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最下層

 第十七話

 最下層


 アーヴィンとの戦いを終えたカールが非常扉を突破した時、そこに広がっていた光景は研究所という言葉では説明できないものだった。地下三百メートルより更に下。自然に存在するはずのない巨大空間には数え切れないほどの培養槽が並び、その全てを中心へ向かって伸びるパイプラインが繋いでいる。赤く発光する魔力導管は巨大な血管のように地下施設の至る所を走り、一定間隔で脈動する光がまるで生物の鼓動を思わせた。


 やがて後方からカレン達も合流する。誰も言葉を発しなかった。地下空間の中央には、一つだけ異様な設備が存在していたからだ。高さ二十メートルを超える巨大カプセル。何百本ものケーブル。外部制御ユニット。複数の発電施設。王城一つを動かせそうなほどのエネルギーが、全てそこへ集約されていた。

エドワード・グラスは、そのカプセルの前に立っていた。




「ようこそ」




 老人は穏やかに微笑む。




「ようやく辿り着きましたね」




 カールは周囲を観察しながらゆっくりと前へ出た。射線。障害物。遮蔽物。退路。習慣のように確認しながらも、視線だけはカプセルから離さない。




「終わりだ」




 カールは言う。




「逃げ場はない」






「本当にそう思いますか?」




 グラスは楽しそうに首を傾げた。




「私は五十年待ったのですよ」




 その直後だった。地下空間全体へ重低音が鳴り響く。


 ドクン。


 心臓だった。


 誰の耳にも聞こえるほど巨大な鼓動。


 ドクン。


 床が震える。


 ドクン。


 三度目の振動が走った時、カプセル全体へ無数の亀裂が広がり始めた。


 来夏が思わず一歩後退する。




「何これ」






「生きてるの?」




 グラスは涙を浮かべながら頷く。




「当然です」






「私は死人を蘇らせようとしたわけではない」






「では何をした」




 カールが問う。




 老人は誇らしげに胸を張った。




「完成させたのです」




 その言葉に嫌な寒気が走る。




 パイロ・フェニックス。




 カールの父親。




 世界に破壊と混乱をもたらした怪物。




 ナチス残党を世界中で狩り尽くした男。




 狂った愛国者。




 狂った差別主義者。




 狂った英雄。




 そして圧倒的な力を持っていた存在。




 グラスはその全てに魅了されていた。




「彼は完璧だった」




 老人が呟く。




「転移者でありながら人類の限界を超えていた」






「違う」




 カールは低く答えた。




「親父は化け物だっただけだ」






「だからこそ価値がある」




 グラスは笑った。




 狂信者だった。




 それも救いようのないほどに。その瞬間、地下施設全域へ警報が鳴り響く。同時に左右の巨大格納庫が開放された。レアニス全員の視線がそちらへ向く。そして現れたものを見た瞬間、来夏が顔を引きつらせた。




「冗談でしょ」




 高さ四メートル級の装甲兵器が三体。


 第一保管施設で戦った試作型ですら問題にならなかったほどの重武装機体が、完全な状態で待機していたのである。


 黒い装甲。


 異常なまでに分厚いフレーム。


 肩部砲塔。


 胸部魔力炉。


 そして胸には炎を模した紋章。




 フェニックス。


 模造品ではあるが、そこには確かにパイロ・フェニックスの設計思想が組み込まれていた。



「行くぞ」




 カレンが笑う。




 その笑みは完全に戦闘中のものだった。




「全部ぶっ壊す」


 最初に動いたのは装甲兵器だった。床を踏み砕きながら突進する。四メートルの巨体が信じられない速度で距離を詰め、そのまま巨大な拳を振り下ろした。カレンは逃げない。真正面から踏み込む。拳を握る。殴る。二つの質量が衝突した瞬間、空気そのものが爆発した。


 地面が陥没する。


 壁面が砕ける。


 周囲の研究設備がまとめて吹き飛ぶ。


 しかし両者とも止まらない。


 装甲兵器は連続攻撃を仕掛ける。


 拳。


 肘。


 蹴り。


 全てが戦車砲並みの破壊力を持つ。対するカレンも殴る。殴る。さらに殴る。もはや格闘技ですらない。怪獣同士の殴り合いだった。しかし緑に輝くカレンの拳は次元を吹き飛ばす超威力の拳。戦いは拮抗してるように見えてカレンが押していた。




「最高だ!」




 カレンが叫ぶ。




「もっと来い!」




 完全に楽しんでいる。


 一方でセレンは別の一体と交戦していた。


 《ザ・ミラーズ》の発動と同時に空間認識が反転し、装甲兵器の平衡感覚が狂う。普通ならそこで終わる。しかし相手は機械だった。制御システムが混乱を補正し、無理やり戦闘を継続する。




「本当に面倒」




 セレンは眉をひそめる。




「嫌い」




 それでも能力を解除しない。むしろ細かく調整し続ける。敵の視界だけを反転。重力感覚だけを反転。

距離感だけを反転。わずかな誤差を積み重ねていく。そしてその隙を突いて来夏が飛び込んだ。




「今!」




 ゲートが開く。




 蹴撃。




 直後に別方向へ転移。




 再び蹴撃。




 装甲兵器は迎撃できない。




 二人の連携だった。


 ティナも全力を出していた。


 《ロータス・クイーン》によって地下空間そのものが巨大な森林へ変わっていく。床を突き破った樹木が天井へ届き、無数の蔦が生き物のように暴れている。植物は装甲兵器達へ絡み付き、関節部へ侵入し、強引に動きを止めようとする。


 しかし相手もまた規格外だった。胸部から高熱を放射する。一瞬で植物が蒸発する。




「嫌い」




 ティナが再び呟く。




「燃やすの全部嫌い」




 次の瞬間、植物の量がさらに増えた。


 珍しく怒っていた。


 激しい戦闘の中でもカールだけは冷静だった。


 撃たない。


 動かない。


 まず見る。


 敵の動き。


 装甲構造。


 電力消費。


 制御ルーチン。


 そしてカプセル周辺の防御配置。


 ようやく理解する。




「そういうことか」






「何だ?」




 カレンが戦いながら叫ぶ。




「連中は囮だ」




 カールはライフルを構えた。




「あのカプセルが本命だ」




 その瞬間、中央の巨大カプセルに決定的な亀裂が入った。培養液が吹き出し鋼鉄製の拘束具が砕ける。

周囲の機材が限界を迎える。そしてゆっくりと本当にゆっくりと、中の人影が動いた。グラスは涙を流していた。




「お帰りなさい」




 老人の声が震える。




「パイロ・フェニックス」




 地下空間から空気が消えたような感覚が走る。


 誰も動けない。


 誰も喋れない。


 ただカプセルの中で目を開こうとしている存在を見ていた。




 そしてカールだけが理解していた。




 もし本当にあれが目覚めるなら。




 今までの敵は全て前座だったのだと。

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