「…………」
不躾にまじまじと観察してしまったことと、突然変な声を出してしまったことを謝るけれど、ティルソン様はやっぱり何も言わない。私がこの部屋に入ってきてから、ひと言も言葉を発していない。何も言わずに、笑顔のまま、ヴィノリーナ皇国からティルソン様とともにやってきた護衛に促されてティルソン様の正面に腰掛けた私を、じっと見つめて動かない。
(こわいこわいこわい!! なんで何も言わないの。話があるから呼ばれたんじゃないの? って言うかモナさんが受け入れるか気になるんでしょ。気になってるんなら早く聞いてよ。ねえ、なんで何も言わないの!?)
結局、思考を彼方に飛ばし続けることはできなくて、何を考えているのかわからないティルソン様のことで、頭は忙しく回転する。
ただ、何も言わないこの状況も耐えられないけど、モナさんのことを聞かれたとしても困らないわけではない。聞かれたら聞かれたで、限りなくゼロに等しい、モナさんがティルソン様の申し入れを受け入れる可能性が上がるわけではないから。
それでも、何を考えているのかわからない笑顔でずっと見られているより、気持ちは何倍も軽くなる。
(誰でもいいから何か話してよぉ……シルヴィオ様でもエルトン様でもアーウィン様でもいいからぁ……)
私は今日お休みの日だけど、シルヴィオ様達は仕事があるらしい。せっかくの休みに、会いたくもない人に会っている私と違って、シルヴィオ様達にはティルソン様の護衛という仕事がある。
仕事中に、しかも護衛対象が他国の皇族で、すぐそばにいるこの状況での私語は、常識としてあり得ない。シルヴィオ様達が何か話すとは思えない。
(むぬぅ……いっそのこと、ティルソン様の後ろにいるお2人さんでもいいからぁ……)
名前も知らないティルソン様の護衛の2人は、私がここに来た時から変わらず澄ました顔だ。眉ひとつ動かない。魔力もずっと安定している。
「…………」
いや、表情は変わらないけど、2人とも、何も言わないティルソン様を伺っている。時々ティルソン様に目を向けているし、魔力が少し、困ったみたいに揺れている。
だからといって、2人の護衛にも、この状況をどうにかすることはできないのだろう。
「!」
一瞬、私と目が合った護衛の1人——黒髪の男性——は、気まずそうに目を逸らした。魔力からは、僅かに申し訳なさを感じる。
(……もう……誰でもいいからこの空気を壊してよ……)
「エレナ・フィオーレ」
「!! ……はい」
気まずい空気に耐えられなくて、早く家に帰りたくて、心の中で願ったことを叶えたのは、この空気を作っていたティルソン様本人だった。
顔をあげると、やっぱり変わらない笑顔のまま、ティルソン様は私を見ていた。
「私があなたにお願いしたこと、覚えていますか?」
「……はい」
「忘れてください」
「……………………? …………はい」
危なかった。予想外のことを言われたせいで、ティルソン様が皇族であることを忘れて、素で反応するところだった。ギリギリ、取り繕うことができた。
でも、当然ながら、取り繕えたのは表面上だけだ。
ティルソン様が言ったことを理解できなくて、脳内には疑問符が満ちている。
「話は以上です。時間をいただきありがとうございます」
でも、取り繕った私は、いかにも理解できていますよ、という反応をしていた。
だからティルソン様の話は、私が理解できないまま終わりそうになっていた。
「ぁ、の…… わた……じゃなくて、モナさ……ラムレイ令嬢は、その……」
ティルソン様はモナさんのことを諦めるのか。
聞きたいけれど、どう聞けばいいのか困って言い淀んでいると、察したらしいティルソン様は笑みを深めた。
「もちろん、ラムレイ令嬢のことは諦めませんよ。アプローチを変えるだけです」
「……アプローチを、変える、ですか……」
「ええ。ぶつかるだけの状態は愛が伝わるかもしれないですが、私のことは伝わらないので。引き続きラムレイ令嬢に愛を伝えつつ、私は私のすべきことをします」
よくわからないけれど、私はティルソン様から解放されるらしい。
王立学院の時の、ジェフリー様のようになりそうで怖かったけど、こうもあっさり引かれると恐ろしさを感じる。
ただ、解放されるのは私だけで、モナさんは今後も解放されることはないらしい。ご愁傷様です。
(でもごめんなさい、モナさん。私には、ティルソン様をどうすることもできません)
「まあ、それに、皇帝から「目的を忘れるな」とお叱りを受けましたしね」
「?」
そういえば、ティルソン様はどうしてプリマベル王国にやってきたのだろう。
ティルソン様が来てから、もう1ヶ月半も経つのに、彼が帰国する気配はない。
「では、エレナ・フィオーレ。またお会いできることを楽しみにしています」
「ぁ…………近いうちに、ティルソン様のお姿が拝見できることを楽しみにしております」
気にはなったけれど、私を呼び出したティルソン様の要件はすんでしまった。
別れの言葉を口にした私はやっぱり、なぜかティルソン様の護衛という仕事があるはずのエルトン様に送られて、レオーネ公爵家経由で森の家に帰ってきた。
心は軽くなった一方で、疑問は深まるばかりの1日となった。




