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姫失格 〜恥の多い後宮生活を送って来ました〜  作者: 俊教授 オーバーシー大学
女官奉公編
22/42

奢れるスマホも久しからず

「キャハハハ! 嫌だ華妃かひ様、この『パンダの耳』、お似合いすぎます〜!」

「そう? んふふ……。意外と可愛いじゃない。次はこっちの『キラキラお目々』にするわよ。……にゃん♡」

「出たー! 華妃様の必殺『国傾けキャット』! いただきまーす(スクショ音)!」

カシャッ、カシャッ、カシャッ。

軽快な電子シャッター音が、景陽宮の奥深く、一般の者が立ち入ることさえ許されぬ豪奢な寝室にリズミカルに響き渡る。

床には、最高級のペルシャ絨毯をも凌ぐ価値があると言われる、純白の白虎の毛皮のラグが敷き詰められている。そのふかふかとした雲の上のような感触に身を委ね、私と華妃様はゴロゴロと寝転がっていた。

傍から見れば、それは奇妙な光景だっただろう。

一人は、後宮の権力を握る妖艶な美女。もう一人は、元・謀反人の娘であり現在はペット兼カメラマンの女。

身分も年齢も違う二人が、額を寄せ合い、小さな発光する板を覗き込んで、まるで修学旅行の夜の女子高生のようにキャッキャと笑い合っているのだから。

部屋には、心を蕩けさせるような甘く重厚な伽羅きゃらの香りが漂い、足元に置かれた精緻な彫金の火鉢からは、炭の爆ぜる小さな音と共に、絶妙な温もりが伝わってくる。

窓の外は晩秋の冷たい風が吹いているはずだが、この部屋は常春の楽園のように暖かく、平和だった。

かつては「鬼の上司」「ヒステリックな魔女」と恐れられた華妃様だが、今やすっかり現代の文明の利器「加工アプリ」の虜だ。

私の膝を枕にして、うっとりとした、恋する乙女のような瞳で画面の中の自分を見つめている。

「ああ、なんて美しいのかしら……。見て、杏花きょうか。この『桃源郷フィルター』を通すと、私の肌がまるで剥きたての白桃のようよ。シミひとつなく、内側から発光しているわ」

「ええ、ええ! おっしゃる通りです! でもそれはフィルターの力だけではありません。華妃様の素材が最高級だからこそ、AIも本気を出せるんですよ! 泥団子を加工しても宝石にはなりませんが、華妃様は元がダイヤモンドですから!」

私は手慣れた手つきでヨイショしながら、華妃様の凝り固まった肩を揉みほぐす。

私の指先から伝わる華妃様の体温は、リラックスしきって柔らかい。

平和だ。

最高に平和で、安泰な後宮ライフだ。

数日前まで、冷宮の泥にまみれて穴を掘り、竹の棒でふくらはぎを叩かれ、空腹に耐えながら雑草を食べていたのが、まるで遠い前世の記憶のようだ。

プライドを捨てて「愛玩動物ペット」に成り下がった甲斐があったというものだ。このまま華妃様の寵愛を受け続け、毎日美味しい宮廷料理を食べ、夜はこのふかふかのラグで眠る。

そんな、安楽で堕落した勝ち組ルートが確定した――。

……そう、信じて疑わなかった。

この温もりが、永遠に続くと錯覚していた。

人が幸せの絶頂で油断し、警戒心を解いているその瞬間に限って、足元の落とし穴の蓋を音もなく外すのだから。

ピロン。

可愛らしい、しかしどこか冷徹な響きを持つ通知音と共に。

画面の右上に、不吉な赤いイナズマが走るまでは。

『バッテリー残量:10%』

「…………ヒッ」

私の喉から、空気が漏れるような、引きつった短い悲鳴が漏れた。

心臓が、ドクンと嫌な音を立てて跳ね上がる。

血管の中を流れていた温かい血液が、一瞬にして冷水に入れ替わったかのような感覚。

全身の血の気が、足の裏から床下の奈落へと抜け落ちていく。

「あら、どうしたの杏花? 急に手が震えて……手ブレ補正が効かないじゃない。もっとしっかり持ちなさい。私の美しい輪郭がブレてしまうわ」

華妃様が不満げに眉をひそめ、私の腕をペチリと叩く。

しかし、私の震えは止まらなかった。止まるはずがなかった。

バッテリー残量、10%。

その数字の意味する絶望的な重みを、この時代の人間は誰一人として理解できないだろう。

それは単なる機械の停止ではない。

私の「生命維持装置」の停止を意味するのだ。

このスマホは、私がこの世界に来てからというもの、不思議な力(ご都合主義的な異世界補正か、あるいは時空の歪みの影響だと思っていた)で、バッテリーが減らなかった。

だから私は油断していた。

この光る板は永久機関だと、勝手に、都合よく思い込んでいた。

だが、違ったのだ。ただ単に「現代よりも遥かに燃費が良く、すごく長持ちしていた」だけだったのだ。

もし、このスマホの電源が落ちれば?

二度と起動しない、ただの黒くて冷たいガラスの板になれば?

華妃様の「真実の美」は永遠に失われる。

彼女は再び、現実の鏡に映る「老い」と、絵師たちが描く「残酷な真実」に向き合わねばならなくなる。

その時、魔法が解けた彼女の激怒の矛先はどこへ向かう?

「私を騙したのか」「なぜ美しさを維持できないのか」と絶望した彼女は、用済みになった私をどうする?

処刑。

その二文字が、脳裏に点滅する赤信号のように焼き付く。

いや、単なる処刑ならまだマシかもしれない。「美」を奪われた女の恨みは、もっと陰湿で恐ろしい報復を招く。

それだけではない。

現代知識の源であるAI先生も、心の支えである景皇子との連絡手段も、すべて暗闇に消えるのだ。

「か、華妃様……。た、大変です。『鏡』の……燃料が……あとわずかです……!!」

「なんですって!?」

華妃様がガバッと起き上がる。

その剣幕に、私は思わずのけぞった。

「燃料がない? どういうことよ! どうすればいいの? ランプのように油をさせばいいの? それともストーブのように薪をくべるの? 何でも言いなさい、最高級の香油でも何でも使ってよくてよ!」

「ち、違います! そういう物理的なものではなく……!」

私は必死で言葉を探した。

リチウムイオン電池の仕組みを、電子の移動を、電圧を、この18世紀の女性にどう説明すればいい?

「この鏡は生きているのです! 今まではなんやかんやで動いていましたが、華妃様のあまりの美しさを高画質で記録しすぎたせいで……鏡の『生命力』が尽きかけているのです!」

「生命力……!?」

華妃様が青ざめた顔でスマホを覗き込む。

右上の電池アイコンは、虫の息のように赤く点滅し、我々に死の宣告を突きつけている。

「どうすればいいの!? 死なせてはダメよ! 私の『真実の顔』が入っているのよ!? 私の青春が、輝きが、この中に閉じ込められているのよ! 燃料を込めなさい! ほら、気合いで! あんたの気合いを注入しなさい!」

華妃様が私の肩をバンバンと叩く。痛い。爪が食い込む。でもそれどころではない。

「無理です! 気合いじゃ動きません! この鏡は……『電気』という特殊なエサしか食べないんです!」

「デンキ? なにそれ、どこの珍味?」

華妃様がキョトンとした顔をする。

「燕の巣? 熊の手? それとも西域から来る珍しい果物かしら? 金に糸目はつけないわ。すぐに厨房に作らせなさい! いや、私が直接料理長に命じて、国中の食材を集めさせて……」

「食べ物じゃありません! 口に入れるものではないんです!」

私は絶叫に近い声で否定した。

焦りで涙が出てきそうだ。

「それは……雷のようなエネルギーなんです! ビリビリする、空から落ちてくる、あの光の力なんです!」

「雷……?」

華妃様の目が点になる。

「雷を食べる鏡」。

無理もない。電気という概念が存在しない18世紀の紫禁城で、これを理解しろという方が無理難題だ。彼女の目には、私が狂ったか、あるいは高度な冗談を言っているようにしか見えないだろう。

ピロン。

無慈悲な通知音が再び鳴る。

『バッテリー残量:9%』

減った。

確実に、死へのカウントダウンが進んでいる。

あと数分。画面をつけっぱなしにすれば、さらに短くなる。

省電力モードにはした。輝度も下げた。

だが、消費は止まらない。

私は半狂乱で部屋を見渡した。

豪奢な調度品。金の香炉。銀の燭台。絹のカーテン。象牙の櫛。

どこにもない。

コンセントなんてあるわけがない。

モバイルバッテリーも、ソーラーパネルも、手回し発電機も、ここにはない。

(どうする? どうする山田花子!)

冷や汗が滝のように流れる。背中を冷たいものが這いずり回る。

このまま座して死を待つか?

スマホが切れた瞬間、「壊れました、寿命です」と言って、華妃様の怒りを買って井戸に沈められるか?

いやだ。

せっかくここまで生き延びたのに。

泥水をすすり、雑草を食べ、プライドを捨てて猫にまでなって、やっと掴んだこのポジションを、たかだか「充電切れ」ごときで失ってたまるか!

私の脳細胞が、極限状態のアドレナリンによってフル回転を始める。

OL時代の記憶。

中学の理科の実験。

日曜夜に見ていたサバイバル番組の知識。

そして、さっきまで見ていたAI先生の教え。

電気とは何か。

電子の移動だ。電位差だ。

それを作り出すには何が必要か。

磁石とコイル?

いや、強力な磁石もエナメル線もない。一から手回し発電機を作るのは技術的に難易度が高すぎるし、時間がかかりすぎる。

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