退路
第二十一話
退路
父と子の拳が衝突した瞬間、地下最深部そのものが耐え切れず崩壊を始めた。
衝撃波は同心円状に広がり、周囲の研究設備を一斉に吹き飛ばす。天井を支えていた鋼鉄製の柱は根本から折れ曲がり、壁面には巨大な亀裂が走る。数百メートル上に存在する研究施設本体も連鎖的な損傷を受けているのか、断続的な轟音が地下へ伝わってきた。
カールは吹き飛ばされながらも無理やり体勢を立て直した。
全身が痛む。骨も何本か折れている。しかし不思議と意識は鮮明だった。
目の前にはパイロ・フェニックスが立っている。
わずかに口元を歪めながら。
「いいな」
パイロは笑う。
「やっとだ」
その目には狂気ではなく喜びがあった。
戦える。
互角に近い相手と。
それだけが重要だった。
しかし、その瞬間だった。
研究所全体へ新しい警報が鳴り響いた。今までの避難警報ではない。もっと切迫した音だった。
天井のスピーカーから機械的な声が流れ始める。
《魔力炉臨界まで二分三十秒》
《施設崩壊まで二分二十七秒》
《全区画放棄を推奨します》
地下空間が静まり返る。
来夏が真っ先に叫んだ。
「待って待って待って!」
「二分!?」
「短すぎない!?」
セレンも顔色を変える。
「これ本当にまずいやつ」
ティナは崩落する天井を見上げていた。
既に植物でも支えられない。
施設そのものが死んでいる。カールも状況を理解していた。今ここで戦い続ければどうなるか。 答えは単純だった。
全員死ぬ。
パイロも。
グラスも。
自分達も。
まとめて。
「チッ」
舌打ちする。
せっかく辿り着いた。
せっかく目の前にいる。
それでも今は違う。
「撤退だ」
カールが言う。
カレンが振り返る。
信じられないものを見る目だった。
「は?」
「正気か」
「正気だから言ってる」
カールは答える。
「死んだら意味がない」
「親父だぞ」
「知ってる」
「グラスもいる」
「知ってる」
「じゃあ!」
「生きて帰る方が重要だ」
怒鳴るような声だった。
カレンが黙る。
それは珍しいことだった。だが問題は簡単ではない。パイロ・フェニックスは目の前にいる。
そして明らかに帰す気がない。
「もう終わりか」
少し残念そうだった。
「つまらんな」
「次がある」
カールは答える。
「どうせ死に損なうだろ」
その言葉に初めてパイロが大笑いした。
本当に楽しそうだった。
「それもそうだ」
否定しなかった。
次の瞬間パイロが動く。
速い。
先程以上だった。
まるで施設ごと吹き飛ばすつもりで突っ込んでくる。しかしその進路を遮ったのはカレンだった。
両手が緑色に発光している。
《ハイ・ディメンター》。
触れた対象を次元ごと吹き飛ばす破壊能力。
彼女は真正面から殴り掛かった。
「テメェの相手は私だ!」
拳。
直撃。
空間が裂ける。
パイロの胸部装甲が一部消失する。
その衝撃で周囲の床ごと消し飛ぶ。
だがそれでも怪物は止まらない。
しかし十分だった。
数秒。
たった数秒。
でもそれでいい。
「来夏!」
カールが叫ぶ。
「分かってる!」
《メビウス・ゲート》。
巨大な空間門が開く。
一つではない。
十。
二十。
三十。
地下空間全域へ設置される。
巨大な脱出路だった。
同時にティナが《ロータス・クイーン》を発動する。
地下最深部そのものが森になる。
無数の樹木が成長し、崩落する天井を支える。
蔦が壁を補強する。
根が瓦礫を押し返す。
これも時間稼ぎだ。
数秒。
いや十秒。
耐えてくれれば十分。
セレンも前へ出る。
《ザ・ミラーズ》。
能力の影響範囲を最大展開する。
上下。
左右。
空間認識。
距離感。
方向性。
全てを反転させる。
地下最深部全域へ。
パイロですら足を止める。
ほんの一瞬だが。
それでも止まった。
「今!」
セレンが叫ぶ。
その声で全員が動く。
グラスは呆然としていた。
研究所が崩壊する。
夢が崩れる。
神が去る。
人生そのものが壊れていた。
その老人をカールは無理やり引きずり上げた。
「離せ」
「黙れ」
「まだ終わっていない!」
「だからだ」
カールが睨む。
「終わらせるために連れて行く」
グラスは拘束された。
完全に。
最後尾ではカレンがまだ殴り合っていた。
崩落。
爆発。
炎。
その中で。
楽しそうに。
狂犬女王らしく。
「死ぬなよオッサン!」
「誰に言ってる」
「テメェだよ!」
《ハイ・ディメンター》発動。
拳が緑色の軌跡を描く。
次元が裂ける。
パイロが吹き飛ぶ。
その隙に来夏がゲートを開いた。
無理やりだ。
本当に無理やり。
カレンの身体を掴み、そのまま転移させる。
「離せぇぇぇっ!」
「駄目です!」
「あと一発!」
「毎回そう言う!」
レアニスらしいやり取りだった。
全員がゲートへ飛び込む。
最後にカールが振り返る。
炎。
崩壊。
瓦礫。
そして。
パイロ・フェニックス。
怪物は崩れゆく研究所の中央で立っていた。
逃げない。
追わない。
ただ見ている。
そして笑った。
「次だ」
「必ず殺す」
父親らしい言葉ではなかった。
だが。
妙に納得できた。
それがあの男なのだ。次の瞬間、ゲートが閉じる。地下研究所は完全崩壊した。グラスは捕縛された。
楽園計画は壊滅した。だが誰も勝ったとは思っていなかった。なぜならパイロ・フェニックスは生きている。そしてカールの中で目覚めた力もまた、まだ何一つ解明されていないのだから。
こうして楽園計画編は終わりを迎える。
しかし父と子の戦いは、まだ始まったばかりだった。




