1話 ドレイク山脈は怪物の住みどころ
「ふふふーん、ふーんふふーん」
もう見るからにご機嫌な片瀬珠子。彼女はなぜ、かれこれ1時間もこの険しい山道の中スキップするほどご機嫌なのか。
理由は明白だ。
「……なあ。なんとなく察してるんだが、なんでお前はそんなにご機嫌なんだ?」
この物語の主人公、千布浩介がそう尋ねる。
すると、珠子は満面の笑みを浮かべながら、浩介に身を寄せてこう言った。
「貴方と二人のハネムーンがとても嬉しくてたまらないのよ」
「誰が新婚旅行じゃコラ」
別に二人はカップルの関係ではない。
ただ、珠子が浩介に対して尋常じゃないほどの恋心があるだけだ。いわゆるヤンデレに近しいものだ。
そして、その異常かつ繊細な恋心のせいで、以前まではこの二人の関係性は最悪なものだった。
「(ほんと、ついこの前まで俺はコイツを心の底から嫌ってたんだよな…。まあ今こそ片瀬が本心でしていたわけじゃないって知ってるから何も嫌ってないけど)」
―浩介が高校入学してまもない話だ。
彼は入学式、親交会、遠足など、入学してまもなく、そして名も知らないクラスメートと交流を深められるイベントにおいて全て遅刻をした。
その後も少しずつ遅刻をしてしまっていく中で、クラスメートの間で、「コイツは常識もカケラもない頭のネジがひねくれた奴」という認識が定着。浩介が気がついたときには、クラスメートからは話しかけても無視をされ、挙げ句の果てにはクラスメートに嫌がらせという名のイジメを受けていた。
そしてその嫌がらせを始めた人物こそが珠子だったのだ。
最初こそ恋心の裏返しでそういう行動をしてしまったのだが、した相手が忌み嫌われた浩介だったのもあり、次第に周囲のクラスメートが加担。いつの間にか後に引けない状態になってしまった。それで浩介は意図せず主犯格になってしまった珠子を憎んでいたのだ。
「(まあ今となっては俺の大切な仲間のうちの一人なんだけど)」
「……へへ」
「んだよ」
「あの頃の私は何かに押しつぶされそうな気で常にいたけど。こんなに自分の想いを出せて嬉しいなーって」
「重いけどな、その想い」
「なら浩介は、私の貴方への想いの大きさを理解してるってことでいいのかしらね」
「………ちっ」
「んふー」
今となっては好意を晒けだす珠子に完全に振り回されているのが現状だ。
と、このように常にいじられていながらも、ドレイク山脈を順調に登山していく二人。
すでに国境は山脈の険しさを極めると共に近づいてきており、今日はその国境付近までを目処に足を進めることにした。
「なあ。この山脈には敵軍の奴らとか、怪物はいないのか?」
「普通はいないでしょうね。なにせドレイク山脈は、小白の防衛力を高めている要因の一つとなるぐらいには険しい山々よ。潜伏するにしてもかなりの体力を使うし、そもそも小白側からドレイク山脈に来る人は中々いないわ」
「ならいいけど」
妙に順調に進む旅路に若干の不安を持ちつつも、この世界において知識のある珠子が言うのならば、おそらくは的を得ているのだろう。浩介はそう信じつつ、それでもほんの少しの不安を持ちながら険しい山道を一歩ずつ着実に進んでいく。
登山開始からすでに3時間が経過し、世界を照らす太陽は、すでに地に堕ちかかっていた。
辺りは徐々に暗闇に染まり、そしてここから、長い夜が幕を開ける。
――――――――――――――
7時14分。辺り一面闇に包まれたドレイク山脈。
このまま前進するのはあまりにも危険なため、今日はここで野宿をすることに。
運のいいことに、現在浩介らがいる場所は、険しい登山道の中でも少し開けた平地。テントを広げるのに十分な環境だ。
「飯って何があるんだ?」
「干し肉とライ麦パン」
「うぅ……飽食時代の俺たち日本人にはちょっと酷なメンツだな」
「あるだけありがたいでしょ。それに戦争によって本来食べられたであろう人たちが食にありつけない事態になってるんだし」
「……まぁ、ここは日本じゃないし、そうだよな」
日本との食の満足度の違いに文句を垂れながらも、渡されたライ麦パンに一口かぶりつき、その硬さに驚愕する。
「かっったっ!? なんじゃこのパン!?」
「ライ麦パンは小麦粉のパンとは違って、パンを膨らませる成分が入ってないの。だから硬いのよ」
「こんなん誰も食わないだろ…!」
「小麦パンがあればそっちを食べるけど、さっきも言った通り、今黒土では、食を満足に食べられない人が多いの。だから、荒れた土地でも栽培できるライ麦を使ったパンが食べられているのよ」
「(ここでも戦争の影響をくらってんのか)」
戦争が起こす影響は、もちろん浩介も歴史の授業で知ってはいた。だが実際にその状況になると、思っていた以上に深刻なのが分かる。百聞は一見にしかずとはまさにこのこと。
なんとか硬いライ麦パンを喉に押し込んだ浩介は、焚き火を焚き始めた珠子のもとに駆け寄る。
「なあ片瀬。俺案外干し肉は結構好き―」
近くまで駆け寄ったところで浩介は不覚にも駆け寄る足が止まった。
焚き火以外に暗闇を照らす物などは全くなく、そのこぢんまりとした火に照らされた珠子の凛々しい横顔にあっけに取られたのだ。
「ぁ………」
「ん、どうしたの浩介。もう今日分の食べ物はないわよ?」
「あ、あぁ…! それは、うん、まぁいいや……うん」
「!!」
らしくない浩介のしおらしい反応に、珠子は何故いきなりにと不思議に思った。だが、それが自身に対してそういう感情を持ってくれているのだと察すると、非常に喜悦の情に浸った。
「―ねぇ浩介」
「……なに」
「私たち相思相愛らしいし。―結婚、しましょ?」
「いいいいっ意味わかんなねぇよ!! だいたい、俺が片瀬のこと好きなんて証拠はないだろうがっ!!」
「だって浩介あなた、さっき私を見て、ものすっっごく照れてたじゃない。アレはどうやって説明するのかしら?」
「ぐっ……」
まあ別に。浩介は今の一連のことで片瀬を好きになったわけではない。あくまでも先ほど浩介が言っていた通り、「大切な仲間」の内の一人に過ぎないのだ。
ではなぜあんなにも、照れっ照れだったのか。
それは……そう。
浩介が、今自身が置かれている状況に対して冷静にそして客観的に見つめた結果だからだ。
そもそもの話。ロンリー大帝国帝都アルカディアまでの今回の旅、それに浩介に同行する者はただ一人、片瀬珠子だけだ。しかも女性の同行者である。
勘のいい人なら分かるだろう。同年代の女子と二人旅である。
―女子に対する免疫があればそれは特に気にも留めない問題なのだが。
「(言えねぇ……俺が片瀬との旅が始まるって決まったときから、ずっと今に至るまでに心臓バクバクで緊張しっぱなしだってこと! 片瀬に言えるわけねぇ!!)」
―当の本人はコレである。
高校生になって以降、遅刻とやらイジメとやらで、女性どころかクラスの大半の人と喋ることもなかった浩介にとって、女性に対する免疫などないに等しかった。
その上、片瀬珠子という女子は。本人が普通と称するスペックなものの、逆に言えばそのスペックに欠点がないということ。普通に可愛いし、普通に性格もよく、普通にスタイルも良い。本人が称している以上に、珠子はハイスペックなのだ。
ゆえに全くと言っていいほどに女性免疫がない浩介にとって、ある種の天敵であり、こうもドギマギしてしまうのだ。
「ねぇ浩介。あなた、本当は気づかないうちに私のこと好きになっちゃったんじゃないの?」
「はぁッ!? バカ言えそんなこと―」
「なら目を逸らさずに私の目をしっかり見て言って。今までのあなたならそんなことできるはずよ」
「っ……ぁう……」
「(な、なななななななななっっっ……!? なんで俺は目を見れないんだよっ!! こんなっっ簡単なことっ、いつもならできるはずなのにっ……!)」
もはや本当に片瀬のことが好きなのではと錯覚するぐらいに混乱し始めている浩介。
自分の心は「片瀬は大切な仲間!!」だと言っているのに、身体はもう、意識的に片瀬を避けようとする一心。
それはまるで、身体と精神が離れ離れになっているような感じだ。
「いいのよ、私は。今は玲もユロも誰もいない。だから今ここだけは……あなたの本心で、あなたのしたいこと思うがままにしてもいいのよ…?」
「…………」
「(そんな色めかしいこと言われてもっ……もう何が本心で何が嘘なのか、俺は分かんねぇんだよぉぉぉぉ……)」
目ん玉がぐるぐる。脳内では、多くの自分がそれぞれに違った本心を持ち。もう何がなんだが理解することも、そして理解したくもなくなり自暴自棄になった浩介は―
「ががががががガガガガガガガガガがががガガガガガガガガガがっっっっっ………」
突如として身体をガタガタと震わせ、顔を真っ青に泡を吹いて失神してしまったのだ。
それも不自然な失神の仕方であり、到底照れや感情の昂りで起こるようなものではなかった。
「浩介っ!? そんな失神するぐらいに私のことを考えていたの!?」
「がうっ……おおおおっ……ががががががッッッ!!」
失神してもなお、震えも泡も全てが収まらず、明らかに様子がおかしい浩介。
少しふざけたことを言っていた珠子も、さすがにここまでくると何か違和感を覚え始める。
「浩介? なんでそんないきなり……。たしかに私はあなたを誘惑していたわ。でもさすがに失神するレベルではないはずよっ!?」
肩を掴み、浩介を強く揺さぶるも、結果は何も変わらず。
「どういうことよ……これは普通では起こりうることない異常よ……。私がこの異常のトリガーであったしても、全ての原因とは決してありえないのよ!」
たしかに珠子は浩介に誘惑をした。だが、それだけだ。
普通ならこのような失神などありえない。それは、幾度となく戦場を潜り抜け、人をあらゆる手で下してきた軍人である珠子はよく知っている。
―だからこそ珠子は疑問を持ったのだ、これは珠子だけが原因でないと。自身がこの現象のトリガーであっても、この失神は、自身だけで作り上げたことではないということが。
―つまり。
「―浩介のこの失神は、誰からの攻撃っ!! それしかあり得ないっ!!」
闇に包まれた周りの森林を、キッと睨み見えない敵を威嚇する。しかし、森林から返ってくるのは風で靡く草木の音のみ。
「出てきなさいっ!! スワーム? ロンリー? それとも他っ!? いるのは分かってんのよ、早く出てきなさい! 私の純情を利用して、ただ済むとは思わないことねっ!!」
だが森林からは何も返ってこない。ただ草木の音が強まっただけ。
「アンタが私たちを攻撃したことは分かってんのよ! それともなに!? 直接じゃあ私たちに敵わないからって精神攻撃で倒そうとする、卑怯な人なわけ!?」
『ソレハ違うワ』
「っ!?」
虚空に向けて叫び続けていた珠子の背後に、突如として異形の怪物が姿を現す。
怪物はニヒルな笑みを浮かべながら近くの木に身を預けた。
『領域をアラス者は、誰かれカマワズニコロス。ソレがワタシタチの指名』
「だから卑怯とかではないと? 指名だから卑怯じゃないって?」
『ソウ』
「バカじゃないの、アンタ。そんな卑怯なことしてるやつに、まともな奴なんていないわよ」
『ジャアお前モソウダロウ、ロンリー軍元大佐、ルイ』
「なっ……!」
なぜ私を知っているの、そう言いかけたところで怪物はまあ待てと言わんばかりに右手を挙げる。
『ベツに、シラナイ方がオカシイだろ? ワタシたちトロンリー大帝国は協力関係ニアルノだからナ』
そう。忘れがちだが、この戦争は単にスワームとロンリーの一対一のぶつかり合いではない。ロンリー側には怪物がついているのだ。
通称「プラウド公国」。知能の優れる怪物の貴族が取りまとめる異色な雰囲気の一国。
その国は、隣り合わせにあるスワームとロンリーのニ国の真上にある、「オフト川」の向こう側に存在する。
当初、この戦争においては無関係を貫いていたが、開戦から一年たったとき、突如としてロンリー側でこの戦争に参戦した。
プラウド公国が参戦したことにより、人間と怪物の多国籍軍はもちろんのこと、怪物の遺伝子を採取して人間に注入し、異能力者を増産させることができた。そのためにロンリー軍は今や世界屈指の軍人国家となったのだ。
―話を戻そう。
謎の怪物は、以前として悠々たる態度でコチラに笑みを浮かべている。
『本来ダッタラオマエタチを殺す必要はナイ。コノ領域を荒らさなあナラナ。ダガ、事情が変わった』
「私の……裏切り……?」
『マアそれもソウダガ……』
顎をクイッと浩介に方はと向けた怪物は、忌々しいようなものを見るかのように目を細めてこう言った。
『ロンリーの敵デアル、スワームの人間ガいるなら話ハ変わってクル』
「浩介がいるからってわけね。……あくまで仕事人みたいな感じなのね、あなた」
『アクマデモ、ワタシたちはロンリーと手を組んでイルダケ。ロンリーの内部ノいざこざナンゾには興味はナイ。裏切ったお前ハ処罰サレルベキ存在なのダロウが、ワタシには関係ナイ。軍を抜けたのナラバ、肩書きハただの一般人なのダカラナ』
だが、と怪物は一拍おく。
『スワームの人間ハ元々敵ダ。ソレが小白を荒らしに荒らした張本人トナラバ、生かしてオクワケにはイカナイ』
「でもこの子はもうスワーム側の人間ではないわ」
『だが、そいつガコノ戦争に番狂せヲ起こした。―崩れたンダ、本来アルベキこの戦争ノ結末が………ロンリーが勝つトイウ未来が、新たにアラワレタ第三者にヨッテッッ!!』
怪物が燃えたぎるような怒りを表に出した瞬間の出来事だった。
今まで周囲を囲んでいた森林が作り出していた闇夜が、焚き火の明かりをも取り込んで、本当に辺り一面を闇で包み込んで見せたのだ。
「アンタっ……アンタの名は一体っ!」
『アァ……ソウいえば、マダ名乗ってナカッタカ』
闇に消えた怪物は、誰にも見つからない森の中で不敵に笑う。
『ワタシの名は、闇の怪物。ソノ名のトオリ、闇をアヤツル怪物だよ………フフフっ………』




