第7話: 見舞客
回復に合わせて、徐々にチューブが外されていく。排血、小水、点滴という順番で。これと前後して、起きあがり、車椅子で移動ができるようになった。食事も復活する。最初に食べたのは、お粥と生の豆腐とリンゴ。久しぶりの食事に味覚が敏感に反応する。木綿豆腐がこんなにおいしいとは思わなかった。噛むごとに大豆の味が口の中に広がる。薄くスライスしたリンゴのシャクシャクという歯触りと後に残る酸味も楽しいし、汁の多いお粥の淡い甘みも新鮮だった。その後、食事に飽きてくるとうちの店のシナモンベーグルを持ってきてもらってこっそり食べた。
面会も解禁され、友達がやってくるようになった。青木芽衣と木川碧は定期的にやってきては、授業ノートのコピーを置いていく。新谷真美は一度来たが、あたしの話しがよっぽど応えたらしく、蒼い顔をして帰っていった。小野寺巧は週に1回、顔を出しては、怪我の回復度合いや、リハビリの様子をしつこく聞いてくる。
目下の懸案は学校への復帰。年間の欠席日数が50日を超えると自動的に留年となる。あと、一月半もすれば、夏休みに突入するから、夏休みまで学校を休んでも、計算上はぎりぎり留年しない。でも、そうなると、その後で休みを取るのが難しくなるから、できれば、夏休み前に復帰したい。ちなみに県立緑が丘高校は二学期制なので期末試験は9月にあり、勉強の方はまだ焦らなくてもいい。リハビリの方はまじめに励むが、麻痺があるのがはっきりしてきた。
自主リハビリから車椅子で自室に戻ると、思いもかけない見舞客がいた。
「こんにちは山崎さん」
「あっ、小島さん…… お見舞にきてくれたのね。ありがとう」
気まずい雰囲気が彼女との間に漂う。あの日、彼女に悪口を言われた。今もあたしを嫌っているだろうか、それともわざわざ見舞に来たのだから、仲直りをしたいと言うことだろうか? そもそもこちらには決定権はない。彼女の方が勝手に嫌っていたのだから、今回も彼女の出方を様子見するしかない。立っている彼女じっと見上げる。
「一応、お見舞だけれど…… 冷やかしに来たわけじゃないわ。なんとなく来たのよ……」
彼女は不幸に引かれるらしい。ならば、こうして右足が麻痺したあたしを見れば、同情するのかしら。それともやっぱり、彼女から見ればあたしは、甘やかされた幸福娘かしら。煮え切らない彼女の態度を待つ。決めるのは彼女だ。そう思うと優位になった気がしてくるから不思議だ。
「ふーん、個室なんだ」
そう言って、彼女は部屋を見回した。
「たまたまね。本当は二人部屋なのだけれど、今は隣が空いている。芽衣達が来るとうるさいから、相方がいなくて助かっているわ」
「青木さんが見舞に来るの?」
「見舞じゃなくて、授業ノートのコピーとか持ってきてくれるの。碧と交代で来ているわ」
「そうなんだ。そうそう、お花を持ってきたの。マリーゴールドよ」
ほんの少し微笑みながら、彼女は紙袋のなかから、1本のオレンジ色の切り花を取り出した。
「花瓶なんて余っていないわよね…… あら、ここにバラがあるわ。綺麗ね」
細長い花瓶に3本のピンクのバラが挿してある。口はやや細く下に行くに従って女性的な丸みを帯びて太くなっていくガラスの花瓶だ。
「ああ、それは小野寺君が持ってきてくれたの」
「えっ、小野寺君が? よく、来るの?」
「そうね。週に1回ぐらいかなぁ。彼、あたしが怪我をしたことに責任を感じているのよ。考えすぎだって言ったんだけれど、聞かないわ。そのバラは先日、彼が持ってきたの」
「ピンクのバラ……」
小島絵美は、そう言って、暫くそのバラを見つめていたが、だんだんと表情が険しくなっていく。
「萎れかかっているわね。見苦しいから捨てましょう」
「捨てるの?」
小野寺君が持ってきてまだそんなに経っていない。ちょっと萎れているからって、捨てるのはもったいない。彼女もそう考えたのか、花瓶から慎重に抜き出したバラを左手に持ち替えて1本1本、丹念に見ている。捨てることを躊躇しているようにも見える。静観することにしていたあたしは、彼女の心をほんの少し動かしてみたくなった。
「もったいないでしょう。まだまだ綺麗だと思わない」
「本当のことを言うと、あと3日ぐらいは大丈夫よ。ただし、少し水が濁ってきているから、水替えはした方がいいわね」
彼女の声は心なしか震えているような気がした。でも、なぜ?
「3日なんて、よくわかるわね」
「それは……」
彼女は、何かを言いかけてしばらく黙ってしまったが、手に持ったバラをじっと見ながら語り出した。
「私の家は花屋だったの」
「花屋? それで花に詳しいのね」
「私が小学生のころ、家が花屋をやっていることが自慢だった。友達と遊んでいるよりも店を手伝っている方が楽しかった。年中、色々な花に取り囲まれていた。お客さんが、出来上がった花束を満足そうに眺めていると、私まで幸福な気分になったわ。時折、家族の誕生日だと言って豪華な花束を買っていく婦人。月命日に質素な仏花を買っていく初老の男性は、娘の命日と言っていたわ。五百円硬貨を握り締めて、母親の見舞に行くのだと言っていた少年…… 色々なお客さんがいたわ。一番、おかしかったのは、クラスメートの男の子が花束を買った時。どんな花がいいかわからないから、私の好みで花束を作ってくれって言われたの……」
そう言う彼女はいい表情をしていた。よほど、楽しかったのだろう。あたしは思わず続きをうながした。
「それがおかしかったの?」
「ううん、そうじゃないの。清算してその男の子に花束を渡したら…… 私にプレゼントだって言って、その花束をくれたの」
「かわいいじゃない」
「今のあたしだったらそう思うわ。でも、その時の私は残酷な小学生だった。その子が皆から嫌われていたのを知っていたから、私も彼に冷たくしたのよ」
「彼?」
「このピンクのバラを贈った小野寺君。彼が小学生だった時のことよ。片耳が聞こえないことで皆から嫌われていたの。彼に冷たくしたことは今でも後悔しているわ。でも、後悔するようになったのは、私が不幸になってからだから、いい加減なものね」
どうやら小島絵美は自分のことをいい加減と言ったみたいだ。
「その不幸って……」
そこまで、言って、自分のはしたない好奇心に気づいたが、彼女は素直に答えた。
「私が中学生になって、大人の恋愛というものが子供の好きとは違うことに気づき始めたころ…… 両親が離婚したの。父が駆け落ちをしたのよ。駆け落ちした相手が若くて綺麗だったら、まだ救いがあったわ。でも、その相手は、若くもないし、綺麗でもない。冷たい表情の女よ。母は落ち込み、離婚して…… 気がついたら花屋はなくなっていた。半年ほどたって、父だった男からの養育費も途絶え、母はしゃにむに働き出した。パートを二つ、朝から晩までやっているわ。それでカツカツ。あたしも本当はアルバイトをしたいのだけれど、弟も含めた家族の食事と家事で手いっぱいだった。携帯のお金もネットを楽しむお金もなかった」
そう言って、彼女は、荒れた両手を掲げて見つめた。あたしは、不思議だった。なぜ小島絵美はあたしに自分の不幸の話をするのだろうかと。やはり、あたしと仲直りしたいのだろうか。が、次のセリフで彼女がわからなくなった。
「やっぱり、私はあなたが嫌いだわ。でも、一つだけアドバイスをしてあげる。世の中には、本当の不幸を知っている人と、不幸に同情できるふりをする人の二種類の人間がいるわ」
「それが、アドバイスなの?」
「そうアドバイスよ。あなたは女ではなくなったかもしれない。足が動かないかもしれない。多分、完全には戻らないわ。だから同情するふりをする人に心を許してはいけない」
あたしはカチンとくる。
「そんなこと、あなたに言われたくないわ」
「そうよね。でも自分の不幸は自分で背負うものよ。だから、あなたはあなたの不幸を背負って、それに打ち勝つよう努力なさい」
そう言ったきり、彼女は自分の鞄を探り出した。カッターナイフを取り出した時は、一瞬、ひやっとしたが、彼女は、カッターナイフと花を洗面台の所へ持って行って何やらごそごそやりだした。そして、綺麗に花を生けた花瓶を元の場所へ置いて、にっこり、あたしに微笑みかけた。まるで、嫌っているなんて嘘のように。
「これで、よし。最後に一つだけ教えてあげる。ピンクのバラの花言葉は、『恋の誓い、愛を待つ』よ」
彼女が教えてくれた花言葉と、芽衣に調べてもらったマリーゴールドの花言葉『友情』は、あたしを混乱させた。誰が誰をどう思っているのかは不明確だけれど、小野寺巧と小島絵美とあたしが三角形を形成しているらしいことはわかった。
英語の教科書をぼんやり眺めていると、守山君と正村がノックもせずにいきなり入ってきた。
「お見舞に来たで」
「よ、ピリ子! 元気か?」
「ちょっと! レディの部屋に入るのにノックぐらいしなさいよ」
とあたしがたしなめると、守山が答えた。
「ああ、すまん。忘れとったわ、山崎がレディやったこと」
「し、失礼ね。もし、あたしが着替えでもしていたら、どうするつもりよ!」
それを聞いた守山がみるみる顔を赤く染めていった。全く、変な想像しないでほしいわ。正村が変なフォローをする。
「まあ、許してやれよ。さっきまで、早く、早くって俺をせかしていたぐらい、お前に逢いたかったみたいだから」
「正村! それは言わんでもええのに。とにかく、わしは、同じ班の友人として、山崎が心配やったんや」
「二人ともありがとう」
それから、二人はクラスのこと、文化祭のこと、男子から見た女子の様子などを一方的に話す。あたしの病状、麻痺の度合いについては、わざと話題にしないようにしているのが見え見えだったけれど、それは、それでありがたかった。いつしか話題は新谷真美になっていた。正村がこう教えてくれた。
「そういや、最近、真美坊が守山といい関係になりかけている」
「えっ! そうなの?」
あたしが知っていた真美は、守山君を意識してなかったから、ここ最近の変化ということかしら。
「正村! それは山崎には、言わんって約束したやないか」
「あ、そう言えばそうだった。すまん、忘れてた」
「そう、あっさり忘れんで欲しいわ」
あたしは、好奇心が抑えられなくなっているのを感じた。
「ねぇ、お願い! 教えて!」
正村は、おかしくてしょうがないと言った調子で説明し始めた。
「ピリ子も知ってのとおり、最初は、真美坊は俺に惚れていた」
「自分でそう言うと、うぬぼれね」
「まあ、実際そうだったからしょうがない。で、部活のある日は、仕方なく一緒に帰った」
「仕方なく?」
「無碍にもできないしなあ」
「いいかっこしーな所は中学のころから変わらないわね」
「まあ、俺の宿命だからね。とにかく、最初は、真美坊は緊張して、ほとんど何も喋らなかったんだけれど、そのうち、普通に喋れるようになった。そうしたら、俺のこと根ほり葉ほり聞くんだ。正直、辟易してたら、いつの間にか守山のことを聞き始めたんだ」
「本当?」
「本当さ。でも、俺に聞かれても困るぜ。守山のことは守山に聞けと言いたかったんだけれど……」
「そう、冷たくもできなかったというわけね」
「そう、その通り。で、どうしたかって言うと、部活の帰りは守山に送ってもらえって言ったんだ。そうしたら、うまくいった」
「うまくいった?」
それまで、黙っていた守山君は黒縁メガネのブリッジを押し上げて、喋り出した。
「うまくいくっちゅうか…… わしのおるコンピュータ部は時間なんか決まっとらんから、なるべく、真美坊の部活が終わるのに合わせて、一緒に帰るようにしとるんや」
「それじゃ、四方丸く収まって、万々歳じゃない。結局、守山君と真美はつき合っているんでしょう?」
「つき合っているんかと言われりゃ、そうかもしれん。でも、まだまだや」
「まだまだって?」
「会話が成り立たんのや。共通の趣味がない。まあ、それでもわしが一生懸命、インターネットを教えてやったから、多少は、興味を持ったみたいやけど、まだまだやな。わしが言うのも変やけど、わしら、いつ別れてもおかしないで」
ふ~ん。守山君も苦労しているんだ。あたしなんかから見ると、真美は超かわいいから、男子なら誰でも喜んでつき合いそうなものだけれど。
正村が話題を転じた。
「そういや、インターネットで思い出したけれど、例の掲示板はどうなったんだ。潰したのか?」
「管理人に事情説明して、閉鎖してもろうたんやけど、最近、別の掲示板が立ち上がった。今度はこっちに対処せなあかん。どうも、一人、恨みを持っているヤツがいるみたいなんや。そいつをどないかせんと、根本的な解決にはならんと思う」
守山君の掲示板の話は初耳だ。
「その掲示板って何なの? 何か問題があるの?」
守山君が丁寧に説明してくれた。
「いわゆる、裏掲示板や。うちの高校の掲示板で、誰かが、うちのクラスのある女子の誹謗中傷を書き込んでいる。あ、書かれとるんは山崎やないから、心配せんでもええで。その書き込みがえげつないんや」
書き込まれるクラスメートに心当たりがある。だけど、書き込んだのは誰だろう。
「俺も一度見たけれど、あれはひどいな」
「それで、その掲示板を閉鎖してもろうた。そしたら、また、新しい掲示板が別のとこに立ち上がって、今度はそっちの対応や。警察に被害届をだして、掲示板に書き込んだIPを辿っていけば、誰が書き込んだんか直ぐにわかるんやろうけれど、本人はまだ知らんみたいやから、わしらで何とかしたいんや」
「わしらって?」
「わしと青木芽衣や。二人で書き込んだ犯人を探しとるんやけれど、匿名やから、探すのは難しい。まあ、わしもだてにコンピュータ部やっとるわけやないから、ちゃんとツールを作って、怪しそうな書き込みがあったら、ピックアップして、そいつの書き込みをまとめられるようにしているんや。それを芽衣に見てもろうて犯人探しのヒントにしている」
「それで、その犯人は絞り込めそうなの」
「とにかく、小島に…… あ、しもた! 名前言ってもうた。誰にも言ったらあかんで。で、小島に恨みを持っているらしいこと、それが3年ほど前のある事件に関係しとるらしいことまでは、わかったんやけど…… こっから先は、えげつないから、あんまり言いたないんやけど。小島のことを淫売の子と言っとるから、小島の親が関係しとるかもしれん」
「親か……」
あたしは、小島絵美の不幸を思い出した。もし、駆け落ちした相手にも家庭があったとしたら……
「山崎、なんか心当たりでもあるんか?」
「ううん、ないわ。でも、小島さんのことをそんな風に言うなんて許せないわ」
「あれ、山崎は小島とあんまし仲がようなかったんちゃう?」
「う~ん、仲がいいのかどうかわからないけれど、この間、ここに見舞に来てくれたの。悪い子じゃないと思う」
あたしが病院で寝ている間に、学校では、色々なことがあったみたいだ。早く復帰したい。あたしにできることが何かあるはずだという気がする。そして、そうすることによって、自分が背負わなければならない不幸を忘れることができるような錯覚を覚えた。小島絵美は、不幸は自分で背負うものと言った。あたしを嫌いだとも言った。だけど、彼女は、あたしに心から同情していたと思う。
あたしは2mほど、どん底から這い上がった。同情という名の助けを借りて。




