十二話
二尾をお供に神社を出て来たものの、美春は途方に暮れていた。
包丁を手に入れる為に町を走り回ると決めたはいいが、まずはどこから手を付ければいいのか、見当もつかないのだ。
ふと、以前琥珀が言っていた事を思い返した。自分を避け悲鳴を上げた少女、気持ち悪いと言った少年。神気にあてられて気分を悪くするのだと言っていた。その人物を、今の美春が見たらどう見えるのだろうか? 気が見えるようになった自分の目で、あの人達を見たとしたら?
琥珀は、加害者がいるかもしれないと言っていた。今から加害者になる者もいるのだろうか。
今はちょうど昼休みの時間だ。美春は学校へやって来た。制服を着た少女に姿を変え、気配を薄くして校舎へ忍び込む。
(見つけた)
廊下で美春を見て、悲鳴を上げた少女だ。黒い糸で出来た繭の残滓を付けている。この少女は、誰かを殺したのだ。その目で校内を歩くと、繭の残滓を付けた者が、ちらほらといた。同じ高校生が、こんなに人を殺した人間がいるのか。美春は呆然とした。
美春を遠巻きにした者を見ると、繭の残滓を纏う者もいれば、黒い穢れた気を纏う者もいる。その気の濃さには格差があった。薄い者もいれば、顔が見えない程に濃い気を纏っている者もいた。
あの包丁を使う前の人間が、どんな状態なのかは分からない。
だが、人を殺そうとしている者の気が、澄んでいる訳がないだろう。ならば、繭の残滓ではない黒ずんだ気を纏う者を探して、後をつけてみよう。顔が見えない程に黒い穢れた気を纏う者が怪しい。校舎内で見つけた者を追えばいいのかもしれないが、同じ高校生が人を殺す所を見たくなかった。
取りあえずの方針を決め、校舎を出ようとした美春の背に声がかかった。
「……美春…ちゃん?」
(山本先輩!? なんで、どうして私だと分かるの!?)
山本の声に一瞬固まった美春だが、振り向かず、逃げるように走り出した。背後から呼びかける声が続くが、美春は耳を塞いで逃げ出した。
(姿を変えているし、気配も薄くしてる。気づく訳ない…のに…)
「黒師匠、私ちゃんと別人になってるよね…」
二尾は何も言わずについて来るだけだが、流石に質問には答えてくれる。
「まぁまぁ」
返答は微妙だったが、合格点だという事だ。山本は人違いをしただけ、そうに決まっている。美春は思った。
美春は町を歩き、顔が見えない程に黒い穢れた気を纏う人間を探す。
その為にはまずプリン作りだ。お供に文句を言われない為、そして琥珀への相談料の支払いの為に、抹茶・黒糖・南瓜・サツマイモ・とろけるプリン等々を大量に作り、冷蔵庫に詰め込んだ。冷蔵庫にプリンを欠かさなければ、琥珀も何も言わず、二尾も三尾もお供をしてくれる。
翌日の日中から、美春は町を探し始めた。
これまでに何人か、目的の気を纏う人間を見つけては後を付けたが、包丁を持ち出す者はいなかった。せいぜいが酒に酔って人に絡み、殴りかかったり、ひったくりをする程度だ。美春は正義の味方になった訳ではない。苦々しく思いながら、事件を見守る日々が続く。
ある日見つけた目的の気を纏った男が、ナイフを取り出して前を行く男に襲い掛かろうとした。あくびをしながら歩く標的の男は、全く気付いていない。
ようやく見つけた、そう思った美春はその男の背後から襲い掛かって気絶させたが、凶器は普通のナイフだった。
男の始末に困った美春は、ナイフを握らせて交番の前に置いて来た。後の事は知らない。
(今日も駄目かぁ…)
そろそろ追加のプリンを作らねばならないし、今日は帰ろうと決めた美春は、うつむき加減に歩く二人の男女に目が止まった。
(あの二人…。二人で同じ、顔が見えない程の黒い気を纏ってる…)
失敗続きの美春だったが、この二人は今まで以上に気にかかり、そっと後をつけ始めた。
千雪は、ため息をつきながら夕食を作っていた。
バイト先のお弁当屋は、おかずの残りをくれる。特に食費の少ない月末はとてもありがたかった。今日は唐揚げを貰えたので、冷蔵庫に残っていた野菜を刻んで、味噌汁を作った。
「はぁ…」と、ため息が漏れた。
千雪の顔が腫れていて、店長に心配されてしまったのだ。
「虫歯が腫れちゃいました」
そう言って笑って見せた千雪の嘘は、見抜かれていたのだろう。困った顔をされた。
「何かあったら、相談して。抱え込んじゃ駄目よ」
優しい年配の店長に頭が下がる。千雪よりも年上の娘がいると聞いている。心配してくれているのだ。
「ありがとうございます」
千雪は笑って見せた。
幼い頃、両親は「ちゆ」「ちゆちゃん」と呼んで可愛がってくれた。どこから歯車が狂ったのだろうか。
父が職を無くし酒浸りになり、母が働きに出た。父も母も、疲れ切って帰宅する。
一家は一戸建てを購入し、新生活を始めたばかりだったのだ。
「早く仕事を見つけてよ!」
「俺だって頑張っているんだよ!!」
母は家を手放したくないのだ。父も必死に仕事を探しているのだが、見つからずに日々が過ぎていく。
両親の口げんかが絶えなくなった。千雪は出来る限り家事を手伝い、バイトも始めたが、両親から暴力を受ける日々が始まった。
(今だけ…。お父さんの仕事が決まれば、元に戻る…きっと…)
千雪はそう信じている、否、信じたかった。
「本当は、千の幸と書いて『千幸』だったのよ。でもその日雪が降ったの。ふわふわの綿みたいな、綺麗な雪だったから、『千雪』に変えちゃった」
母は悪戯っぽく笑いながら教えてくれた。
「そうだったな。姓名判断の本を何冊も買って、二人で頭を悩ませて決めたのに、あっさり変わったよな。ははっ」
父も笑った。
──楽しかった思い出。つい三年程前の話なのだ。
ガタン。
玄関で物音がした。ただいまも言ってくれなくなったのは、いつからだっただろうか。千雪は顔に笑顔を張り付けて、出迎えに向かった。
美春がつけていた男女が入って行ったのは、比較的新しい一軒家だった。誰か家にいたのだろう。灯りがついている。
「美春。行け」と、二尾が背中に蹴りを入れた。
三尾は琥珀から何か命じられているらしく、この所のお供はいつも二尾だった。
「行けって言われても…」
言い返そうとしたが、二尾の雰囲気に口をつぐみ、美春はそっと玄関から中をのぞき込んだ。
玄関から上がってすぐの廊下で、美春と同じくらいの年頃の少女が男に口をふさがれ、背後から羽交い絞めにされていた。女が包丁を構え、今にも少女を突き刺そうとしている。慌てた美春は、こちらに背を向けている女の意識を即座に刈り取った。
訓練が物を言い、力かげんが出来るようになっていた。
「何だお前は!? 邪魔するな!!」
激高した男が叫ぶ。
押さえていた少女を投げ捨てるように振り払い、美春に向かって掴みかかって来た。怒りの感情をぶつけられた経験の少ない美春は身がすくみ、目を閉じた。顔に衝撃が走る。顔を殴られたのだ。
(女の子の顔を殴るなんて!)
怒りを覚えた美春の耳に、「…減点」の声が聞こえた。
(また修行を増やされる!?)
美春は目を開いた。鬼師匠達に比べれば、こんな男など怖くない。冷静になった美春は、男の腹を殴りつけ、意識を奪った。
へたり込んだ少女が、呆然と倒れた男女を見つめている。
「…お父…さん…、お…母さん…どうして…?」
(親だったの)
美春は思わず自分の両親と比べてしまった。必死に自分を探してくれた両親。ここに倒れ伏す二人と何と違う事だろう。そんな両親を悲しませている自分に嫌気がさす。
女が使おうとしていた包丁は、足元に落ちている。美春を刺した、あの包丁だ。
消える気配はなく、一見普通の包丁に見えるが、美春の『目』で見ると、刃の部分が歪んで見えた。蜃気楼のように、ゆらゆらと歪む。
現物があれば送り主を追えるだろう、そう言われていたが、やり方が分からない。また、琥珀の知恵を借りるしかないのか、美春はため息が出た。
直に触りたくないので、倒れている女の上着を脱がせて包んだ。
いつしか泣きじゃくっていた少女に、二尾が何かをしたのだろう。意識を失って倒れている。
「どうする?」
二尾が聞いた。
「どうすると言われても…どうしよう…」
二尾は助言をくれない。
「ただいま……」
美春は、恐る恐る琥珀のいる部屋に入った。
「何、それ?」
「あの…その…」
迷った末に、美春は気を失った千雪を連れて来たのだ。人並み外れた力になっている美春は、千雪を抱き上げて運んで来た。
「説明」
千雪をソファに寝かせ、美春は琥珀の前で正座した。
「この子が両親に殺されかけた所を助けて…、包丁は手に入れた。それで、この子がいなければ、両親も事が成功したと思うだろうし、黒幕も油断するかもしれないって…思って。連れてきました」
琥珀は呆れたように眉をひそめた。
「居候が何で厄介者を連れて来るのさ…。まぁ、包丁を手に入れた事だけは、褒めてやる」
琥珀にとっても予想外だったのだ。うまく行くはずがないと思っていた。
「馬鹿素直も歩けば、結果に当たるって所か…」
琥珀の言葉を聞いた三尾が、にんまりと笑っている。
「何の事?」
「何でもない」
連れて来たものは仕方がないと、琥珀は二尾と三尾に命じ、部屋を用意させ千雪を連れて行かせた。
「それで…その…。琥珀にお願いが」
「お願い?」
「気のたどり方…教えて下さい…」
「へぇ、主に、僕が、お願い、ね」
わざとらしく区切りながら琥珀は言った。
「対価は?」
「…バケツプリン。こんな大きなプリンに、生クリームと果物添えでいかがでしょう…?」
作った事はないが、先日色々なプリンの作り方を検索した時にレシピを見かけ、お気に入りに登録しておいたのだ。
「…分かった。あんたに教えるよりも、僕がやってやる」
「ありがとう!」
「ただし、今は無理だ。十日経てば満月になる。それまで待て」
「十日も?」
「居候の後始末が先だろう?」
「確かに。あの…そのまま黒幕を見つけて、後始末もしてくれたりは…」
「………」
「……はい。駄目ですよね…。言って見ただけです…」
そして美春は琥珀にある提案をされた。
黒幕探しとは関係のないその提案に、美春は頭を悩ませる事となる。




