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姫失格 〜恥の多い後宮生活を送って来ました〜  作者: 俊教授 オーバーシー大学
女官奉公編
25/42

朕は孤独なり


「天は二物を与えず」と言うが、私の場合は少し違う。

なんやかんやで山田花子は「女性を篭絡する策士的才能(猫かぶり、お世辞、画像加工)」があるのに、「男性に対する判断能力」は根こそぎ奪い去られてしまった。

これは、山田花子としての人生から続く、DNAの螺旋に深く刻み込まれた、逃れようのない呪いである。

私の「男運のなさ」と「押しへの弱さ」は、もはや伝統芸能の域に達していると言っていい。

すべての始まりは、3歳下の弟だった。

記憶の中の幼い弟・タカシは、子猫そのものだった。

ミルクの匂いが残るようなサラサラの茶色い髪、ビー玉のように透き通った大きな瞳。私の服の裾を小さな手でギュッと掴み、あどけない声で「ねえちゃん、だいすき」と見上げてくる。

その瞬間、私の脳内では幸せ物質ドーパミンがナイアガラの滝のように分泌され、理性の堤防が決壊するのだ。

私は彼に小さなお菓子や、なけなしのお小遣いで買ったおもちゃを買い与え続けた。自分が欲しい漫画雑誌を我慢してでも、弟が欲しがるカードダスを買ってあげた。彼の笑顔が見られるなら、私の我慢など安いものだと思っていた。

「私が守ってあげなきゃ」

「私が喜ばせてあげなきゃ」

その歪んだ庇護欲は、弟の成長と共に肥大化し、彼が中学に上がる頃には、決定的な変質を遂げていた。

声変わりし、背も私を追い越した弟にとって、私はもはや敬うべき姉ではなく、「動くATM」として認識されるようになっていたのだ。

「ねえねえ、金貸して。来月返すから(返すとは言っていない)」

「ねえねえ、新しいゲーム機欲しいんだけど。買ってくれたら肩揉んでやるよ(3秒だけ)」

リビングのソファに寝転がり、スマホゲームをしながら気怠げに金を無心する弟。

普通なら怒るべきだ。姉として、教育的指導を入れるべきだ。あるいは、親に言いつけるべきだ。「自分で稼ぎなさい」と突き放すのが、本当の愛だということも頭では分かっている。

しかし、彼が上目遣いで私の袖を引っ張り、普段の不機嫌な態度をかなぐり捨てて、「頼むよ、ねーちゃん。俺にはねーちゃんしかいないんだよ。親には言えないんだ」と、幼い頃と変わらぬ甘えた声を出すと、私の脳内セキュリティーは瞬時に崩壊するのだ。

(ああ、この子は私がいなきゃダメなんだ)

(私だけが、この子の本当の願いを叶えてあげられるんだ)

「……もう、しょうがないなぁ♡ 今回だけだよ?」

そう言いながら財布の紐を緩める瞬間、私は奇妙な快感――必要とされているという強烈な優越感と、自己犠牲による陶酔――に浸ってしまう。それは、麻薬のような甘い毒だった。

弟が金を受け取った瞬間に「うぃーす、サンキュ」と冷たい態度に戻っても、「照れ隠しね」と脳内で好意的に変換してしまうほどの重症だった。私は、搾取されることの中に、歪んだ存在意義を見出してしまっていたのだ。

大人になっても、この致命的なバグは修正されなかった。

むしろ、社会に出て経済力を持ったことで、事態は悪化した。

職場で「いいな」と思う素敵な男性(誠実、イケメン、安定職、精神的に自立している人)からは、私は空気のように扱われるか、あるいは「話しやすい同僚(恋愛対象外)」として処理される。

彼らは自立しており、私に依存する必要がないからだ。私の「尽くしたい欲求」が入り込む隙間がないのだ。

その代わり、「どう見ても地雷」「歩く事故物件」な男性からは、なぜか猛烈に、磁石が吸い寄せられるようにアプローチされるのだ。

「俺、世界を変えるアプリを作るから」と言って私の貯金を食いつぶし、結局ソシャゲの重課金に費やしていた自称起業家。

「束縛されたくないんだ」と言いながら私の財布に転がり込み、家事一切をやらせた挙句、私の作った弁当を持って浮気相手の家に行っていたヒモ男。

彼らの手口はいつも同じだ。

最初は強引に近づき、私の母性本能をくすぐる弱み(孤独、夢、過去の傷、社会への不満)を見せ、そして決定的な一言を放つ。

そして最大の問題は――「好きだ」と言われると、断れないことだ。

「花子、お前しかいないんだ(金ヅルとして)」

「世界中が俺を否定しても、お前だけは俺を信じてくれるよな?」

「お前の作る唐揚げが一番だ(金がないから外食できないだけ)」

そんな薄っぺらい、透け透けの言葉でも、直球で愛(?)を囁かれると、私の理性は蒸発する。

「私がついててあげなきゃ……! この人の才能を理解できるのは私だけ……!」

という謎の使命感が暴走し、気づけば泥沼。貯金残高と反比例して増えていくのは、男の借金と私の黒歴史だけ。

まさか、この現代社会で培われた「ダメンズ・ウォーカー(ダメ男製造機)」の才能が、時空を超えたこの清朝の後宮で、国を揺るがす大惨事を招くことになろうとは。

その日、私は景陽宮の広大な庭園で、ひとり茂みの中を彷徨っていた。

手にしているのは、モバイルバッテリーで満充電になった最強の武器、スマートフォン。

華妃様の新しい動画企画『宮廷庭園で優雅なかくれんぼ〜見つけたら即・処刑(嘘)〜』のロケハン中だったのだ。

「ここなら逆光で、華妃様の髪が綺麗に映るわね……。あっちの岩陰からのアングルも捨てがたい……」

スマホを掲げ、一人でブツブツ言っていた時だ。

庭園の曲がり角、柳の木陰から、大勢の足音が近づいてくるのが聞こえた。

砂利を踏む規則正しい音。衣擦れの音。そして、漂ってくる高貴な龍涎香りゅうぜんこうの香り。

現れたのは、黄色い龍の刺繍が入った服を着た、初老の男性だった。

白髪交じりの髪を丁寧に結い上げ、背筋を伸ばして歩くその姿。

周囲には数十人の太監たちが付き従い、蠅を払うように恭しく道を開けている。

皇帝陛下である。

(げっ! 陛下だ!)

私はとっさにスマホを懐に隠し、道端の草むらに身を投げ出すようにして平伏した。

心臓がバクバクと鳴る。

皇帝陛下は、華妃様の元へ通う途中で、気まぐれに庭を散策していたのだろうか。

見つかったら怒られる。いや、最悪の場合、「不敬罪」で首が飛ぶ。

私は石になり、草になり、空気になろうと努めた。

(早く通り過ぎて! お願いだから気づかないで!)

しかし。

私の祈りも虚しく、その足音は私の目の前、鼻先数センチのところでピタリと止まった。

「……おもてを上げよ」

頭上から降ってきたのは、威厳ある、しかしどこか甘く粘り気のある声だった。

逆らえない重圧。

私は恐る恐る、ゆっくりと顔を上げた。

そこには、優しげだが妙にギラギラした目をした皇帝が立っていた。

初老とはいえ、腐っても皇帝。整った顔立ちをしているが、その瞳の奥には、すべてを手に入れた者が抱える特有の「渇き」のようなものが揺らめいている。

彼は私を見ると、大きく目を見開いた。

「おお……! なんという無垢な瞳だ……!」

(へ? 無垢? ただのビビって引きつってる目ですけど?)

皇帝は屈み込み、私の手を取ると、ぐいっと強引に引き寄せた。

太監たちが息を呑む気配がする。

(ちん)は長く生きてきたが、このように飾らぬ、自然な美しさを持つ娘は初めて見た。宮廷の女たちは皆、厚化粧で仮面を被り、媚びを売ることしか知らぬが……そなたは違う。野に咲く一輪の杏の花のように、清らかで、素朴だ」

(いやいや陛下、騙されないで! 私、今はたまたまスッピンですけど(華妃様のメイク係と動画編集で徹夜して顔洗うの忘れてただけ)、中身はゴリゴリの加工アプリ中毒者ですよ!? フィルターなしじゃ生きられない女ですよ!?)

私の心のツッコミは、当然ながら届かない。

皇帝の熱っぽい瞳が、至近距離で私を射抜く。

その手は、私の泥だらけの手を離そうとしない。むしろ、熱く湿った掌で、ねっとりと撫で回してくる。

「そなた、名は?」

「え、やまだはな……じゃなくて……き、杏花きょうか……にございます」

「杏花か。よい名だ。……(ちん)の宮へ参れ。今宵、そなたと朝まで語り合いたい」

その言葉が落ちた瞬間、周囲の空気が凍りついた。

太監たちが顔を見合わせ、動揺しているのがわかる。

これは事実上の「召喚の命令」だ。

しかも、「自分の宮へ連れてこい(養心殿への召喚)」というのは、ただの後宮入りではない。特別待遇、寵愛の始まりを意味する。

ここで私の脳内会議が、緊急サイレンと共に招集された。数々の脳細胞という私の中で働く官僚たちが議論を繰り返す!

【脳細胞A 理性大臣(議長)】

『断れ! 全力で断れ! お前の主人は華妃だぞ! 主人の恋人(夫)を寝取るとか、一番やっちゃいけない裏切りだ! 華妃に知れたら井戸じゃ済まない、八つ裂きにされて肥料にされるぞ!』

【脳細胞B 恋愛脳推進委員会(景皇子推し)】

『無理無理無理! お前が好きなのは息子の景皇子でしょ!? 親父のところの行っちゃったら、永遠に結ばれなくなるぞ! 昼ドラ展開すぎる!推しの専心の心を思い出せ! 』

【脳細胞C 生存本能対策本部長(SE)】

『そもそも皇帝に気に入られたら、後宮中の女性から刺される! 皇后、華妃、その他の側室……全員敵に回すことになる! スマホを守るどころじゃない、逃げろ!』

答えは明白だ。

「恐れ多いことでございますが、私は華妃様にお仕えする身……」とかなんとか言って、辞退すべきだ。

景皇子のためにも、華妃様との友情(?)のためにも、そして私自身の平穏なサバイバル生活のためにも、絶対に断らなければならない。

しかし。

皇帝は私の手を両手で包み込み、潤んだ瞳――捨てられた子犬のような、あるいは愛に飢えた老犬のような瞳――で、こう言ったのだ。

「頼む、杏花。(ちん)は……孤独なのだ」

ズキン。

私の心臓が、嫌な音を立てた。

「孤独……?」

「ああ。誰も彼も、(ちん)の権力を愛しているだけ。(ちん)の顔色を伺い、富と名声を求めて群がってくる。……だが、そなたの目は違う。そなたなら……(ちん)自身を見てくれる気がするのだ」

皇帝は私の手を自分の頬に押し当てた。

温かい。

そして、その目は、かつて私に金をせびり、愛を囁いたダメ男たちと同じ、「依存」の色を帯びていた。

『俺にはお前しかいないんだ』

『世界中で俺を理解してくれるのはお前だけだ』

普通なら「うわっ、重い」「権力者が何甘えてんだ」となるところだ。

だが、山田花子の悲しきサガ

「必要とされている」「好きだと言われた」「この人は孤独なんだ」という事実が、鉄壁の理性をショートさせる。

(ああっ……だめ……この人、私がいないとダメなタイプだ……!)

(国のトップなのに孤独? 可哀想……癒やしてあげなきゃ……!)

(私だけが、この人の本当の寂しさを埋めてあげられるのかもしれない……!)

ドーパミンの放出量が限界値を突破した! 長年の「ダメンズ教育」によって歪みきった母性本能が、暴走を始める。

景皇子のクールな顔が脳裏をよぎるが、目の前の「今すぐ助けを欲しがっている男」の引力には勝てない。脳内議会に非常戒厳が宣布された!!!

そう、私の口が、脳からの停止信号を無視して、勝手に動き出した。

「……は、はい。喜んで……」


言っちゃったーーーーーー!!!!!

私の口から出た言葉に、自分自身が一番驚愕した。

バカ! 私のバカ! ATM体質! ダメンズ・ウォーカー!

なんでここで「はい」って言うの!?

親子丼(比喩ではなく恋愛的な意味で)なんてハードル高すぎるでしょ!

しかも相手は皇帝! 国一番の権力者にして、国一番の「面倒くさい男」確定じゃない!

皇帝の顔が、パァァッと輝いた。

「おお、杏花! やはりそなたは、(ちん)の運命の女だ!」

彼は私を抱きしめんばかりの勢いで喜び、太監たちに「今夜の宴の準備をせよ! 最高のご馳走を!」と叫んでいる。

私は引きつった笑顔のまま、心の中で絶叫した。

終わった。

私の平和なカメラマン生活も、景皇子との純愛ルートも、すべてが音を立てて崩れ去った。

これから始まるのは、皇帝の寵愛を巡る血で血を洗う女たちの戦いと、そして何より――「寂しがり屋の皇帝おじさん」のメンタルケアという、終わりのない介護生活だ。

まさか、この「ダメンズ・ウォーカー」の才能が、後宮で国を揺るがす大惨事(修羅場)を招くとは。

遠くで雷が鳴った気がした。それは、景皇子の怒りの雷か、あるいは華妃様の嫉妬の雷か。

どちらにしても、私の未来は「詰み」確定だった。




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