十三話
一日中薄明るい、不思議な世界だった。
人間離れした美しさの少年。
話をし、人に姿を変える子狐達。
神社内の和室で目が覚めてから、ずっと千雪は戸惑っている。
──あの日。
両親に殺されかけた所を少女に救われた。いつか元の両親に戻ってくれると信じていた千雪にとって、受け入れがたい事だった。泣いて、泣いて──その後の記憶がない。
目が覚めた時には、ここにいたのだ。
自分を助けてくれた少女は、美春と名乗った。
自分と同じ年頃、背格好も同じだ。縁側でお茶を飲みながら、少女は笑った。最近、味が分かるようになったの、と。
味覚障害でも患っていたのだろうか、と千雪は思った。
少女に対して、最初はどこか違和感を覚えたが、屈託なく笑いかけて来る表情に警戒心も解けた。何よりも、自分を助けてくれた少女なのだ。
何もかもを吐き出したくて、千雪はこれまでの話を全て語った。
優しかった両親。変わってしまった両親。
全てを。
美春は、静かに聞いてくれた。
「……そっか」
いつしか千雪の目から、涙がこぼれていた。美春はハンカチを差し出した。
それから美春は、信じられない話を聞かせてくれた。今この町で、市で起こっている事件の話だった。その事件を追っていた美春が、たまたまあの時の千雪に行き当たって助けたのだと言う。
蟲、死人、黒い気…。途方もなさすぎて、受け入れられない。
何よりも、目の前にいる美春が死んでいるなんて言われても…。
事態を飲み込めずに呆然としている千雪に、美春は複雑そうな顔で笑いながら言った。
「あのね。千雪に提案があるの」
その提案に千雪は息をのんだ。
「でも…だって…」
「考えてみて欲しいな。無理じゃないんだよ。何しろ、あなたも会ったあの性格の悪い琥珀は神様だから、ね」
新たに理解できない事を付け足されても困る。千雪の思考は止まったままだ。止まったまま、美春が行方不明になった時、両親が探してくれたと言った、その一点だけがぐるぐると頭を渦巻いた。
「……あなたは帰ればいいじゃないの…」
そんな言葉が口から漏れた。子供を思って探してくれる両親の話がうらやましかった。
「……」
美春は答えない。
「見た目は何も変わらないじゃない! だったら! 優しい両親の家に帰ればいい!!」
感情をぶつけ、荒く息をつく千雪を、美春は困ったように眺めている。
「何も変わらないから、いられなかった…。──色んな話を、いきなりしすぎたよね。ごめんなさい。急かさないから、ゆっくり考えてみて」
そう言うと、美春は千雪を一人にしてくれた。
感情をぶつけた罪悪感に苛まれながら、千雪は美春の話を考えた。
事件の話は、余りにも現実味がなかった。
だが思い返してみると、教室には空席が目立っていた。
バイト帰りに町を歩くと、どこか不自然に動く人を見かけた覚えもある。てっきり酔っ払いだと思っていたが、雰囲気が気持ち悪く、近寄らないようにしていた。そんな人を何度見かけただろうか。
バイト先の店長も、「最近不審者を見かけるから、帰りは気をつけて」そう言って心配してくれた。
あれが、死人だったのだろうか。
呪がかけられた包丁で刺されると、その人は死んで、蟲に体を乗っ取られてしまう。体はどこかへ消えてしまうのだそうだ。
両親はきっと、お金が必要になって千雪を殺そうとしたのだろう。
けれど、死体がなければ罪には問われないが、すぐに保険金は手に入らない。何を思って、千雪を殺そうとしたのだろうか。
両親は、どこか壊れてしまったのかも知れない。
どこか人ごとのように、千雪は思った。
千雪は部屋の窓を開けた。
外には不思議な世界が広がっている。と言っても景色がおかしい訳ではない。普通の庭が見えている。だが、何かが違うのだ。空は靄がかかり、色が把握できない。かと言って暗くない。
──薄明るい世界だった。
美春は、ここは神社の中だと教えてくれた。神社の鳥居を抜けると、界の違うこの神社に繋がるのだと言った。
千雪は、特に行動の制限はされていない。外を歩いてみる事にした。
確かに神社だ。美春が言っていた鳥居もある。鳥居に近づいてみたが、向こう側は靄がかかったように、何も見えない。
恐る恐る鳥居をくぐってみると、千雪は内側にいた。外に出たはずなのに、戻っていたのだ。
不思議に思って、鳥居の空間に手を突っ込んでみるが、特に何も起こらない。
その時、「居候が何をしている」と、冷たい声が言った。
琥珀だ。息を飲むほどに美しい顔は、何の表情も浮かべていない。この少年は神だと、美春は教えてくれた。すがるような気持ちで、千雪は尋ねた。
「私は…、これからどうしたらいいですか…?」
「好きにすればいい。このまま居候のまま、ここで朽ちてもいい。それとも、家に帰って改めて殺されるか? 一人で生きる道を探すか? あれが言った提案にのるか? あんたの自由だ。あんたが決めろ」
ぬるま湯のようなこの世界で暮らす。それも魅力的に感じた。外の世界は千雪にとって、苛烈だったのだ。
「ただし、あれは好きでここに来たんじゃない。人ではなくなり、周りと違う自分を感じさせられ、追いつめられて、ここに来た。死人は成長もしないからな」
「……あ」
何も変わらないから、そう言って笑った美春を思い出す。どこか達観した大人びた表情だった。
「ここにいるなら、あんたも人を止めるか?」
くくっ、と琥珀は口の端を上げた。寒い物を感じた千雪は、じりっと後ずさる。
「……それも面倒くさい」
琥珀は千雪に興味をなくしたように、家へ戻っていった。
神は気まぐれだと聞いた事がある。千雪にとって、美春は話しやすかったが、琥珀も狐も怖いモノだった。
やはり、いつまでもここにいられない。
両親のいる家には戻れない。一人で暮らして行く事も考えたが、未成年では難しい。美春の提案は、千雪にとってありがたすぎる物だった。けれど──。
考えながら神社の境内を歩いた。
気配のする方へ歩いて行くと、美春と狐の少年がいた。組み手をしているようだ。運動神経が鋭い様には全く見えなかった美春の、素早い動きに目を奪われた。
「えいっ!」
「馬鹿力で腕を振り回しているだけだ」
「馬鹿だから仕方ない」
「白先生も黒師匠も、馬鹿馬鹿言わないで!」
「「だって馬鹿だから」」
美春と向き合っているのは、白髪の少年姿の三尾だ。離れた場所で茶々を入れる黒髪の二尾と、美春への言葉は息ぴったりで腹が立つ。
「あー、もう!!」
「気を散らすな馬鹿」
美春と向き合っていた三尾が、美春の腕を取って投げ飛ばした。
「ちょっ!?」と、叫びながらも美春は宙でくるりと体を変えて、綺麗に地面に降りたった。
「甘い」
すかさず後ろに回った三尾が、美春の尻を蹴飛ばした。
「ぶっ!?」
美春は顔面から地面に突っ込んだ。
その様子をポカンと見ていた千雪の隣に、いつのまにか二尾がいた。
「あの馬鹿は、馬鹿なりに考えて、友達や親に危害を加えた原因を調べている。降ってわいた力と向き合い、制御しようとしている。馬鹿だから寄り道が多くて、先が思いやられる」
お前はどうする、と暗に言われた気がした。
美春がこちらを見た。千雪はかける言葉が思いつかず、逃げるように部屋へ戻った。
夕食も食べずに部屋に閉じこもった。布団を敷いて横になるでもなく、部屋の隅で膝を抱えて座った。物音もしない静かな部屋で、じっと考え続けた。
考えて考えて、心を決めた。
「──美春さん。あのお話、受けようと思います」
「そう、か。うん。琥珀に話して来るよ」
「おはよう、美春!」
「…おはよう、優子」
「相変わらずボケッとしてるんだから! ほら、とっとと歩く!」
「もう! 優子ったら、ひどいよ」
制服姿の少女達は、笑いながら学校へと歩き出した。
その姿を、泣きそうな表情で美春は見送っていた。
「あんた、いつまでここにいるつもり? 帰るよ」
少しぐらい感傷に浸らせてくれてもいいだろうに、と美春は琥珀を睨みつけた。
「琥珀…。あんたとか、それとか。いい加減、名前を呼んでくれてもいいんじゃないかな」
呆れた口調で美春が言えば、馬鹿にした表情と口調で返された。
「あんたさぁ、僕に名乗った事ある?」
言われてみれば、直接名乗った事はなかった。だが、二尾と三尾が呼んでいるのを知っているのに、つくづく意地が悪い。
「……ないです」
「主に名乗りもしない。なんて怠惰な僕だろうね」
「美春。山瀬美春。知ってるくせにさ…」
「苗字なんていらない。美春? 美しいもいらないね。あんたは今日から『春』。分かった?」
(ほら! 漢字を知っているじゃないの!)
琥珀は笑みを浮かべて美春を見る。人の悪い笑みは、この所美春に良く向けられるものだ。相変わらず、心の声も聞こえているのだろう。
「人の名前を勝手に変えないでよ」
「春」
「……何よ」
「帰るよ」
「……」
あんたよりはましか…と美春、改め春は神社へと歩き出す。
勝手に変えられた名前。今思えば、かえって良かったのかも知れない。今日からは、あの子が美春なのだから。
琥珀からされた提案とは、千雪を美春にする事だった。
背格好も年齢も一緒。琥珀に言わせると、雰囲気も似ているらしい。
千雪として生きて来た記憶を消し、美春としての記憶を埋め込むのは、ため息をつきながら琥珀がやってくれた。二尾と三尾が何故か止めたが、繊細な作業は琥珀がやるしかなかったらしい。
学校や両親には、美春はしばらく入院していたのだと、三尾が記憶を改変した。テレビ局のデータは二尾が消しに行った。
その他のかかわった人々の記憶も、二尾と三尾が手分けしてやってくれたらしい。
自己満足だが、優子と両親には、美春が直接頼みに行った。もちろん記憶には残っていないが、友達、そして子供として受け入れ、新しい美春を大切にしてくれているようだ。
「──琥珀って、何でも出来るのね」
「何でもじゃないのは、あんたが良く知っているだろう?」
「私が?」
「死者を蘇らせる事は出来ない。そして、理の範囲でしか動けない」
何でもじゃない、その言葉には自重する響きが混じっていた。
未だ暗い雰囲気が漂う校内に、少女達の笑い声が響いた。山本は、優子が美春と呼んだ、その名に驚いて振り返った。
「誰? あの子は、美春ちゃんじゃない…。どうして…?」




