第17話:友達
小野寺巧と口を利かなくなって一週間あまり。いつものようにふるまっているつもりでも、うかない顔でお弁当を食べていたのだと思う。青木芽衣が話しかけてきた。
「ねぇ、由梨子。そろそろ聞いてもいいかなあ?」
「えっ、何のこと?」
「決まっているじゃない。今、悩んでいることよ」
ふと、周りを見回すと、四人ともあたしに注目している。返答を待っているのだ。
「悩んでいることなんてないわ」
とごまかしてみるが、新谷真美を除いた三人にはバレバレだったみたい。芽衣がため息をついて、話し出した。
「私は、やり直せると思うの」
「やり直せるって…… 知っていたの」
芽衣は声を落としてこう諭した。
「具体的に何があったかは知らないわ。でも、このまま小野寺君と別れるのはよくないと思うの」
事情に疎い真美がとぼけたことを言う。
「あっ、もしかして、絵美に取られたの?」
ご飯をもぐもぐ咀嚼していた小島絵美が激しく首を横に振った。芽衣がさらりと答える。
「絵美は関係ないわ。だって、佐原先生にぞっこんだから」
絵美は、箸でつかんでいたミニトマトをぽとりと落とした。机の上に落ちたそれは、ころころと転がっていくが、机の端からおちる寸前で止まった。木川碧が上から箸で突きさしたのだ。
「もらってもいい? あたしトマトが大好きなの」
と碧が尋ねると、トマトなみに顔を赤くした絵美はうなずいた。碧はひょいっとトマトを口に入れて、もぐもぐした。そして、口に手をあてながら、とんでもないことを言いだした。
「ところで、さっきの話だけれど、由梨子が小野寺君と別れたのなら、あたしが味見してもいいかしら? このミニトマトみたいに、ぱくっと」
「だ、ダメ、絶対ダメ!」
と思わず答えていた。
「でしょうね。なら、仲直りしたら? 大事な人なんでしょう?」
へっ? どうやら、あたしは碧にはめられたみたい。碧はいつだって大人だ。だけどあたしは、まだまだ子供。
「大事な人? そうかもしれない」
そう答えてうつむいた。やっぱり、これは、あたしが悩んであたしが答えを出さないといけないこと。
そんなあたしの顔を真美が不思議そうにのぞきこんだので、真美の頭をくしゃくしゃになるまで撫でてやった。
その日の観望会の目的は月。あたしは、竹田先輩から(メールで)声をかけられていた。竹田先輩の名は龍美で、最近は、一年生からは、るみ姉さんと呼ばれることも多い。今は、忙しい班長に代わって、天文班を引っ張っていて、観望会の予定は彼女が取りまとめている。あたしは、皆よりも少し早い時刻を指定されていた。
駅ビルでのキス事件以来、彼女とは顔を合わせないようにしていたが、指名されては仕方がない。用があるのは、彼女の方だから、あたしは黙っているつもりだった。
半球状の天井を持つドームには、天空を覗くために、天頂から床上1メートルほどまで幅1m程の細長い隙間がある。そこから月明かりが入り、望遠鏡を照らすとともにドーム内の床を帯状に照らしている。その静謐な光の中に髪の長い彼女は一人でたたずんでいた。まるで、光と闇を自在に操ったオランダの絵画のように絵になる光景だった。
「来てくれてよかったわ。もしかしたら、来ないのじゃないかと心配したのよ」
あたしは、わずかにうなずいたけれど、黙っていた。だってあたしから話したいことなんて何もないから、と考えていたことは直ぐに見透かされた。彼女は、綺麗な微笑を見せて続けた。
「自分から話すことは、何もないってわけね。丁度いいわ、私の話を聞いてくれるってことでしょう」
「えっ」
「山崎さんって、わかりやすいのよ。良く言えば、目の表情が豊かだってことだけれど、何を考えているか直ぐわかっちゃう。だから、皆、安心できるのね。それに懐が深い。巧だって、小島さんだって、普通なら引いてしまう人をすんなり受け入れちゃう。山崎さんの周りに自然と人が集まるのもわかるわ」
「誉めていただいて、ありがとうございます。でも、それが竹田先輩のお話ですか?」
「それは、話の一部。あっ! そうだ。忘れないうちに大事なこと、私のお願いを言っておくわ」
「お願い?」
「私と友達になってくれない?」
えっ! あたしは絶句した。何がどうなって友達という話になるのだろうか? 竹田先輩は話題を転じた。
「ま、それは、最後に考えてくれればいいけれど。私が話したいのは巧のこと」
「巧のこと?」
それこそ、この一週間あまりあたしの頭を占拠していたことだ。
もし、竹田先輩が昔から巧と付き合っていて、巧が遊びであたしと付き合ったのだったとしたら…… そんなことはあり得ない。逆に、文化祭の後で、竹田先輩が巧に一目ぼれしたとしたら…… 巧には悪いけれど、そっちの方がもっとあり得ない。何も接点がない彼女が、父親を助けてくれたぐらいでディープな接吻なんてするだろうか? なにか事情があるはず。そう思いたかった。もし、事情がないなら、あたしは紙よりも軽い存在だわ。あたしは、唾を飲み込んで彼女の話を聞いた。
「巧とは、空手道場の知り合いよ」
「空手道場?」
「そう、巧も私も小学生のころは、毎週道場に通っていたの。だから良く知っているわ。耳が悪くて皆から浮いていたのも知っていたし、巧が、他人には関心のないふりをしていたのも知っていたわ。で、ある時、巧は、初恋の相手に告白した。勇気を出して告白したのだと思う」
「初恋?」
「そう。私が中一だったから、巧は小学六年生だったはずよ。でも、相手にされなかったわ。それで、一層、他人と距離をとるようになった」
「そうだったの」
「でも、根は優しくて正義感のある子よ。親が離婚して、私が落ち込んでいた時も優しい言葉をかけてくれた。『親は親。親の生き方は変えられないけれど、姉さんは自分の好きなように生きればいい』ってね」
「姉さん?」
竹田先輩は、ドームの隙間から見える月を見上げ、眩しそうに目を細めた。あたしもつられて月を見上げた。きっと、彼女は過去を見ているだと思う。
「それまでは、巧は姉のように私を慕ってくれたし、私も巧を弟分のように思っていたの。でも、彼のその言葉で、気がついたの。私の王子様はこんなに近くに居たんだって」
「王子様?」
「そう王子様よ。つまり、巧は私の初恋の人」
「そうだったんですか」
「でもね。王子様にも好みはあったみたい。私を恋の相手としては見てくれなかったわ。だから、山崎さんに嫉妬したし、巧を相手にしなかった初恋の相手も憎かった。それで、色々悪いこともしたわ…… この間のキスも悪かったと思っている。でも、あの時は、このチャンスは運命、何かの縁だと思ったのよ。私の大切な思い出の人とキスできるチャンスが巡ってきたって。終わった思い出に花を添えたいって思ったの」
「でも、結局はどさくさにまぎれてってことじゃないの?」
とあたしは口をはさんだ。
「まあ、そういう言い方もあるわ。あなたにしてみれば、私は泥棒猫よ。それは変わらない。でも、そういう事情があったってことは、知ってほしい。悪いのは私で、巧じゃないってことは知ってほしいの。だから、私のことを許さなくてもいいけれど、巧を許してくれない?」
月は相変わらず、静謐な光をあたし達に投げかけている。きっと、何年たっても、人類が滅んでも、その光は変わらないと思う。それに比べれば、あたしの意地なんて、ほこりのように軽いわ。あたしはため息をついて言った。
「そんなこと言われれば、許すしかないわ。それに…… そんなこと言われなくても、あたしが、巧をどうしようもなく好きなのは、この一週間で良くわかったから。あっ、それから竹田先輩のことも……」
何と続ければ良いか言葉につまった。先輩に向かって『許す』なんて言っていいのか思案したのだ。月光に照らされた先輩は、にっこり笑った。あたしが、何と言いたいのかわかったのだと思う。
「そう、安心したわ。やっぱり、山崎さんは懐が深いわ…… ということで、巧! よかったわね」
先輩は声を大きくしてあたしの背後を見た。驚いて、後ろを振り返ると巧がいた。一歩踏み出した巧を月光が照らす。その顔には、ぎこちない笑顔が浮かんでいた。表情の乏しい巧が作った精一杯の笑顔だ。
「いつからいたの?」
と尋ねると、巧はさらに一歩近づいて
「ほんの少し前からです」
と答えた。
「あたし達の話を聞いていたの」
と聞くと、例によってとぼけた。
「耳が悪いので、何も聞こえませんでした。それより、僕を許してくれますか?」
「許すも何も……」
思いが…… 色々な思いがあふれて、言葉が出なかった。
「どうやら、僕はどうしようもなく由梨子が好きみたいです」
あたしは、巧のその言葉と力強い抱擁を素直に受け入れた…… 言葉はなくとも思いは伝わった。
この時から、竹田龍美との長い付き合いが始まった。友達として、そして、ライバルとしての付き合いが始まった。もちろん、ライバルと言っても、初恋を除けば、恋のライバルになることはなかったから幸いと言うべきであろう。なんせ龍美は美人だから。
昼休み、あたしは、時々、五人島から抜け出て、二人島を作っている。二人だけの静かな時間がほしかったの。でも天敵が現れて、静かな時間を台無しにしていく。
「お、山崎パン特製たまご焼き! ピリ子、哀れな正村に施しを」
「あ、こら! バカ村! 折角、あたしが作ったおかずを勝手に取るな!」
そう、最近、あたしは自分でお弁当を作っている。少し多めに作っている。そして、いくら食べてもお腹の一杯にならない巧に分けているのだ。
もぐもぐ口を動かしていた正村は、あたしの返答を聞いて、フームと唸った。
「どうりで、まずいと思った。本物の山崎パン製のたまご焼きは絶品だからなあ。それにしても、小野寺はよく我慢しているなあ」
「えーっ! そんなにまずい?」
正村は首を縦にふった。今度は、巧に
「まずい?」
と聞いてみると、
「さあ、わからない」
と巧は答えた。どちらも許せない!
あたしは右手と左手に電荷を溜め始めた。
「二人ともあたしをバカにしているのね」
と睨みをきかせると、二人とも真っ青になって、激しく首をよこに振った。




