企画もの2:不死王
企画ものです。
お題は、キャラ:不死王、ジャンル:恋愛、タグ:ヤンデレです。
「パパー、見てみて。可愛いわね」
車の隣の座席に座る撫子が言った。外には親子連れがいて、幼い少女が顔にクリームをつけながらクレープを頬張っていた。
「うふふ、うちは男の子ばっかだから、女の子欲しくなっちゃうわ」
「うふふ、お母様、私の存在を否定しないで」
娘のオリガが助手席から言った。運転をするのはアヒムだ。今日は定期検査のため遠出だ。
時折、撫子が娘に対して厳しい態度をとるのは、三百八十年ほど前に、富士雄の言ったことが原因だと記憶している。よく覚えていないが、たしか胸部がどうとかいう話だったはずだ。
時代は変わるものだと不死王は思う。人とともに生きる時代は多かったが、自分の肉体をよもや彼らのために使う日が来るとは思わなかった。
人は、不死身たる肉体を求め、不死王の肉体を調べるのだ。
以前ならそんな真似をすることなどありえなかったのだが、どうにも今の人格は大らかすぎると不死王は思う。
大らかと言えば。
「パパ、ちょっと小腹がすいてこない? サンドイッチ食べる?」
アボガドをケチャップであえた食料を差し出す撫子。その胸には、先の柔らかくなった水晶の刀が下がっているはずだ。微笑む姿に昔の彼女のことを思い出す。
古い古い風化しかけた日々のことを。
――わけのわからない娘が自分の元に押しかけてきてから幾日がたっただろうか。膝を折り曲げた奇妙な座り方のまま、洞窟の前にいる。自分が外へ出ようとすると、その後ろにそっとついてくる。
狩りの邪魔になるので、振り切っていくが、獲物をとって戻ってくると洞窟の前に座っている。
なにがしたいのか。
生贄なのだろうと、なんとなく察しがついていたが。
今まで、自分、不死王と呼ばれた存在の前に、幾人もの生贄がささげられた。ヒトの形をしながらまだその肉体に慣れぬ自分は差し出されたものを食していた。
正直、まずい。不愉快であり、もう食べたくない。
なにより目だ、己が身を差し出すが、その目はもう光を宿さない、すでにこと切れたことと同じようになっていた。
腐った魚を人は好まない。
なのに、自分の餌として腐った魚のような人をよこす。
それで、この地を守れとのたまうのだ。
もうこりごりだ。
この娘は生贄なのだろう。
不死王は思いつつ、確信が持てないでいた。
生贄のはずなのに。
狼のような冷たく獲物を狙う目、娘はそれを持っていた。
ただ餌となるのを待つのではなく、ひたすらその好機を狙っているように思えた。
なにを考えているやら。
ふと、不死王は試したくなった。
屠った猪を爪でさばき、はらわたを引き出す。はぎ取った皮を木の枝につるし、肉を爪で引き裂きながら口に入れる。したたる血をぬぐいながらすべて平らげる。
娘はその様子を恐れることなく見ている。
腹に半分満たないと言ったところか。もう一頭、猪を捕まえようかと思ったが、日も落ちてきた。
不死王は数日前に食らった熊の毛皮を木から引っ張るとそれを持って川に向かう。長旅でぼろぼろになった服を脱ぎ棄て水の中へと潜る。
中には、産卵を前に腹を膨らませた魚が泳いでいた。ついでだと、数匹貪りながら、身体の汚れを落とす。あらかたすっきりしたところで、髪についた滴を振るい落とし、毛皮を羽織る。
娘はそのあいだ、ずっと座って待っていたようだ。自分が通り過ぎると、ようやく立ち上がって後ろについてくる。ちらりと見ると、肌のむき出しになった部分に小石が埋まり、赤くなっていた。
今宵もこの娘は洞窟の入り口に座り込むのだろう。
風が吹き付ける中、人の身には堪えるらしくいつも朝方には丸く身体を縮めて眠っている。
食べることも、自分の狩についていく際、木の実など拾っているのだろう。それを食らって飢えを凌いでいるようだった。
なにがこの娘をそうさせる。
いつもどおり、不死王は洞窟の奥で眠る。食らっては乾かした毛皮が幾枚も重なった寝床はずいぶん心地よいものに変わっていた。
今宵もその寝床に眠り、ひと時の解放を願う。
昨晩までならそう思っていただろう。
不死王は洞窟に入る。娘は入口まで来ると、そこでいつもどおり座り込む。
それで一晩中、何かを待っている。
しかし、今日は違った。
不死王は後ろへ振り返り、娘を見る。そして、ゆっくりと手まねきをした。
まだ、この国の言葉は理解していない。わかるほど人と接していない。接するつもりもなかったが、娘はこの意味が分かるだろうか。
娘の表情が強張った。
何を意味しているのかわかったようだ。
ゆっくり立ち上がり、奥へとやってくる。
不死王は寝床に座ると、隣の空間を叩いた。
娘は理解し、そこへと座る。しゃりっしゃりっと砥石で刃物を研ぐような感覚、それが娘の中にある。
生贄の娘。
自分に差し出されたもの。
それをどう食らおうがこちらの勝手であろう。
不死王は座った娘に手を伸ばすと、そのまま寝床へと転がせた。
触れた肌は柔らかさなどなかった。
幾日もろくな食事をとらず骨と皮だけになっていた。ただ、木の実ばかり食べていたせいだろうか、獣くささはなく、甘い果実の香りが漂っていた。
西の大陸に比べると、子どものような背丈だが、これでも成人しているとわかる。だが、本当の意味で大人とはいえず、生贄にふさわしい身体のままだった。
幾度となく歯がみし、涙をこらえながらも、目をそらさない娘。時にそれが逆の効果を表すのだと、知らず知らずに教えてしまったらしい。気が付けば、ぐったりと息を吐く娘が腕の中にいた。
あの狼のような目は無く、目の淵から涙がこぼれ乾いていた。
こんなものか。
期待外れだと、不死王は娘に背を向けて眠ることにした。
ざくっ、ざくっ。
奇妙な音がする。
はあはあはあ。
荒い息遣いがする。
なにかがのっている感触、それから違和感。
ほんの少しの安寧の時間を邪魔するのはなんだろうか。
不死王は考える。
一度目を覚ますともう幾日か眠る必要はないだろう。
なにもない無になれる時間は少なく貴重だ。
でも、これは無視できる状況ではなかった。
開いた目蓋、目は瞬時に暗闇に慣れる。そこには、獣の目があった。ひたすら牙を振るい、肉を引き裂く獣がいた。
牙も爪も持たない、弱い痩せた雌狼がそこにいた。爪の代わりに水晶を持ち、それをしきりに自分の首へと突き立てる。
「……」
なにかを言っている、だが、それが何を言っているのかわからない。だが、その意味はわかる気がした。
ひゅうひゅうと自分の口から洩れる息、半分千切れかかった喉からも漏れる。
人なら絶命しているこの傷も痛みも、不死王にとって意味のないもの。何百、何千と生きてきた自分にとってたいしたものでもない。
人はいつから自分を崇めるようになっただろうか。
何十、何百、ときに千をこえる敵を屠ったのち残ったのは、敵であった者たちがひれ伏すさまだった。
王として祭り上げられ、そののち神と扱われたのは、変わらないこの姿が原因だろう。
自分でもわからない、いつから自分は生き、いつ死ぬのかを。
もう前者は知りようもない、その時代に生きたのは自分だけだという事実がある。
だから、後者を知りたかった。
不死王は笑う。
ひたすら面白かった。
これが面白いというものだと初めて理解できた。
自分に跨り、ただ命を屠ろうと躍起になる娘。白い裸体を冷たい空気にさらしながら、その手を止めることはない。
いいぞ。
不死王は娘に理解できない言語で言った。
娘はその意をわからずとも、まだ息がある自分を殺そうとする。
いくらでもやれ。
凍えた指先が水晶を何度も落としそうになりながら、何度も持ち直して続ける。
それでもなお、続けるのだろう。日が昇り、また傾きながら夜になるまで。
そして、娘の意識は途切れる。
こんなものか。
千切れた肉片が首へと集まり、元の形を形成する。
いつもより治りが遅い気がした。
どうしてか、と首を傾げる。
ふと、娘の口が赤いことに気が付いた。
飛び散った肉片が娘の口に触れたのだろう。丸一日、ひたすら不死王を刻み続ける行為ができたのもそのせいだったかもしれない。
そういう方法があったか。
不死王はずっと待っていた。己を殺してくれる者が現れることを。
いつか眠りの中以外の安寧の場所ができることを。
不死王は痩せこけ、体力を失った娘の身体を眺める。
これではいくまい。
不死王は自分の手に歯を立てた。そしてそのまま引きちぎると、娘の口に入れた。
娘がくぐもった声を上げるので無理やり頬くぼを押さえ開かせると押し込んだ。熱いようで存外冷たい口内に血の味が広がる。
ゆっくり喉が動くのを確認すると、荒い息を吐いてくたりと娘の首が倒れた。
自分の口についた血、それを指先で拭うと不死王は娘の髪を撫でた。
「いつでも来い、好きなだけ殺させてやる」
まつ毛をふせて笑うと、娘を抱いて寝床に転がった。
温かな肌と規則的に聞こえる心臓の音が心地よかった――
「パパー、やっぱり女の子が欲しいわー」
あの頃から想像できないほど明るい声で撫子が言った。
寝室には、間接照明だけがついている。
「女の子かあ。うちの子、みんなママより大きくなっちゃったからねえ」
もう一つの人格が笑う。自分にはありえない表情で笑う。
「そうなの、だから、ママは頑張るの!」
少女趣味なナイトドレスの裾を持って、丁寧にお辞儀をする撫子。そして、胸に下げている首飾りをとりだす。
もう鋭さのない丸くなった水晶の欠片、もう半分も残っていない。
撫子がそれを振り上げて、不死王の身体へと突き立てる。
「頑張るからもう少しね」
それが、お約束の挨拶となっていた。
「もう少し待っててね」
願わくは、水晶が無くなる前に。