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鏡の向こうの刺客

 第六話

 鏡の向こうの刺客


 誘拐事件の解決から二日後。

 レアニスの本部には久しぶりに平穏な時間が流れていた。


 猫密売組織。


 花屋の暗号通信網。


 誘拐犯グループ。


 バラバラだった事件は少しずつ繋がり始めている。

 しかし、その全体像は未だ見えていない。

 カールは机の上に広げた地図と報告書を見比べながら考えていた。

 幾つかの事件には共通点がある。


 犯人が消える。


 証人が消える。


 証拠も消える。


 誰かが裏で口封じをしているのだ。


 しかもかなり有能な人間が。




「面倒臭ぇな」




 そう呟いた時だった。

 本部の扉が勢いよく開かれる。

 情報屋の男が飛び込んできた。

 額には汗が浮かび、呼吸も荒い。




「大変だ!」




「うるせぇな」




 ソファで寝ていたカレンが不機嫌そうに片目を開ける。




「世界でも滅びるのか?」




「レアニスを狙う暗殺者が来た!」




 その一言で部屋の空気が変わった。




「ほう」




 カレンが上半身を起こす。




「誰だ?」




「リュドミラだ」




 セレンの表情が変わった。

 それまで穏やかだった顔から笑みが消える。




「知ってるのか?」




 カールが尋ねる。




「知ってる」




 セレンは静かに答えた。




「同じ転移者」




 全員の視線が集まる。




「ワタシより少し前に転移してきたロシア人」




「ロシア人か」




 カールが眉をひそめる。




「共産主義者だな」




「違う」




 即座に否定された。




「絶対違う」




 来夏まで呆れている。




「お前いつの時代で思考止まってるの?」




「一九四五年くらい(第二次世界大戦が終結した年)だ」




「最悪だよ」




 話が逸れ始めたところで情報屋が咳払いした。




「とにかく危険人物だ。裏社会では《ミラー・ウィッチ》と呼ばれている」




「スキルは?」




 カレンが尋ねる。




「不明だ」




 全員が顔をしかめた。

 能力不明の相手ほど厄介なものはない。


 その日の夜。


 レアニスは情報屋が掴んだアジトへ向かっていた。

 場所は王都西区画。

 数年前に火事で閉鎖された古い劇場だった。

 月明かりの下に佇む建物は不気味だった。


 窓は割れ、看板は朽ち、蔦が壁面を覆っている。




「いかにもだな」




 カールは双眼鏡を覗く。




「どうだ?」




 カレンが聞く。




「変だ」




「何が?」




「警備がいない」




 普通あり得ない。


 暗殺者の隠れ家なら尚更だった。




「罠か」




「だろうな」




 それでも引く理由はない。

 レアニスは劇場内部へ侵入した。

 劇場の中は静まり返っていた。

 腐った木材の臭いが漂う。

 赤い座席は破れ舞台の幕は半分落ちている。


 誰もいない。


 いや・・・いる。


 カールの勘がそう告げていた。




「気を付けろ」




 小声で言う。




「近いぞ」




 全員が武器を構えた。

 その直後だった。




「ん?」




 セレンが足を止める。




「どうした?」




「何か変」




 そう言った瞬間だった。

 景色が反転し天井が床になる。

 床が壁になる。

 左右も上下も全て狂った。




「何だ!?」




 来夏が吹き飛ぶ。




「うわっ!?」




 重力の感覚が完全に狂った。

 カールの身体も壁へ叩き付けられる。

 軍人時代、三半規管を鍛える訓練は嫌というほど受けた。

 しかしこれは別物だった。




「スキルか!」




 身体を起こそうとする。

 だが方向感覚が狂う。

 右だと思った方向が左になる。

 距離感までおかしい。

 拍手が聞こえた。




「正解」




 舞台の上に女が立っている。

 銀色の長髪に冷たい瞳、黒い軍服、そして不敵な笑み。




「久しぶりね」




 その視線はセレンに向けられていた。




「リュドミラ」




 セレンが名前を呼ぶ。




「元気そうで安心したわ」




「帰れ」




「嫌」




 即答だった。


 リュドミラの目が光る。




「《ミラー・ワールド》」




 スキルが発動し劇場全体が歪む。

 空間そのものが狂っていく。




 《ミラー・ワールド》




 視界に捉えた空間の上下左右を反転させる能力。

 対象となった者は方向感覚を失い、まともに戦えなくなる。

 単純ながら非常に危険な能力だった。




「厄介だな」




 カールは拳銃を抜く・・・しかし狙いが定まらない。

 照準が狂う。

 引き金を引いても弾道が読めない。




「じゃあ近付いてぶん殴る」




 カレンが走り出す。




「馬鹿!」




 直後柱へ激突した。




「いてぇ!!」




「だからだ」




 カールが呆れる・・・しかしそこで動いたのはセレンだった。




「似てる」




 一歩前へ出る。




「ワタシと」




 金色の瞳が輝く。




「《ザ・ミラーズ》」




 空間が震えた。




 《ザ・ミラーズ》




 セレンのスキル。

 目にしたあらゆる物体の上下左右を反転させる能力。

 大岩でも、建物でも、人間でも関係ない。

 二つの反転能力が激突する。




 ギギギギッ!!




 見えない力が空間を捻じ曲げる。

 劇場全体が悲鳴を上げる。

 壁が割れ椅子が吹き飛び窓ガラスが砕け散る。




「へぇ」




 リュドミラが初めて笑みを消した。




「成長したじゃない」




「うるさい」




 セレンが飛び出す。




 次の瞬間両者の拳が激突した。




 轟音。




 空気が爆発する。

 そこからは乱戦だった。

 カレンが邪魔な椅子を蹴り砕きながら突撃する。




「おおおおおお!!」




 獣のような咆哮。


 拳が唸る。




 リュドミラは後方へ跳躍。


 回避。




 だが着地点には植物が待っていた。




「捕まえた」




 ティナのスキル。


 《ロータス・クイーン》。




 床から無数の蔦が飛び出す。


 足首。


 腕。


 胴体。


 一気に拘束しようとする。




「甘い」




 リュドミラの能力が発動。

 蔦が上下反転し、自ら絡まり合って崩れる。

 だが次の瞬間。




「そこだ!」




 来夏が現れる。




 《メビウス・ゲート》。




 空間を繋ぐゲートから突然飛び出し、回し蹴りを叩き込んだ。




 ドゴォッ!!




 リュドミラが壁へ激突する。




「やるじゃない」




 口から血を流しながら笑う。




「でもまだ足りない」




 再びスキルを発動。


 劇場全体が歪む。




 だが。


 その隙をカールは見逃さなかった。




 ライフルを構える。




 呼吸を止める。




 視界を固定する。




 狙撃とは技術ではない。


 習慣だ。




 方向感覚が狂おうと関係ない、敵だけを見る。

 引き金を引く。




 銃声が響き弾丸が一直線に走る。

 リュドミラの肩を貫いた。

 初めて暗殺者の顔から余裕が消えた。




「なるほど」




 肩を押さえながら笑う。




「ホーク」




 名前を呼ばれる。




「貴方が噂の異世界人」




「そうだ」




「面白い」




 そして次の瞬間煙幕が炸裂した。

 視界が白く染まる。

 カールが前へ出る・・・しかし遅かった。

 煙が晴れた時舞台の上には誰もいなかった。




「逃げたか」




 カレンが舌打ちする。




「殺し損ねた」




「十分だ」




 カールは床へ落ちていた紙切れを拾う。

 そこには見覚えのある紋章が描かれていた。

 花屋で見た暗号組織、誘拐犯達の資料にもあったもの、

 そして楽園計画と呼ばれる文書にも記されていた印。




「繋がったな」




 カールが呟く。




 リュドミラもまた、その巨大な陰謀の関係者だったのである。

 レアニスはまだ気付いていなかった。

 彼らが追っている相手が、想像以上に巨大な組織であることを。

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