第18話:エピローグ
「休憩!」
と佐原譲二先生が叫んだ。五月のゴールデンウィーク、佐原家の荒れた畑の一つを耕運機で耕している。その後で、コスモスの種を播くのだ。そう、秘密の花園を復活させようとしている。
あたし達は、畑の周りに散在する石に注意深く腰を下ろした。なんせ畑は土まみれで、気をつけていないと頬まで土だらけになりそうだから、もう不用意に腰を下ろせる所はない。
あたしは、軍手を慎重に外して、そろえて草の上に置いた。さらに、ジーンズのポケットから赤いタオルハンカチを取り出して、額を拭いた。五月のさわやかな風がポニーテールにしたうなじを冷やしていく。風はさらに木々の間を抜け、枝葉をそよそよとゆらして、太陽の方へと抜けていく。その木々の緑は驚くほど鮮やかだ。きっと、先日の雨に洗われたのだと思う。
向かいに腰を下ろした小島絵美は麦わら帽子を脱いで、ゆったりと火照った顔を仰いでいる。彼女の視線の先には、手ぬぐいを首にかけた佐原先生がいる。その先生は、一輪運搬車で、肥料袋を運んできた所で、ランニングシャツが汗でぐっしょり湿っている。一輪運搬車とは、建設現場でセメントなどを運ぶのによく使っているもの。底の浅い大きな容器の下に一輪のタイヤがついていて、両腕で持って押すものだ。
途中の勾配がきつかったのか、まだ、息をハアハア言わせている。それでも、肩からのびる腕の筋肉の盛り上がりは縄文人にふさわしい。その肉体とコミカルな顔、知的でちょっとエッチな言動はちぐはぐだ。さらに、豚の飼育、高校の物理の臨時教員、未来のゴルフ場オーナーとくれば支離滅裂と言っていいだろう。もしかしたら、絵美はその支離滅裂さに惚れたのかもしれない。
それにしても、自分に自信を持った女ほど、男にとって扱いにくいものはないと思う。そんな絵美に惚れたのだから、佐原先生はやっぱり悲恋体質なのかもしれない。あたしは、プロポーズの顛末を思い出した。
佐原先生は予定通り、3月末まで臨時教員を勤めた。やめるまでは、生徒に手を出してはいけないと、早坂先生にきつく言われていたらしい。3月末日に辞校式という簡単なセレモニーがあった。生徒は出てもよいし、出なくてもよい。
式の後で、あたし達の目の前で佐原先生は絵美に『結婚してください』とプロポーズしたのだ。将来はゴルフ場のオーナー夫人になれるのだから、玉の輿と言っていい。絵美が佐原先生にぞっこんなのは知っていたから、快諾するか、せいぜい高校を卒業するまで待ってもらうぐらいだろうと思っていた。だけど、絵美の答えに、その場に居た早坂先生と碧とあたしは絶句した。
「今はお断りします」
と絵美は答えた。佐原先生は不安そうな表情を見せながら
「今は?」
と尋ね返す。絵美はゆっくり、だけど、はっきりこう言った。
「ええ。九年後、私が弁護士になった時に、もし、もう一度プロポーズしていただければ、謹んでお受けいたします」
絶句するポイントはいくつもある。絵美にとっては、九年後に弁護士になることは既定路線なのだ。九年後にプロポーズしてほしいという法外な要求に、先生は絶句したと思うけれど、その時に、快諾するときっぱり言い切った絵美は、すごいと思う。そんなに好きなら、さっさと一緒になればいいと思うのだけれど。自分に確固たる自信があるだろう。そんな絵美が眩しかった。でも、あたしにはあたしの路があると思う。
いつのまにか、胸元からペンダントトップが外に出ていた。銀色のボールチェーンの先にピンクトルマリンのペンダントトップがついている。このトルマリンは小野寺巧が原石から研磨したもの。もちろん、これには、竹田貴金属店の店長さんが、出入りの工房に面倒を見てくれるよう特別に頼んでできたこと。
この石を見ていると、クリスマスに巧からプレゼントされた時が思い起こされ、胸がときめく。その時の巧の神妙な面持ちは一生忘れられないと思う。
が、しかし、今の巧は、耕運機に関心があるらしい。ガソリンで動くエンジン、クラッチ、土を耕すローター、変速レバー。さっきから、愛おしそうにあっちこっち触って、自分の世界に没入している。
それと対照的なのが、騒がしいバカップル。一体、何故、彼らがこの場に居るか不明だ。大体、この二人は、休憩前もおしゃべりばっかりで手をほとんど動かしていない。あたしは、急に腹が立ってきた。
「先輩! それに正村君! もう少し静かにしてくれませんか? 皆、休憩しているんですから」
「あら、ごめんなさい」
そう言って彼女は周りを見回した。そして、何かに気がついてこう言った。
「あっ、わかったわよ。どうして由梨子が不機嫌なのか」
「えっ? 不機嫌?」
「巧に相手にされないからでしょう。巧って、時々、ああいう風に周りが見えなくなるのよねえ。しょうがない、龍美姉さんが教えてあげましょうか。きっと、現実世界に戻れるわよ」
「教える? 何を?」
「キスの時に舌をどう使うか。由梨子は子供だから知らないでしょう?」
ええっ、そんなこと…… あたしは顔を赤くしていたと思う。が、とにかく、竹田龍美の暴走を止めないといけない。前例があるし。
「だめ、絶対、巧はダメ!」
「それじゃ~ 由梨子! 由梨子に私のテクニックを伝授してあげる」
思わず、軍手を投げつけようとして、思いとどまった。あたしはピリ子じゃない。一呼吸おいて
「呆れるわ。バカ龍美の冗談にはつき合っていられない」
と言い返した。
「あーっ、バカって、酷いわねぇ。いいじゃない、少しぐらい冗談言っても。だって、私はかわいそうな受験戦士なんだから。たまには息抜きもしないと」
そう、龍美は息抜きに来たのだ。花園の作業をすることをどこで聞きつけたのか、彼女は、昨日になって、強引にあたし達に加わったのだ。
「バカ村も彼氏なら、彼女の息抜きぐらいつき合ってあげなさいよ」
と言うと、正村は
「いや~ 俺は、皆のアイドルだから、一人だけに愛情を注ぐわけにもいかないのさ」
とぬけぬけと言った。龍美はそんな正村をおかしそうに見つめている。まったく、本当にこの二人はカップルなの? もっと熱々になってくれないと、あたしは安心できないのだけれど…… とりあえず、龍美に別のくぎを刺しておく。
「龍美先輩、そろそろ勉強頑張った方がよろしいんじゃないですか? 先輩の目指している天文学科は超難関ですから、よっぽど頑張らないと現役合格は難しいのでは?」
が、直ぐにあたしは墓穴を掘ったことに気がついた。
「あら、由梨子も同じ所を受験するのでしょう。由梨子の今の成績なら、私が現役合格しても三年は待たされそうね」
あたしは、先日の学外模試の結果を思い出して、頭を抱えた。そんなあたしに、龍美は追い打ちをかける。
「巧とイチャイチャしている暇はないんじゃない。なんでしたら、巧は私が面倒をみましょうか?」
「け、結構です!」
どっと疲れがでた。休憩しているはずだったのに……
ふと、巧に目をやると、佐原先生と一緒に肥料を見ていた。袋に手を入れて、すくい取って、臭いをかいでいる。なんとも渋い顔をした。そして、あたしが見ているのに気がついて恥ずかしそうに笑った。
巧は気象予報士になりたいと言っている。一方、あたしは天文学をやりたいと思っている。この先、一緒にいられるかどうかはわからない。絵美のように九年後も思いが変わらない自信なんて微塵もない。だけど、今のあたしにとって、巧が一番大切な人であることは確かだ。ここにいる皆も、ここにいない皆もあたしの大切な友人。何も期待していないはずの高校生活は、わずか一年で、こんなに沢山の友人を与えてくれた。友人だけではない。希望も夢も見つけた。
目をつぶって、五月の風を胸一杯に吸い込むと、群生する黄色いコスモスが目に浮かんだ。そう、夏には、ここは立派な秘密の花園になっているはず。
「それじゃ~ ぼちぼち続きを始めようか」
と佐原先生が皆に声をかけた。
丸い石に腰をおろしていたあたしは、よいしょと言って立ち上がった。ふと、絵美の座っていた石が不自然に四角いのに気がついた。気になって、巧が座っていた石を見ると、こちらは四角すいに近い。他にも幾つか小さい石が畑の周りにあった。あわてて、自分の座っていた石を撫でまわすと、探していたものが見つかった。何かの文字を彫ってある。つまり、あたし達が座っていたのはばらばらになった五輪塔。きっと、これは、佐原家の先祖を救った娘を弔ったもの。ということは、この畑が秘密のそば畑、佐原家の家宝のそば畑だったのだ。
あたしは、畑から出て行こうとする先生の方へ駆けだした。
「先生! 見つけたよ! 大切なものを見つけたよ!」
これで完結です。読んでいただき、ありがとうございました。




