十九話
春を寝かして家を出た山本は、これからの事を考えていた。
(今日から美春ちゃんと暮らすんだ。大学に行くのは止めて働こうか。いや、ちゃんと大学を出て就職した方が、2人の将来にはいいよね)
山本はふわりと笑った。まるで熱に浮かされているような、不思議な感じが続いていた。
急ブレーキの音が響き、体に衝撃が来た。どこか意識がぼんやりしていた山本は、こちらに突っ込んで来る車に気づかなかったのだ。
なぜ自分は横たわっているのだろうか。アスファルトに流れる赤い液体が見える。
(…僕…の血?)
体が動かない。指先から冷たくなって行く。
(駄目…だ…。僕が行かないと…美春ちゃんが……)
意識を保とうと必死になるが、目の前が暗くなる。
(み…はる…ちゃん…)
琥珀は目を開けた。
「琥珀様。お目覚めですか」
三尾が琥珀の顔をのぞき込んでいた。
「──僕は、どれだけ眠っていた?」
「二年でございます」
「……春はどうした」
「主様がお眠りになってから戻りません」
二尾が答えた。
「プリンを作る材料を買いに行ったきりです」
「そうか」
琥珀は目を閉じて回路を探った。春の気配を感じない。繋がりは感じるが気配が弱々しく、何かに邪魔されて位置が分からない。
琥珀は神社を出た。
下校時間なのだろう。4~5人の小学生が楽しそうに話しながら歩いている。中の1人がピタリと足を止め、琥珀に笑いかけた。他の小学生はそれに気づかず歩いて行く。
「久しぶり、鼠の飼い主さん。」
「……」
「せっかく遊んでたのにさ。おもちゃは全部、君に始末されちゃったよ」
「気安く話しかけるな」
「ねぇねぇ。鼠ちゃんは見つかった?」
少年はくすくすっと笑う。
「お前の仕業か」
「さぁ、どうかなぁ」
「相も変わらず自分の手を汚さないお前には反吐が出る」
「つれないね。長い付き合いなのにさぁ」
にんまりと笑う表情は禍々しく醜悪だ。
「静流君! どうしたの? 早く帰ろう!?」
「今行くよ!」
少年は一瞬で表情を変える。
「ふふっ。あの時も言ったけど、またね」
そう言って、少年はパタパタと走り去っていった。
「二度とごめんだ」
琥珀は病室にいた。二年前から昏睡状態の患者がいる病室だ。
「これが?」
「そうだ」
眠っているのは、春が何度か会っていた男だ。春が回路の絞り方を知らない時に会うと、必ず感情の揺れが伝わって来た男。
二尾も三尾も春の行方を探そうと思えば探せたが、琥珀の意思が分からない為、二年の間探す事はなかった。琥珀も二匹には尋ねなかった。琥珀が尋ねたのは翠だ。広い範囲を守護している翠の元には、眷属や氏子から情報が入る。
あっさりと男の居場所が分かった。
「それにしても、お前が自ら動くとは珍しいな」
案内の必要もないのについて来た翠が言う。
「久しぶりに起きたから、運動がてらだ。他意はない」
「ふっ。そういう事にしてやってもいい」
憮然とした表情の琥珀は、右手の人差し指と中指を揃え男の額に当てた。
「ふん。やはりあいつの悪戯か」
「あれか。目障りだな」
今回取り逃がした事が悔やまれた。片付ける為には、直接尻尾を掴まねばならないのだ。
琥珀は指を男の額に沈めて行く。
「珍しいな」
「──気まぐれだ」
──夢を見ていた。
愛していた少女と、小さな家で暮らす夢だ。
「…輩。ご飯が出来ましたよ」
「美味しそうだね。いつもありがとう」
一緒に食事をして、一緒に眠って、一緒に──。
「おい」
聞いた事のない冷たい声。少女との生活を邪魔され、不愉快になる。
「…おい」
目の前の少女が消えた。温かい家が消えると、暗闇に一人取り残されていた。
「──ちゃん? 美春ちゃん!? どこに行ったんだ!?」
山本が呼んでも闇の中から答えはない。
「いつまで寝ぼけている」
あの声だ。
「誰だ!?」
「気色の悪い夢に逃げて、現実は無視か? お前が夢で一緒にいた女に、何をしたか忘れたのか」
闇に少年の姿が浮かんだ。冷徹な目で山本を見ている。
こいつが悪い狐だ、と山本には分かった。
「お前が美春ちゃんを!?」
つかみかかった山本を振り払っても良かったが、触れる事すら厭わしく、琥珀は眼前に浮かべた焔を山本に向かってするりと移動させた。
「なっ!?」
人魂のような焔に追われ逃げ惑う山本を、琥珀はつまらなそうに眺める。
「さっさと焼かれればいいものを」
焔は琥珀の意志で姿を変える。長く、大きく、燃え上がった焔は大蛇となって山本を飲み込んだ。
「うわあああっ!?」
大蛇の中は約熱の熱さだった。
「熱い! 熱い! 熱いっ!」
焔が全身を焼く。
口から、耳穴から、全ての穴から焔は入り込み、体の内部を焼くのだ。
この激痛で何故意識があるのか。意識を無くしてしまいたい、その思いは叶わない。
痛みが消え去った時、山本はぐったりと闇に横たわっていた。
「ふん。少しはましになった。穢れに憑かれて春に手を出した報いだ」
「み、はるちゃんを、返せよ…」
山本の体は動かなくとも、目の光は失っていなかった。
「──まだ穢れが残っているのか?」
琥珀の手から焔の蛇が生まれる。指の一本も動かせない山本は、唯一動く視線で琥珀を睨みつけた。
1メートルほどに育った蛇が、カッ!と顔の横で口を開く。だが、山本に怖がる様子は見えない。
「へえ。少しはましな人間、か。だがお前は現実を知らない」
焔の蛇は三十センチ程に縮むと、鎌首を持ち上げシュウシュウと音を立てた。山本はそちらを見ずに、ひたすら琥珀を睨む。
「行け」
琥珀の命で、焔の蛇は山本の顔に触れそうな程に近づいた。咬まれる、と思いきや額に触れた感触があり、続けて頭の中に入って来たのだ。
「ああああぁっ!?」
額を突き破って入ってくる。
異物が脳に潜り込む。
嫌悪感、違和感、そして。
──無理矢理流し込まれたモノ。それは映像だった。
愛する少女が殺されていた。
先程の少年が少女を蘇らせた。
体の違和感に嘆く少女。
神である少年の力がないと動けないと知った。
ここにいられないと分かった少女は、思い悩んだ末に家を出たのだ。
悩んだ末に戦う事を選んだ。
虐げられていた少女に後を託して、全てを無くして。
その魂の強さに、山本は再び魅せられた。
愛しい愛しい少女は、自分を大切に思ってくれていた。
必死の思いで切った人の世界に、自分は引き戻そうとした。
自分の言葉で彼女はどんなに傷ついただろう。
その少女を閉じ込めてしまった。
その時から、長い時間が経ったのだと知らされた。
「──あれから、何年…経っていますか?」
「2年」
「その間…美春ちゃんは…?」
「あんたが閉じ込めたままだ。僕も今起きたのでね。今から迎えに行く」
「…そう…ですか…」
山本は手をついて、ゆっくりと立ち上がった。そうして琥珀と目を合わせる。
冷たい目。人ならざる者の目だ。
悪い狐だと騙された。神である彼には、人である自分などちっぽけな存在なのだろう。だが見せられた光景には、少女に対する何かしらの思いも感じられた。
この先は任せるしかない。自分は彼女の側にいられないのだと、理解させられた。
「美春ちゃんを…、よろしくお願いします」
断腸の思いで言葉を吐き出した。
「あんたに言われるまでもない。あれは僕のモノだ。お前の記憶は残しておいてやる。もう春には関わるな」
そう言って少年は消えた。
山本は一人闇に残されたが、目覚めが近いと感じた。二年間、甘い夢を見続けていたのだ。
幸せな、幸せな夢を。
「ううっ…」
嗚咽が漏れる。
「あああ…」
共に暮らした甘い生活は全て夢で、決して叶わないのだ。
「うああああっ!」
闇に山本の慟哭が響いた。
「容赦ないな」
翠が呆れた視線を琥珀に投げる。
「僕のモノに手を出したんだ。あれくらいの報いを受けるのは当然だ」
穢れを焼き記憶を流すのに、本来痛みはない。琥珀はわざとやったのだ。
「癒してやったのだから、文句はないだろう」
「やりすぎだと思うがな」
「うるさい。お前はもう帰れ」
「ふん。お迎えの邪魔はしないさ」
にやりと笑う翠の表情に、琥珀は苛立ちを感じる。文句を言う暇もなく、翠は消えて行った。
(──主に迎えに来させるとは、相変わらず役に立たない僕だよ)
春が閉じ込められていた家の位置は、山本の記憶から読み取った。ぼんやりとしか感じ取れなかったのは、忌々しい奴の札で結界が張られていたからだ。二年の内に緩んだ結界は、琥珀が触れると霧散した。
家に足を踏み入れると、下の方から春の気配を感じた。
二年間人が入らなかった家は埃っぽい。ぎしぎしとなる階段をゆっくりと降りた。
「はっ! こんなところにあったとはね」
琥珀はゆっくりと、壁にもたれる人影に近づく。既に夜だ。地下室は真っ暗だった。琥珀に灯りは必要ないが、未熟な使鬼には必要だろう。
ぽんぽんと焔を宙に浮かべた。
焔に浮かび上がったのは、ピクリとも動かない、まるで壊れた人形のような春の姿だ。
「全く。主にここまで手間を掛けさせるとは、手のかかる僕だよ」
琥珀は、美春の髪に積もった埃や蜘蛛の巣を乱暴に払った。次いで指を噛み切ろうとしたが、ふと気が変わり、跪いて春に口づけた。
カサカサに乾ききった口中が、少しずつ潤って行く。からめた舌に弱々しく反応が還り始めた。
春の意識が戻ったのは、どれ程ぶりだろう。真っ先に気づいたのは、口の中にある温かく柔らかいものの存在だった。湿り気のあるそれから力が流れ込む。乾ききった全身がゆっくりと潤って行く。春は舌先が動かせる事に気づき、それに絡めるように吸い付いた。
「…んっ…」
温かい力が全身を満たして行く。
次いで、まぶたが動かせる事に気づいた。ゆっくりと目を開けると、眼前には琥珀の美しい顔のドアップがあった。
「むぐっ!?」
目を開いた春に気づいた琥珀の目が笑う。くちゅり、と、わざとらしく音を立てて琥珀は離れた。
「二年も主をほったらかしにするなんて、僕失格」
ぺっ、と唾を吐き捨てた。
「しかも埃っぽい口づけなんて、色気もない」
春の顔が燃えるように熱い。
血が流れていればきっと、心臓がバクバクと音を立てていただろう。久しぶりに話そうとすると、言葉が上手く出ない。
「ほ、こりっぽい…なら、口……づけな、きゃ……いいじゃな、いの…よ……」
「口答え出来るなら、動けるよね。ほら、早く帰るよ」
琥珀はさっさと立ち上がって地下室を出て行く。春は軋む関節を動かし立ち上がると、ぎこちなく後を追った。焔は春について移動する。
体に感じる熱は、琥珀に流し込まれた力なのか、それとも別の熱なのか。未だ冷めない頬の熱は、何が原因なのだろうか。あの口づけは単なる力の補充なのだろうか。
疑問は尽きない。琥珀に聞いても無駄だろう。
外に出た時には琥珀の姿はなく、焔も消えていた。
(待っていてくれてもいいのにな)
春は家を振り返った。
長い夢を見ていた気がする。人として暮らす、幸せな夢。長い様で短い夢。
けれど自分はもう振り返らない。新たな世界で生きると決めたのだから。
神社に返ろうと足を踏み出した時。
「──お帰り」
とろけるように優しい声の、空耳が聞こえた。
ようやく完結です。
ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。
第二部の構想があるので、その内書くかもしれません。その時は主人公が変わる予定です。
──いつ書けるんだろう。取りあえずもう一本の作品を、学園物にするまでは無理かなぁ。




