十六話
『柔らかくて、温かいね。僕にとっての美春ちゃんは、君だけだ』
そう言ってくれた山本を思う。血は流れなくとも、自分には体温があり、ちゃんと柔らかいのだと知った。死人である自分は、冷たく硬いと思い込んでいたのだ。
春は山本と共に暮らす未来を夢見てしまった。
(ありえないのに…ね)
春は先輩に見つかるかと思うと、外に出られなくなった。
結局、家事の合間に二尾と三尾に鍛錬して貰う毎日を送っている。どうにも気が乗らず、一方的にやられてばかりだったが。
鬱々とした日々が過ぎる。
満月はあとわずかに迫っていた。
そんなある日。琥珀に来客があった。
この世界の神社に来る客。──人ではないのだろう。
春がお茶を居間へ運ぶと、ソファに横になっている琥珀の前に、きっちりと正座をした姿勢の良い男がいた。白い長髪をくくり、スーツを着ている。琥珀とは違うタイプの美丈夫だ。
翡翠の瞳が春を見つめ、男は眉をひそめた。
「琥珀。何だこれは?」
「春、僕の使鬼」
「お前、このような者に力を注いだのか? だからそのように動けぬのだ」
「黙れ。──春。しばらく近寄るな」
「…はい」
(私に力を注いだから動けない? どういう事? 琥珀はいつも気だるそうにしてて…。それは、私のせいだったの?)
春は混乱しながら、茶を運んだ盆を台所に片づけた。
二尾や三尾に聞いても、馬鹿にしたかのように鼻を鳴らされ、答えはくれなかった。答えをくれそうな者、あの客が帰る時を見計らい、鳥居を出る前に捕まえた。
「あの、すみません!」
「……何だ?」
「さっきの事、教えて下さい! 私に力を注いだから動けないって、どういう事ですか?」
男は深々とため息をつき、翡翠の瞳で春をねめつけた。冷たい瞳に春は思わず後ずさった。男はそのまま立ち去ろうとする。春はキュッと唇をかみしめ、男の前に出た。
「お願いします! 私は何も知りません。ついこの間までただの人間でした。琥珀が何を考えているのか、全く分からない。使鬼にしたくせに何も要求しない。いつも『好きにすれば』そう言ってばかり。結果的に私は助けて貰って…。だから教えて欲しいんです」
「好きにすれば、か。あれらしいな」
男は嘆息し、春を見る瞳の険しさが緩んだ。
「長い付き合いだが、あれ程とらえどころのない奴はいない」
男は翠と名乗った。ここ水瀬市の中心に位置する、水瀬神社の祭神だと言う。観光名所でもある、大きな神社だ。
琥珀とは古くからの付き合いらしい。
翠は琥珀に、春の事情を聞いていた。
「生きている者を使鬼にするのなら、力はほとんどいらん。だが死んだ者を使鬼にするには、神であろうと力は半減するな。長い時を掛ければ元に戻るが…」
「長い時、ですか?」
「百年はかかろうよ」
「そんなに?」
翠を見送った春は琥珀の所へ向かった。相も変わらずソファで横になっている。
「琥珀…あの…」
何か言いたげに言葉を濁す春に目をやり、琥珀は舌打ちした。
「何? あれに余計な事を吹き込まれたって訳?」
「だって…」
「一つ言っておく。この僕が、わざわざ、あんたの為に、無理をして力を使うと思う?」
琥珀はわざわざ文節を区切って、馬鹿にした口調で言う。春は即答した。
「思わない」
「ふん。分かっているじゃないか。そういう事だ。あんたに力を注いだのは、単なる気まぐれ。それに使った力が多少大きかった所で、別に問題ない。僕を何だと思っている?」
「神様…。でも、今度また力を使うでしょう?」
「僕が主の心配? そんな暇があるなら、対価のプリンを持って来い」
「う…」
材料を買いに行って山本と出会い、その後は引きこもっている。まだ材料を買って来ていなかった。
「買い物に行って来ます…」
山本に見つからないように二尾と三尾にお供を頼み、近所のスーパーで買い物をした。初めて作ったバケツプリンは、固まるまで時間がかかったが、出来上がった時の琥珀の笑みを見て、報われた思いの春であった。
プリンを作って少し気が晴れた春は、境内の掃除をしていた。
「そこのあなた! 私と手合わせなさい!」
突然の声に振り返ると、そこにいたのは春と同年代に見える少女だった。白い髪に赤い瞳の少女からは、つり目で勝ち気な印象を受ける。
「ち、力試し? あなたは誰?」
その問いに答えたのは、困ったような表情の翠だった。
「すまんな春。それは私の使鬼だ。お前の話をしたら、力を見たいと言うので連れて来た。紅葉。挨拶が先だろう」
「はい翠様、私とした事が失礼しました。春と言うのですよね。私は紅葉です。それでは参ります!」
「へっ!?」
いきなり飛びかかって来る紅葉に、春は手に持っていた帚で応戦する。
翠は神社の階段に腰かけで、それを眺めた。ふらりとやって来た琥珀が、その隣に座った。
「また来たのか…。そんな暇はないだろうに」
「我の使鬼が、どうしても春と力試しをしたいと言ってな。──力は強いな。紅葉の蹴りを受け止めている」
すでに箒は跡形もなく、紅葉の蹴りと突きを、春は避け、または腕で受ける。
「僕の力の半分を注いだ使鬼だからな。ただ──馬鹿だ」
「馬鹿なのか?」
「たかが尸鬼にやられかけ、今はあれだ。力を使う奴が間抜けだとこうなる見本だね」
蹴りを受け止め損ね、紅葉に吹っ飛ばされる姿が見えた。
「やはり半分か…。何故、そのような真似をした?」
「何となく」
「何となく…な。相変わらず、いい加減な奴だ」
春がやられる姿を見る琥珀は、笑みを浮かべ人の悪い表情をしている。どこか楽しそうな顔は、長い付き合いの翠でも、ついぞ見た事のないものだった。
「あなたねぇ!? 力の使い方がなってないわ!」
倒れた春の前で、紅葉が仁王立ちになっている。
「そんな事言われても、私はこの体にやっと慣れてきた所だし…」
「見本を見せてあげる。二尾、三尾! 付き合いなさい!」
「何様?」
「紅葉様だろ…。はぁ」
二尾は口をとがらせ、三尾は嫌そうだ。
人化した三人が交差する。
(…うわぁ、空中戦。三人とも、いつ地面に足がついているのか、分かんないよ。見本って事は、私にこれをやれと? 無理~~)
春はぽけっ、と対戦を見守った。
「所で琥珀。そろそろ尸鬼共を始末しようと思うのだが?」
「僕がやる。手を出すな」
「だが──」
「僕の使鬼に手を出したんだ。僕が、お返しをすべきだろう。お前がもっと早く動いてくれれば、僕が出る必要もなかったが?」
「無茶を言うな。私とて、こちらに何もされねば動けぬ。氏子の娘が消えたと、見つかるようにと、祈祷の依頼が来て、ようやく手出しが可能になったのだ。最も、もう死んでいるがな」
「町から逃げないように、結界でも張っておいてくれ。他の助けはいらない」
「分かった」
──満月の夜。煌煌と輝く月が雲一つない空に浮かぶ。
春は降り注ぐ月光が、体に染みわたるかのように感じた。
禊をすませ白い衣に身を包んだ琥珀は、その美貌が研ぎ澄まされ、いつもの気だるさの欠片もない。
春は近寄りがたさを感じた。それでも発端は自分なのだと、そばに従う。春も二尾と三尾に教わり禊ぎをし、巫女服に着替えている。
琥珀は神々しかった。春は初めて神なのだと実感したのである。
すかさず「遅すぎ」と突っ込まれた。また駄々洩れ状態になっていたらしい。春はつながりを細く絞った。
拝殿の中には、大きく古めかしい鏡が祀ってあった。琥珀は懐から携帯を取り出し、鏡の前に置いた。春は、その携帯に付けられたストラップに見覚えがあった。
「その携帯…もしかして?」
「そうだ。三尾が見つけ出した、あんたの元友人の携帯」
三尾が小馬鹿にするように春を見た。
「春。今夜全てのカタを付ける。あんたは見ているだけでいい」
「え…?」
春が問い返す間もなく、琥珀は鏡に拝礼し呪を紡ぎ始めた。
唄う様に、琥珀は呪を紡いだ。
呪は鎖の様に、模様の様に、帯状になって部屋を舞い、鏡に吸い込まれて行く。
鏡は尸鬼の姿を映し出した。琥珀の呪は空を舞い、地に潜り、闇の陰にいる者も暴き出す。呪が触れると尸鬼は燃え上がった。
ぽぅ、っと琥珀の周囲にいくつもの光が浮かんだ。その光の中に町の情景が映る。
町中で突然上がる焔。悲鳴を上げて逃げ惑う人がいなければおかしいのに、人の形に燃える焔の隣を、人は平然と歩く。まるで焔に、熱に、気づいていないかの様だった。
町のあちこちで、尸鬼が燃えた。周りには一切の被害を出さず、尸鬼だけが燃える。
人や物には決して移らず、尸鬼だけを焼く焔だ。
「こんなにいたなんて…」
闇夜に燃える焔が全て尸鬼なのだ。いったいどれだけいるのか。春が初めて見た尸鬼、谷村の様に消えてしまった者もいるだろうに。
あの包丁で殺された者がいる。返り討ちにあった者もいた筈だ。
本来ならば、失敗すれば術は術者に返るが、ネット販売する事で術の返りを逃れ、購入者が被った。どちらに転んでも、運営者には手駒が出来る。そうして尸鬼は増えて行ったのだ。
尸鬼の群れを、町に潜んでいた尸鬼も、全て琥珀は焼き尽くした。春は、燃える尸鬼の中に、祐里奈の姿を見た気がした。
「…綺麗」
春の中身も変質したのだろうか。琥珀が放った焔は美しく、現実味を感じさせない。人の燃える焔を、ただ美しいとしか感じなかった。
尸鬼が燃えた焔から黒い筋が登る。それは鏡を通り、拝殿に集まった。琥珀の頭上に浮かぶそれは、徐々に大きくなる。黒々と蠢くそれの禍々しさに、春はぞっとした。
全ての尸鬼を燃やし尽くしたのか、焔は消えた。琥珀は集まった黒いモノに腕を上げ、指をかざすと、「えいっ!」と裂帛の気合を籠め、鏡の前に置かれた携帯目掛けて振り下ろした。
黒いモノは、轟っ!と唸るような響きを上げ、携帯に吸い込まれて行った。吸い込みつくした携帯はどろりと溶け、消えて行った。
──その時春は、女の悲鳴が聞こえた気がした。
「…ちっ」
琥珀が舌打ちした。
「主様」
「琥珀様」
二尾と三尾の問いかけに、琥珀は「大事ない」と答えた。
「春、片付いた」
「片付いたって…」
元々は黒幕を見つけて欲しいとお願いしたのだ。その後どうするか考えていなかったが、自分がやらねばならないと思っていた。それが、どうして尸鬼を焼いてくれたのか。
「尸鬼は全て焼きつくし、サイトの運営者に呪は返った。今頃は死んでるんじゃない?」
あっさりと答える琥珀に、春は呆然とした。
「どうやって…」
「携帯から気をたどって大本を見つけ、尸鬼から集めた呪を全て返した」
「こんな…簡単に終わるなら、どうして今まで…」
「僕には関係のない事だったからな」
「あれだけ尸鬼がいたんだよ!? いったい、どれだけの人が亡くなったと思って──」
全てを言わせず琥珀は答える。
「人の世界の話だ。何人死のうが、僕には関係ない」
「それじゃあ、どうして…。どうして今は動いてくれたの」
「僕の眷族に手出しされたからな」
「眷族?」
「不本意だけど、あんた」
「私、死んでるじゃない…。その時は助けてくれなかったのに!」
「はっ! 今言った事も頭に入っていないとは、あきれ果てる。生きてたあんたは、眷族じゃない」
「……」
「春、主様は神だ」
「琥珀様は神。神には神の理がある」
「神の理……」
春には知らない事がありすぎる。徐々に覚えて行こうと思った。春は携帯があった場所を、ぼんやりと眺めた。
「結局私、何も出来なかった」
「春は主様を動かした」
「琥珀様が人の世界に自分から関わったのは、二百年ぶり」
「そうなの?」
二匹は頷いた。
「二尾、三尾。余計な事は言うな。春、あんたも役に立っただろう」
「私が?」
「あんたが襲われたお陰で、僕が介入出来たんだ。誇れば?」
「そんな事で誇れないわよ!?」
やらねばならないと思っていた目標を無くし、虚無感に襲われていた春は、襲われた時の恐怖を思い出して叫んだ。
下手な慰め方だと思った。慰めようとしたのか、ただ単にからかわれたのか分からないが、春の気持ちは軽くなっていた。
「琥珀…ありがとう」
春は泣き笑いの表情を隠し、町を見て来ると神社を出た。
春が出て行くと、琥珀は疲れたように息を吐いた。蟲から『美春』を取り返すのには、思ったよりも力がいった。尸鬼共を片付けた今、気だるいのはいつもの事だが、よりだるく、そして眠い。だがもう少し後始末が残っている。
「……二尾、三尾、無駄だろうが奴の痕跡を追え」
「「かしこまりました」」
術師を捉えた時、それを操っていたモノにも呪を返そうとしたが、するりと逃げられたのだ。そのモノに触れたとき、「…またね」と念を伝えてきた。その意識には覚えがあった。
──琥珀は神社を出て、月を仰いだ。




