星の皇子さま
通知だ。
こんな時に? バッテリーの無駄遣いなのに?
私は反射的に画面を見た。
『景』からの新着メッセージ
『……騒がしい猫だ。北の庭園にある「流雲亭」へ来い。光をくれてやる』
「…………え?」
思考停止した脳を、無理やり再起動させる。
光を、くれてやる?
景皇子。あの謎のアカウント。
彼は、私が今ここでピンチであることを知っている? 私の絶叫が聞こえたのか?
まさか、バッテリー残量まで見えているのか?
「華妃様!」
私は部屋に戻り、叫んだ。
もはや論理も科学もない。あるのは勢いだけだ。
「て、天からの啓示がありました! 『北の庭園で月の気を集めよ』と! 月の光を鏡にチャージしてまいります! すぐに行ってまいります!」
「はぁ? あんた、いよいよ頭が……」
華妃様は呆れ果てていたが、私の鬼気迫る形相に気圧されたのか、ため息をついて手を振った。
「よくわからないけど……鏡が直るなら行ってきなさい。直らなかったら、承知しないわよ。その時はお前を剥製にして飾ってやるから」
「はい!(直らなかったらそのまま脱走して亡命します!)」
私はサンダルを突っ掛け、夜の闇の中を全力疾走した。
北の庭園までは距離がある。
残り1%。
お願い、持ってくれ。私の命の灯火よ。私が到着するまで、その瞳を閉じないでくれ。
◇
北の庭園にある『流雲亭』。
普段は人気のない、池に張り出した静かな東屋だ。
月明かりが水面に揺れ、幻想的な雰囲気を醸し出している。
そこに、一つの人影があった。
月光を背に受け、夜風に長い黒髪をなびかせる、彫刻のように美しい青年。
第二皇子、景。
彼は欄干にもたれかかり、私が息を切らして駆け込んでくるのを、無表情で見つめていた。
その手には、この時代の人間が持つはずのない……いや、私にとっては見慣れすぎている「黒い長方形の物体」が握られていた。
「景、皇子……!?」
私は膝に手をつき、荒い息を吐きながら彼を見上げた。
彼は何も言わず、その物体を私に向かって放った。
「受け取れ」
私は慌てて両手を伸ばし、それを空中でキャッチした。
ずっしりとした重み。
ひんやりとした、硬質プラスチックのマットな質感。
そして、側面に空いた長方形の穴――USB-Aポート。
表面には、見慣れたロゴマーク。
『Anker PowerCore 20000』
(アンカーの大容量モバイルバッテリー……!?)
「う、うそ……! なんでこんなものを!? これ、現代の……!」
「早くしろ。死にかけだろう」
彼の低い声にハッとし、私は震える手でスマホを取り出した。
画面は真っ暗だ。落ちたか? いや、まだギリギリ生きているはずだ。
私は持参していた白い充電ケーブルを、バッテリーのポートに差し込んだ。
そして、もう片方をスマホの端子へ。
カチッ。
一瞬の間。
永遠に続くかと思われた沈黙。
そして、画面の中央に、希望のシンボルが大きく表示された。
『⚡(充電中)』
『現在1%』
「あ……あああ……!」
私はその場にへなへなと崩れ落ちた。
助かった。
繋がった。
首の皮一枚で、文明の火が灯った。
「よかった……本当によかった……!」
私はバッテリーを胸に抱きしめて涙ぐんだ。
温かい。いや、実際は冷たいのだが、今の私には焼きたてのパンのように温かく感じられた。
ようやく呼吸が整い、私は顔を上げた。
目の前には、月光を浴びて立つ救世主がいる。
「景様……。どうして、これを……? 貴方も、未来から来たのですか……?」
景皇子は、フッと短く息を吐き、夜空を見上げた。
その横顔は、ドラマで見ていた時の「冷徹な皇子」よりもずっと人間味があり、そしてどこか深い孤独と哀愁を帯びていた。
「……母上の遺品だ」
「お母様の……?」
「母上も、そなたのように奇妙な言葉を使い、奇妙な道具を愛していた。『私は別の星から来たのよ』と笑っていたが……私が幼い頃に亡くなった」
彼は遠い記憶を手繰るように目を細めた。
彼の母――それは、早逝したと伝えられる謎多き側室のことだろうか。
彼女もまた、私と同じ時間旅行者だったのか。
「そなたのその板が光った時、懐かしいと思った。……やはり、同郷の者だったか」
彼は私の手にあるスマホとバッテリーを指差した。
「それは『太陽の光を食らう石』で力を蓄えておいたものだ。母上はそれを『最後の命綱』だと言って、大切にしていた」
ソーラーパネルまであるのか。
この世界のオーパーツ事情はどうなっているんだ。
彼はゆっくりと歩み寄り、私の前にしゃがみ込んだ。
視線が合う。
月光に照らされたその瞳は、スマホの有機EL画面よりも深く、吸い込まれそうな漆黒だった。
初めて間近で見る、推しの顔面。
美しすぎて、画素数が高すぎて、私の脳内GPUの処理が追いつかない。
「杏花。……いや、花子と言ったか」
私の本名を、彼が呼んだ。
SNSのアカウント名を見て知っていたのか。
心臓が跳ねる。
「その『命綱』、そなたに預ける。母上も、草葉の陰で面白がっているだろう」
「えっ、でも……こんな貴重なものを……」
「私には使い道がない。それに……」
彼は少しだけ口角を上げた。本当に、ごくわずかに。
でもそれは、今まで見たどんな笑顔よりも破壊力があった。
「そなたの動画とやら、悪くない。続きが見られないのは、私の退屈しのぎに支障が出る」
「景様……」
「だから……生き延びろ。花子。この狂った後宮で」
彼の大きく温かい手が、私の頭にポンと置かれた。
それは、華妃様に「よしよし」される時のペット扱いとは違う。
もっと力強く、不器用で、そして「守る」という意志のこもった感触。
「あ……」
言葉が出ない。
充電されたのはスマホだけではなかった。
私の心のバッテリーも、一瞬で100%……いや、過充電で爆発寸前だ。
「戻れ。華妃が待っているのだろう。……これ以上ここにいると、私がそなたを喰らってしまうかもしれんぞ」
彼は意味深な冗談(?)を呟くと、風のように立ち上がった。
「ま、待ってください!」
私は慌てて、彼の背中に叫んだ。
「あ、ありがとうございます! あの、また……メッセージ、送ってもいいですか!? バッテリーのお礼とか、動画の感想とか……!」
彼は足を止め、振り返らずに片手だけを軽く上げた。
『通知オンにして待っている』
夜風に乗って、そう聞こえた気がした。
彼はそのまま、闇の中へと消えていった。
残されたのは、私と、充電中のスマホ。
そして、手の中に残る Anker のずっしりとした重み。
バッテリー残量は『5%』まで回復している。
危機は去った。
私は、満充電に向かって数字を増やしていくスマホと、まだほんのり温かい(気がする)モバイルバッテリーを胸に抱きしめ、夜空に向かって無言のガッツポーズをした。
バッテリー確保。
最強のパトロンとの再会。
そして、まさかの「推しとの秘密の共有」。
「……やばい。これ、ドラマより面白い展開になってきたじゃない」
私はニヤニヤが止まらない顔を引き締め(ようと努力し)、華妃様の待つ景陽宮へと走り出した。
サンダルの音も軽やかに。
足取りは、空気のように軽かった。
(待ってなさい華妃様! 充電MAXになった『真実の鏡』で、朝まで撮影会よ!)
そして私は知らなかった。
このバッテリーが、単なる電源ではなく、後宮を揺るがす巨大な陰謀を暴くための「ブラックボックス」になることを。
私の冒険は、ここからが本番だ。




