第4話:シナモンベーグル
昼休みに入ると、教室のあちこちに島ができる。3人島、4人島が一番多いだろうか。もちろん、離れ小島も無人島もある。あたしのいる島は4人島、つまり、真美、芽衣、碧と島を作ってお弁当を食べる。ただでさえ騒がしいのに、時折、天敵がやってくるから、島の中でもにぎやかな方だ。
「お、山崎パンのあんドーナツ! ピリ子、哀れな正村に施しを」
そう言って、正村が餡入りの一口ドーナツをかっさらっていく。
「あ、こら! バカ村! あたしのお昼を勝手に取るな!」
「いいだろう、どうせ、賞味期限切れのパンなんだろう」
「だから、ダメなんだって。母さんに怒られるよ。よそ様に変なもの食べさせたのがばれたら」
あたしのうちは、山崎パン工房というパン屋だ。売れ残った商品は、翌日のあたしのお昼ご飯になる。だから、あたしの弁当は大抵、サンドイッチと菓子パンだ。もちろん、賞味期限が切れたもの、切れそうなものが多い。
「じゃ、今度、店に顔出した時に、オバさんに言っておくよ。なじみ客のよしみで、俺にも残りもののパンを食べさせてくれって」
「来なくていい」
「今度の日曜日にでも行くよ。友達連れて行くよ」
「来なくていい! 特に日曜日は」
そう、日曜日、あたしは、よく店のレジを手伝っている。制服を着て、愛想笑いを浮かべて、いらっしゃいませと言っている。だから、友達が来ると本当に恥ずかしい。一度、正村が来た時は、母さんも出て来て挨拶した。後で、父さんや姉さんに、『由梨子のボーイフレンドって、すごくハンサムなのよ』なんて言うから、恥ずかしい。正村は、外見はちゃらいけれど、大人受けがいいからなおのこと始末に負えない。
「いいじゃないか、お前の店のシナモンベーグルを宣伝しておいてやるから」
そう、うちの表の人気商品がコーンパンなら、裏の人気商品がシナモンベーグル。香り、歯ごたえ、繊細な味、このよさがわかるのは本当のパン通だ。芽衣が口をはさむ。
「シナモンベーグル?」
「そう、ピリ子の所のシナモンベーグルは絶品。日本で一番おいしいと言ってもいい」
「本当? ねぇ由梨子、今度持ってきてよ」
「だめ! 本当においしいのは焼きたてだから、持ってきたらおいしさも半減するわ」
実は、鳥用に、ひそかに隠し持っているのだけれど。それは、皆には内緒。碧がとんでもないことを言いだす。
「じゃ、今度の日曜日に、皆で行こうか? 何時に行けば、焼きたてが食べられる?」
「えーっ! ……11時過ぎ」
「じゃ、決まりね」
「……」
どうして、こういうことになるのだろう。正村はあたしの天敵だ。でも、さっきの正村のセリフは、親が聞いたら、泣いて喜びそうだ。
放課後、楠に向かう。今日は、部活、自然科学部はない。カバンの中には、賞味期限の切れたシナモンベーグルがはいっている。時々、ここに来て、パンをちぎって鳥にやる。高校の校舎は丘の上にあるのだが、楠は丘のへり、街を見下ろせる所にある。そして、楠の前には日当たりのいい斜面が続いていて、名も知らぬ野鳥が餌を探して歩き回っている。うちのシナモンベーグルには店のプライドがかかっている。でも通しか認めてくれない。だから、売れ残ることもある。そして売れ残ったそれは厳正に処分され、持ち出されることはない。が、あたしは、それをコッソリ持ち出して、鳥にやっている。さすがに、鳥相手にプライドがどうのこうのとは親も言わないだろう。
ベーグルを小さめにちぎって、鳥のいる辺りに投げると、鳥たちは器用についばむ。そこには、温かな陽光が降り注ぐ小さな平和があった。と、そこへ、艶やかな黒い羽をもつ大きなカラスが1羽舞い降りた。周りの小鳥に比べれば、ひとまわりも、ふたまわりも大きい。その威圧感は平和な斜面を緊迫感の漂う戦場に変えた。目だけをキョロキョロと動かしてベーグルを狙っている。あんたにだけはうちのベーグルはやりたくない。
実は、あたしはカラスが嫌いだ。中学生のころ、カラスがあたしの頭に舞い降りたことがある。振り払ったと思ったら、再び、死角の上空から舞い降りた。その時に、やっと、手に持ったビニール袋の中のパンをカラスが狙っていたことに気がついた。『このヤロー!』と目で威嚇するも、相手は空を自由に飛びまわれる。文字通り、地団駄を踏んで悔しがるがどうしようもなかった。以来、カラスは嫌いだ。このカラスも、かわいい野鳥への餌を横取りしようとしているに違いない。にっくきカラスめ、いつぞやの仇討、目に物見せてやろうぞ! と、閃いた。こんな乙女でも悪知恵が働くことはある。うまくいくかどうか…… 自信はない。が、実験あるのみ。
大きめにパンをちぎって、左手で握る。そしてゆっくりゆっくりと左手のパンにマイナスの静電気(負電荷)を溜め始める。あたしの作戦はこうだ。静電気を溜めたパンくずをカラスに放りなげる。カラスはそれを空中でキャッチする。パンもカラスも導体ではないし、空中では、アース、つまり地面につながっているわけではない。だから、カラスが電荷を帯びたパンを空中でキャッチしても何も起こらないだろう。だけど電荷はカラスに移る。次にカラスが、近くの錆びたフェンスに着地する。フェンスは導体で、しかもアースに深く刺さっている。負電荷を帯びたカラスがフェンスに着地する直前に、フェンス側に正の電荷が誘起され、着地時にフェンスとカラスの足の間で火花が飛ぶ。丁度、静電気を帯びた人間がドアノブに触れた瞬間に火花が飛ぶのと同じだ。もちろん、パンに負電荷を帯びさせると言うことは、あたし自身は、正の電荷を帯びるから、これは、これでゆっくり除電しないとあたし自身が痛い目にあう。まあ、たかが静電気だから、カラスが死ぬことはあるまい。第一、いちいち静電気で死んでいたら、あたし自身が危ない。とにかく、実験だ。これがうまくいけば、行く先々でカラスを痛い目に合わせてやることができる。きっと、あたしの顔には悪魔のような笑みが浮かんでいたのだと思う。かなり電荷を溜めた気がする。カラスににこりと微笑みかけ、慎重に狙いを定める。空中でキャッチし、フェンスに留るように。さあ、いくわよ。
「待て!」
えっ、誰? と振り向くと、同じ自然科学部の小野寺巧だった。
「カラスにいたずらをするのはやめろ!」
強い語調で、あたしを制止する。なぜわかったの? パンをやろうとしているようにしか見えないはずだけど?
「……」
「わかるんだよ。山崎さんの左手、左手のパンに電気をためているのが」
「えーっ!」
すべて、お見通しってわけ? なぜ、わかったのかしら?
「…… あたし、カラスが嫌いなの」
「そのカラスが嫌いなのか? そうじゃないだろう。だったら、ナナをいじめるのは八つ当たりだ」
「ナナ? ナナって、このカラスの名前?」
小野寺君は、しまったという顔をした。
「あっ、いや、その~ そうだ。そのカラスを僕はナナと呼んでいる」
「…… ペット?」
「違う…… 友達だ」
「…… 友達?」
カラスが友達で、しかも名前をつけているってこと?
「…… あははは。笑える! 笑えるわ― あははは。人間の友達のいない小野寺君にカラスの友達ねぇ…… お似合いだわ、あははは」
あたしは、あまりにおかしくって、腹を抱えて笑ってしまった。小野寺君は真っ赤になってうつむいている。
小野寺巧は変わっている。左耳が聞こえないことは、相変わらず皆に隠している。友達もおらず、大抵、一人で過ごしているから、隠していても特に不便はないらしい。あたしと同じ自然科学部に入部したから、人間嫌いと言うほどでもないと思うが、友達を積極的に作りたいとも思っていないようだ。
新入生の自己紹介の時に、入部した理由・動機を言うのだけれど、彼は、『空気が好きだから』と言ったから、驚かれた。空が好きだとか、風が好きならわかるけれど、空気が好きとは、どういう意味だろう? こういうわけのわからない輩は、物理班に入れられる。ちなみにあたしは、『木星の大赤斑が見たい』と言ったので、天文班に所属することになった。自然科学部の部長は、いかにも秀才という雰囲気で、理系の女生徒にはそこそこ人気があるらしい。ただ、声が小さいのが玉に傷だ。おかげで、時々、部長の言葉を、小野寺君の耳元で繰り返さなければならない。
結局の所、この高校で一番彼と話をしているのはあたしかもしれない。同じ部活のよしみで、無視もできないという所かしら。そんな状況だから、カラスぐらいしか友達がいないとしても不思議はない。
「ねぇ、残りのパンをやるのを手伝ってくれない?」
そう言って、残りを半分にして彼に渡した。
「いいの?」
「もちろん」
そして、二人で残りのパンを野鳥とカラスにやった。カラスもパンを気にいったようだ。
「ナナが喜んでいる。おいしいって言っている」
「えーっ! そんなのわかるの?」
「なんとなくだけれどね」
「ねぇ、今度、うちの店に、焼きたてのシナモンベーグルを食べに芽衣達が来るんだけれど、小野寺君も来ない? 正村も来るよ」
「行ってもいいの?」
「もちろん!」
「どうして? どうして僕を誘ってくれるの?」
「どうしてかしら? 多分…… 友達だから」
「どうして僕が山崎さんの友達なの?」
「さあー どうしてかしら? でも、いいじゃない。小野寺君に人間の友達がいたっていいじゃない。カラス、ナナよりはまともな友達だと思うけれど」
「いや、そういう意味じゃなくって、どうして僕なんかが山崎さんの友達なのかっていう意味」
「えっ? 変かなあ?」
「変だよ。僕みたいな変人が、山崎さんの友達だなんて」
「変人? あはは、変人よね。自分のことを変人って言うぐらいだから、小野寺君はよっぽどの変人だわ。あははは……」
「笑うな!」
日曜日、11時すぎ、どやどやとやってきたのは、芽衣、真美、碧。ジーンズをはいたラフなスタイルの芽衣、女の子らしい可愛いスカートの真美、ミニを大人っぽく着こなした碧だ。少し、遅れて正村と小野寺がやってきた。いつもより少し化粧の濃い母さんが、焼きたてのシナモンベーグルをトレイに載せて店の奥から出てきた。
「あら、いらっしゃい。いつも由梨子が世話になっています」
「翔君、由梨子から聞いたけれど、うちのシナモンベーグル宣伝してくれたんだってね。このベーグルの味がわかるってことは、将来、いいパン焼き職人になれるわよ。何だったら、うちの店を継ぐ気はない?」
母さん、今の、冗談よね。正村が店を継いだら、あたしはどうなるの?
「おばさん、いくらなんでも誉めすぎですよ。俺は不器用ですから、こんなにおいしいパンは焼けませんよ」
「そりゃ、少しは、修業しなくっちゃならないけど、ハンサムだし…… ついでに由梨子を嫁にもらってくれると助かるんだけれど」
げっ! 母さん、なんでそんな話になるの?
「お、おばさん、冗談ですよね……」
母さん! 冗談も程々にして!
「あはは、半分冗談よ……」
やっぱり冗談よね。ふーっと気が緩む。
「お、おばさんも性格悪いなぁ。一瞬、本気にしちゃって、焦りましたよ、あはは」
正村も少しビビったみたいね。母さんは、にっこり笑ってとどめを刺した。
「そうよ、半分冗談よ。でも、半分本気だから、ゆっくり考えてね。お店のことも由梨子のことも」
正村とあたしは、急速凍結保存された。
あつあつのうちに食べてほしいということで、店の裏の自宅に上がってもらった。小野寺君は、帰りたそうだったけれど、正村が捕まえていてくれた。座敷でお茶を飲みながら、ベーグルをほおばる。どんなパンでも焼きたてなら美味しいのは当たり前だ。そして、その中でもうちのシナモンベーグルは最高だ。芽衣が叫ぶ。
「おいしい!」
「ほんと、おいしいわ」
「だろ、俺が言った通り日本一おいしいだろう」
碧が異議を唱える。
「違うわ、世界一よ」
「お、そうか。そうだな」
「由梨子が店を継ぎたいっていうのもわかるわ」
「今度は、由梨子の作ったパンを食べてみたいわ」
「ええっ! あたしが作ったパン?」
「そう。由梨子は作らないの?」
「作りたくないわけじゃないけれど…… 父さんがダメだって言ってやらせてくれないのよ」
「ふーん。でも、由梨子に店を継いでほしいと思っているじゃないの?」
「さあ? 母さんはそう思っているけれど、父さんは違うみたい。何も言わないし。それに、勉強しろとは言うけれど、パンを作ってみろとは言ったことがない。父さんは、元々は、大手のフードメーカの研究所に勤めていたの。それが、パンに惚れ込んだのが先なのか、母さんに惚れたのが先なのかわからないけれど、お祖父さん、母さんの父が開いたパン屋を継いだの。だから、パン屋を継ぐという発想がないんじゃないのかなあ」
「そうなの。それじゃ由梨子自身はお店を継ぎたいの?」
「この間までは、継ぎたいと思っていたんだけれど…… よくわからない。そういう芽衣はどうなの? 将来、何をしたいの?」
「私? 私はもちろん、ジャーナリストよ。世界を駆けまわるジャーナリストになるのが私の夢」
碧が口を開く。
「今から、夢が決まっているのは芽衣ぐらいじゃない?」
珍しく、真美が口をはさむ。
「真美は決まっているわ」
「えーっ! 何?」
皆の注目が真美に集まる。
「お嫁さんになりたい!」
空気が一気に盛り下がる。
「そりゃー、女の子なら、皆そう思うわ」
と碧がフォローするものの、芽衣がとどめを刺す。
「真美は、正村のお嫁さんになりたいんでしょう」
「……」
真美は、真っ赤になった。芽衣、お前もサドよのう。




