地下三百メートル
第十六話
地下三百メートル
研究所が崩れ始める中、カールは白衣の男を追って地下通路へ飛び込んだ。足元では警告灯が赤く点滅し、天井からは崩れたコンクリート片が雨のように降り続いている。それでも男は振り返らない。ただ一定の速度で走り続けていた。その姿には奇妙な確信があった。追ってくることを理解し、その上で誘導しているような余裕がある。
カールは追跡しながら周囲を観察していた。通路の構造。換気口の位置。非常隔壁。電源ケーブル。逃走経路。相手が用意した舞台に飛び込んでいる以上、情報量で勝つしかない。男が角を曲がる。カールも続く。その瞬間だった。
爆発。
轟音と共に通路の壁面が内側から弾け飛び、吹き飛んだ鉄骨が槍のように飛来する。カールは咄嗟に床へ滑り込み、頭上を通過した鋼材が後方の壁へ突き刺さる音を聞いた。
「歓迎されてるな」
立ち上がった頃には白衣の男が通路の中央で待っていた。三十代半ばほどの年齢に見える。整った顔立ちと知的な雰囲気を持ちながら、その眼だけはまるで死体のように冷たかった。
「初めまして」
男は穏やかに頭を下げる。
「アーヴィン博士です」
「グラスの犬か」
「光栄ですね」
その返答と同時に床が消えた。壊れたのでも砕けたのでもない。まるで最初から存在しなかったかのように消滅したのである。カールは反射的に身体を捻り、崩落した空間の端へ転がる。もし反応が遅れていれば三百メートル下まで真っ逆さまだった。
「なるほど」
カールは穴の縁を見下ろした。
「空間系か」
「流石ですね」
アーヴィンが笑う。
「理解が早い」
指を鳴らす。
再び空間が歪む。今度は壁面の一部が消失し、通路そのものが歪んだように崩れ落ちる。攻撃そのものは派手ではない。しかし厄介だった。破壊ではなく削除に近い。爆発物とも魔法とも違う、異質な能力だった。一方その頃、上層ではレアニスが巨大装甲兵器との死闘を繰り広げていた。
カレンが正面からぶつかり、ティナの植物が拘束を試み、来夏とセレンが側面から攻撃を仕掛ける。しかし敵は異常なほど頑丈だった。
グラスが残した研究記録にはこう書かれていた。
《フェニックス・タイプ試作七号》
つまりこれは兵器ではなく実験体だった。
パイロ・フェニックスの技術を再現しようとして生み出された怪物。
未完成。
欠陥品。
それでも十分危険だった。
装甲兵器の胸部が開く。
直後、無数の砲門が展開した。
「来る!」
来夏が叫ぶ。
弾幕。
爆炎。
高密度の魔力砲撃が地下空間を埋め尽くした。
ティナは即座に《ロータス・クイーン》を発動する。床を突き破って現れた巨大植物が壁のように展開し、仲間達を庇う。しかし数秒後には砲撃によって粉々に吹き飛ばされていた。
「火力高すぎ」
ティナが珍しく不満そうに呟く。
「嫌い」
植物好きの少女にとって炎系の敵は天敵だった。セレンは瓦礫を飛び越えながら接近する。
《ザ・ミラーズ》が発動した瞬間、装甲兵器の視界が反転する。正常な生物なら立っていることすらできない。しかし怪物は違った。
砲撃。
拳。
蹴り。
全て勘だけで放ってくる。
「嘘でしょ」
セレンは身を捻って拳を回避する。
拳圧だけで背後の壁が砕け散った。
「頭悪い」
「今更だろ」
来夏が答えた。
実際その通りだった。常識が通用する相手ではない。その頃、地下三百メートル地点ではカールとアーヴィンの戦いが続いていた。カールは既に能力の特性を見抜いている。これは消滅能力ではない。
空間転送だ。対象を別の場所へ飛ばしているだけ。入口と出口が存在する。だからこそ攻略できる。
「分かったか」
アーヴィンが微笑む。
「大体な」
カールは拳銃を抜いた。狙うのは本体ではない。
天井。壁。床。
それぞれめがけて三発。四発。五発。
銃弾があらゆる方向へ跳ねる。普通なら意味のない射撃だった。しかしアーヴィンは初めて表情を変える。
空間転送なら出口がある。
そして出口は物理法則から逃げられない。
跳弾した弾丸が転送出口から飛び出し、アーヴィンの頬を掠めた。
血が流れる。初めてだった。
「面白い」
アーヴィンは笑った、狂人だった・・・グラスに近い。
いや。
同じ種類だった。その時、研究所全体が激しく揺れた。地下からでも分かる巨大な衝撃だった。
「カレンか」
カールは呟く。
実際その通りだった。上層でとうとう決着が始まっていた。装甲兵器の胸部装甲が砕け、中の実験体が露出する。怒りに支配されたカレンが容赦なく拳を叩き込み続ける。ハイ・ディメンターのスキルはミサイルにも匹敵する衝撃を生み出す。そしてどんな分厚い装甲も異次元の彼方に吹き飛ばされる。一発ごとに装甲が削り取られ、歪み、二発目で内部機構が消滅し、三発目で魔力炉が悲鳴を上げる。そして最後の一撃が炸裂した瞬間、装甲兵器そのものが爆発四散した。衝撃は研究所全体へ伝わり、地下空間にまで届いていた。
「決着か」
カールは小さく笑う。だったらこちらも急ぐべきだった。 グラスが待っている。正確にはグラスが隠している何かが。アーヴィンが再び空間を歪めようとしたその瞬間、カールは前へ出る。今度は距離を取らない。射撃戦ではなく接近戦。相手が能力発動に集中する以前に潰す。軍でも散々使った手だった。
拳。
肘。
膝。
アーヴィンは慌てて後退する。初めて余裕が消えていた。そしてカールは確信する。能力は強い。だが本体は弱い。グラスの研究者達と同じだ。人間そのものは戦士ではない。だから殺せる。通路の奥で非常扉が開く音が響く。その向こうからは赤い光が漏れていた。
最下層。
グラスが待つ場所。
そしてパイロ・フェニックスの遺産が眠る場所だった。




