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死せる彼女が生きる世界  作者: 山口はな


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十八話

 未だ悲鳴が残る家。不思議な事に外には漏れていないが、家の中は悲鳴で満ちている。御堂翔子の両親は、悲鳴から耳を塞ぎ震えていた。

 母親は気づいていなかった。確かに腕に抱きしめていた息子の姿が消えている事に。



 その家へ、姿を消した二匹の子狐が入り、そして出て行くのを闇の中から見ている者がいた。


「ばっかじゃない? いつまでも用の終わった家にいる訳ないじゃんねー。それにしても、もう少し楽しめると思ってたのに邪魔が入るなんてさ」

 ぷぅ、と膨らませた頬、尖らせた唇。可愛らしい少年だ。

「あ~んな鼠を琥珀が使うなんて、予想外だよ」

 そう独りごちたのは、御堂征弥。いや、元々御堂家は一人娘しかいなかったのだ。では、この少年は何者なのだろうか。


 少年が工事現場に鼠を呼び出した時、気まぐれで使鬼にした少女を琥珀が助けるとは思いもよらなかった。それがまさか、事態の解決にまで尽力するとは。

「あの面倒くさがりが、どういう風の吹き回しなのかな? 鼠に情が移った? まさかね」


 呪の返しは、その大半を翔子が受けたが、元々の術者に全く影響がない訳ではなかった。力が削がれており、これでは新しい遊びに取り掛かるのに時間がかかる。


「しばらくおとなしくしてるかー。でも、お返しはするべきだよね、うん」

 御堂征弥であった少年は、出て来た家を振り返った。


「──割と楽しめたよ。バイバイ、お姉ちゃん」


 くすくす、っと、軽やかな笑いを残し、少年は闇へ消えて行った。





「申し訳ございません、主様」

「申し訳ございません、琥珀様」

 少年姿の二尾と三尾が、琥珀の前に跪いている。


「やはり駄目だったか…」

「はい。呪の帰った先の家は見つけました」

「奴は、すでに姿を消しておりました」

「後を追っては見たのですが」

「我らには見つけられませんでした」


「仕方ない。僕はしばらく寝る。あれにも言っておけ」

「「かしこまりました」」





 あの夜から2日がたっていた。

 春は、助けて貰った琥珀にあたってしまった気恥ずかしさから、面と向かって顔を合わせられずにいた。

 これではいけないと反省した春は、今日こそはお礼を言おうと居間へ行ったのだが、いつものソファに琥珀の姿がない。代わりにそこでくつろいでいる子狐達に尋ねると、「「お眠りになった」」と答える。


 やはり負担がかかったのだろうか。気だるそうな琥珀の姿は、いつもと同じに見えたのだが、不調を隠していたのだろうか。

 そんな不安な気持ちを見透かしたのか、子狐達は馬鹿にするように大きくあくびをした。


「主様を思うならば、プリンを作れ」

「琥珀様の為に、大きなプリンをな」

「そうする」

 春は買い物に出かけて行った。


「──二尾。主様はいつ起きる?」

「早くて一年ではないか?」

「では、プリンは我らが食べればいいな」

「当然だろう」


 子狐達は、ククッと笑った。





 山本は公園のベンチに座っていた。

 あの日、『美春』と座っていたベンチだ。

 確かに捕まえたと思ったのに、逃げられてしまったあの日から、何度もこの公園に来ている。きっと近くにいると信じて、何度も何度も辺りを探し回った。だが、見つけられないままだ。


 サイレンがあちこちを走り回っていた忙しない夜。不思議な力を使っていた『美春』が、もしかしたら関わっているかも知れない。そう思ってサイレンを追ってみたが、やはり『美春』は見つからなかった。


 結局、誰もあの夜に何が起こっていたのか、分からないままらしい。

 人が燃えたと騒いだ者がいるが、その被害者が誰か分からないのだ。死体も残っておらず、この町で急激に増えていた行方不明者と照らし合わせる術がない。

 このまま、うやむやに終わるのだろう。


(美春ちゃん)


 もう会えないのだろうか。山本は鬱々とした気持ちで、ベンチの背もたれに体を預けて空を見上げた。空がきれいだったから、そう言って笑っていた『美春』を思った。

 その顔をのぞき込む者がいた。


「ねぇ、お兄さん。良いモノあげるよ」

 のぞき込み声をかけて来たのは、小学生くらいの少年だった。

「誰だい、君は?」

「ふふっ。内緒。これはね、悪い狐から身を守るお守りなんだ。あのね──」

 山本は、少年の話に聞き入った。




(悪い狐に魅入られている。そうか美春ちゃんは、騙されているのか)


 自分が死んでいると言った『美春』。あの時、脈を感じなかったのは気のせいだと、山本は思った。だって、体は温かかったのだから。きっと、悪い狐にそう思い込まされているのだ。


(僕が助けてあげなくては)


 少年の言葉を頭から信じ込んでいる不自然さに気づかぬまま、山本は立ち上がった。今の山本には何故か、『美春』のいる方向が分かった。


 熱に浮かされたような表情で公園を去る山本を、少年は見ていた。

 くすくす、くすくす、っと笑いながら。





 春はまっすぐスーパーには行かず、澄んだ空気になった町を散歩がてら歩いていた。

 これから琥珀の使鬼として生きていく。だが、好きにすればとしか言わない琥珀に、どう接すればよいのやら。

(なるようにしか、ならないよね)

 春は気を取り直すと、ようやくスーパーへと足を向けた。


 ──突然腕を掴まれた。


 焦る春が振り返ると、「みつけたよ」と山本が微笑んでいた。

「…先…輩…」

 春は、前回とは違う姿になっている。それなのに、山本は何故自分が分かるのだろうか。春は身をよじり逃げようとしたが、しっかりと掴まれている。力任せに振り払えない春は、山本について行くしかなかった。


 山本は喫茶店に入ろうとしたが春が嫌がったので、小さな公園のベンチに座った。

 くすっと、山本が笑った。

「どうしたんですか?」

「この間美春ちゃんに逃げられたのも、こんな公園だったなって」

「…すみません」

「また会えたから、それでいいんだ。ねぇ、美春ちゃん。やっぱり帰って来れない?」

「私は…美春じゃありませんから」


「そっか。それなら前にも言ったよね。僕と暮らさない?」

「……」

「祖母から受け継いだ家があるって、前に言ったよね。そこなら誰にも邪魔されない。名前が変わったなら、新しい名前で僕と一緒に暮らそうよ」


「……でも、私は…」

「死んでいるから、か。何度でも言うけど、君は変わってない。僕は、今の君も好きだよ」

 優しい言葉が春には辛かった。返事の代わりに、ただただ首を横に振った。


 山本が何と言葉を尽くしても、春は首を縦に振らない。振れないのだ。



「──美春ちゃん。分かったよ。どうしても、駄目なんだね。…ね、最後に少しだけ、僕に時間をくれないかな。君と暮らしたいと言った家に、一緒に来て欲しいんだ。君がそこにいたと、僕に夢を見せてくれないか?」

 真摯に見つめて来る山本に、春はそれ以上否定する事は出来なかった。

「先輩の話で、私も一緒に暮らす夢を見ちゃいました。──これで最後ですよ?」

「分かっている。ありがとう」


「あの先輩…。もう逃げませんから、腕を離して下さい」

 山本はしっかりと春の腕を掴んだまま、ずっと離してくれないのだ。

「嫌。二回も逃げられたんだよ。今度逃げられたら、僕は立ち直れない」

「約束しましたから、逃げません」

「そう? でも、手は繋いでいたいな。──これでいい?」

「な!? あ、え、その!」

「君とこうやって手を繋いで歩くのも、夢だったんだ」


 そう言われれば、それ以上抵抗できない。いわゆる恋人繋ぎされた手が熱い。

「ふふっ。美春ちゃん、真っ赤だ」

「言わないで下さい!」




 連れて来られた家は、こじんまりした小さな家だった。年月を感じさせるが、手入れは行き届いている。広い庭には、低木が植えられていた。

「春には花が綺麗だよ。一緒に花見をしようね」

「あの…」

「夢の話だよ」

「…はい」


 手をつないだまま家の中に案内された。

「ほらね。平屋の小さな家だけど、二人なら充分な広さだよね。台所は古くさいから新しくして、畳も入れ替えよう」

 山本は楽しそうに家を案内してくれた。

「ここでご飯を食べるんですね。庭で、家庭菜園とか出来そうです」

 思わず言った春の言葉に、山本は満面の笑みを浮かべた。

「実際、祖母は作っていたよ。家庭菜園の野菜で君が料理してくれたら、どんなに幸せだろう」

「先輩…」

「あ、まだ見てない所があるんだよ。こっちに来て」


 玄関に戻り、横にあった扉を開けると、地下へと続く階段があった。

「この家、二階はないのに地下室はあるんだよ。足元に気をつけて」

 狭く急な階段では手を繋いでおれず、山本は名残惜し気に手を離した。春は消えた手のぬくもりに寂しさを感じた。

 降りた先の扉を開けると、倉庫のような部屋になっていた。部屋の上方に明り取りの小さな窓があった。

 壁にはいくつかの棚が並べられているが、空っぽだ。


「まだ電気は通ってないんだ。早く契約しないといけないね」

 天井には電球がぶら下がっている。

「祖母はね。保存食を作っては、ここに並べていたんだよ。家庭菜園で作った野菜も、ここにしまっていたな。地下だから涼しくて、保存に最適だって言ってた。僕もね。こっそり宝物をしまいに来ていたよ。──ほら見て?」


 山本に促されて見ると、壁の下の方に『ぼくのたからもの』と書いた画用紙が貼ってあった。その下にお菓子の缶が置いてある。缶の中にはビー玉やカードが入っていた。

「ははっ懐かしいな。今ここに大切な人がいる。僕は、それがとても嬉しいよ」

「……先輩」


 山本は儚げな表情の春を、壊れ物に触れるかのようにそっと抱きしめた。春は身をこわばらせた。もう住む世界が違うのに、ここまで思ってくれる気持ちが嬉しい。

 もしあのまま人間でいたなら、山本を好きになっていたかもしれない。春はそう思った。


「ごめんね」

 そう言って身を離した山本が、お札を春の額に貼りつけた。


(……え? 体が動かない…どうして!?)


 山本は春をそっと抱き上げると、画用紙を貼った壁にもたれかけるように座らせた。まるで、人形のように。


「悪い狐から身を守ってくれるお札なんだって。今は君に貼ったけど、家に貼れば狐から身を隠せるんだよ」

 山本は愛おしそうに春の頬に触れる。

「この家で暮らすって両親に伝えてくるよ。前もって話してあるから、時間はかからない。だから、少しだけ待っていてくれるかな、美春ちゃん。戻ったら、この家で一緒に暮らすんだ。ずっと──ね?」


 春は瞬きすら出来ないでいた。見開いたままのその瞳から、涙が一筋零れた。

「ああ、泣かないで美春ちゃん。すぐに戻って来るから。ほんの少しだけ待っていてね」

 山本は額に貼ったお札が剥がれないようにそっと持ち上げ、春の目を閉じさせた。零れた涙を唇で吸い、名残惜しそうに春の頬に触れると、地下室を出て行った。


 春の五感は以前よりも鋭くなっており、山本が家を出て行く音まで拾った。

 バタン、とドアが閉まると、その後は静寂が続く。家の中からは、小さな生き物が動く音しか聞こえない。


 体が動かない。指先すら動かせない。

 琥珀の眠りを妨げないように、春は繋がりを細く絞っていた。その回路を広げようとする意志すら働かない。どうすればいいのか分からないまま、地下室は夜の闇に閉ざされて行った。




 ──山本が戻って来ない。


 あれから何日がたっただろうか。それとも何年だろうか?

 視界が閉ざされた春は、時の感覚を失っていた。額のお札はいつしか剥がれていた。だが、その頃にはもう、春は動けなかったのだ。


 ここで、このまま忘れ去られ、朽ちていくのだろうか…。

 すでに春は、涙を零す事すら出来なかった。



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