恋愛は、別の手段をもってする『充電』の継続である
華妃様に景陽宮を追い出され、私は行く当てもなく、黄昏時の庭園をトボトボと歩いていた。
私の手元にあるのは、身一つと、景皇子から託されたモバイルバッテリーだけ。
スマホは華妃様に没収されてしまった(というか、置いてこざるを得なかった)。
「はぁ……」
深いため息が漏れる。
秋の風が冷たい。
華妃様の部屋の、あの暖かな火鉢とふかふかのラグが恋しい。
私は自ら、あの楽園を捨てて、修羅の道へと足を踏み入れてしまったのだ。
「……愚か者め」
不意に。
風の音に混じって、低く、凍えるような声が聞こえた。
ビクリと肩を震わせ、顔を上げる。
庭園の柳の木陰。夕闇が濃くなり始めたその場所に、一つの人影が立っていた。
鋭い視線を、私に向けて立っていたのは――景皇子だった。
「……杏花」
彼の声は、かつてないほど低く、冷たく、そして静かだった。
ドラマで見ていた「冷徹な皇子」の演技など比ではない。本物の殺気と、激情を孕んだ静寂。
私は足がすくみ、その場に立ち尽くした。
「け、景皇子……」
「噂は聞いた。……父上の所へ向かうそうだな」
彼はゆっくりと、一歩ずつ私に近づいてくる。
その足音は、死刑執行人のように規則正しく、重い。
「父上が庭でそなたを見初め、夜伽を命じたと。……そしてそなたは、それを承諾したと」
彼の瞳には、軽蔑の色が見えるかと思った。
「やはりお前も権力に弱い女だったか」と、見下されるのだと思った。
だが、違った。
夕闇の中で光る彼の瞳にあったのは、燃えるような怒りと、深い悲しみ。
そして――強烈な、ねっとりとした嫉妬の炎だった。
「そなたは……私が救った命だ」
彼は私の目の前で立ち止まった。
その距離、わずか数センチ。
彼の吐息がかかるほどの至近距離で、私は彼を見上げる。
「あの夜、バッテリーを渡し、生き延びろと言ったのは私だ。私の知恵で、私の与えた光で、そなたは今日まで生き延びてきた」
彼の言葉には、所有欲が滲んでいた。
彼は私を「一人の人間」として見ていると同時に、「自分が生かした女」としても認識していたのだ。
「それを、よりにもよって……父上が奪うだと?」
ガシッ。
彼は私の手首を掴んだ。
痛いほど強く。骨が軋むほどの力で。
「……断れなかったのか」
問いかける声が震えている。
「も、申し訳ありません……。私、押されると弱くて……『君しかいない』とか『孤独だ』とか言われると、つい……」
「呆れた女だ」
彼は吐き捨てるように言った。
だが、手首を掴む手は離さない。
それどころか、彼は私を強く引き寄せ、逃げ場を奪うように抱きすくめた。
「っ……!?」
白檀と、雨の匂いが混じった彼の香りが、私を包み込む。
彼の心臓の音が、私の胸に直接響いてくるようだ。速い。激しい。
いつも冷静沈着な彼の、制御できない感情の奔流。
「だが、覚えおけ」
彼は私の耳元に唇を寄せ、低い声で囁いた。
その声は、甘い愛の囁きではなく、呪詛にも似た誓いの言葉だった。
「……私は、欲しいものは手段を選ばず手に入れる」
「え?」
「父上だろうと関係ない。皇帝だろうと、天だろうと、私の邪魔はさせない」
彼は私の手首を掴んだまま、私の目を真っ直ぐに見つめた。
その瞳の奥にある暗い炎が、私を焼き尽くすように揺らめいている。
「そなたを、必ず奪い返す」
ドクンッ!!
その瞬間、私の心臓が爆発した。
なにこれ。
ヤンデレ? 略奪愛?
それとも、親子を巻き込んだ泥沼の骨肉の争いの幕開け?
私の「ダメンズ・ウォーカー」の才能が、ついに最強最悪のルートを引き当ててしまったのか。
孤独な皇帝(父)と、執着する皇子(子)。
その間に挟まれた、意志薄弱なATM体質の女(私)。
昼ドラでもここまでドロドロしない。
「い、今は……無理です。皇帝陛下の命令には逆らえません……」
私が震える声で告げると、景皇子はフッと自嘲気味に笑った。
「わかっている。……行け。……今は、な」
彼は、未練を断ち切るように私の手を突き放した。
その手には、私の手首の熱が残っているようだった。
「だが、忘れるな。そなたの『充電』をしたのは私だ。その命の所有権は、まだ私にある」
彼はそう言い残し、漆黒の衣を翻して闇の中へと消えていった。
残されたのは、手首に残る痛さと、耳元に残る彼の熱い吐息の余韻だけ。
「……はぁ、はぁ……」
私はその場にへたり込みそうになった。
なんなの、今の。
心臓が持たない。
恐怖と、ときめきと、絶望がないまぜになって、脳みそがショートしそうだ。




