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裏口へ向かう途中、何度も襲われその度に回避し、何度も悲鳴を聞き何度も耳を塞いできた。今はただ、ここから脱出することが最大の目的だと何度も何度も自分に言い聞かせ、ようやくたどり着いた裏口の扉を開けると、開けた場所に数多くの黒い物体が集まっていた。扉を開ける音に反応した黒い物体たちはそちらを見て襲ってくるかと思いきや、真ん中に集まり動かなくなった。
(なにしてるのかな……あれ)
(わからないわ。でも、不用意に動かない方がいいわ)
二人はひそひそ声で話をしていると、黒い物体のひとつがぶるぶると体を震わせた。ゆっくりと震えだし徐々に不気味なほどに高速で震えだしたのをきっかけに、ほかの黒い物体たちもぶるぶると震え始めた。そして黒い物体が一つまた一つ集まると、それらはくっつき大きくなっていった。
ぶちゅり ぶちゅり
まるで熟れすぎたトマトを潰したかのような音が耳の中へと侵入してくる。確かに耳を塞いでいるはずなのに、その僅かな隙間を縫うように侵入してくる不快な音は二人を怖気させるには十分すぎた。もう幾重にも重なる潰れた音がようやく収まったかと思えば、目の前には巨大な黒い物体が完成していた。
「な……なんなのよ……あれ……」
「……なんだってこんな……」
二人はその大きな物体にただ息を飲むことしかできなかった。クラスメイトはシャウラの腕にしがみつきながら、目に涙を浮かべていた。シャウラは見上げるほどに巨大な黒い物体にどう抗おうかと思考を巡らせていた。
「ねぇ。もう……逃げようよ。全力で逃げればなんとかなるかもしれないよ……」
「でも、こいつ大きいから逃げてもすぐにわたしたちを見つけるわよ。きっと」
「じゃ……じゃあ、どうするの??」
クラスメイトの精神はそろそろ限界を迎えようとしていた。だが、ここで逃げるわけにもいかないと思ったシャウラは小さく何度かに分けて呼吸をしてからクラスメイトに告げた。
「ねぇ。これからすること、許してね」
「え?」
クラスメイトの答えを聞くよりも早く、シャウラは腰から十二星座のコアが埋め込まれた柄を取り出した。まるで稲光が宿っているかのようなその柄はシャウラの意思を読み取り、自由自在に動かすことができる半透明の鞭を具現化させた。白く発光する柄を片手に巨大な黒い物体を睨みつけ、サソリの尾を高々とあげてみせた。
「覚悟なさいよ。タダじゃやられないんだからね」
シャウラは声を張り、柄を構えた。幸い、相手は巨大が故動きが緩慢だ。そこをうまく突きながら攻撃すれば勝機はあると計算したシャウラは、スピードを生かし黒い物体の足を目にも止まらぬ斬撃を繰り出した。確かに手応えは感じたのだが、思っていたよりもダメージはないように見えたシャウラは更に連撃を繰り出した。その連撃に加え、巨大な黒い物体の足元にこれでもかとばかりに紫色の毒を塗りたくった。
「サソリだからね。そりゃあ」
踏み出した右足からじわりじわりと足を侵食していくシャウラの毒は、やがて全身をめぐるのにそう時間はかからなかった。怒りや悲しみが混じったときの辛さは何物にも勝る毒へと変貌する。元々緩慢な動きが更に鈍くなり、体のあちこちにシャウラの毒だとわかる紫色の毒が浮かび上がると小刻みに震え始めた。やがて声なき声の後、その巨大な物体は多くの建物を崩しながらゆっくりと確実に前へ倒れた。
「あ……あなた……一体……」
シャウラの戦う姿を見たクラスメイトは一体何がなんだか理解をするのに時間を要していた。それに対し、シャウラはあははと乾いた笑いをしながら当たり障りのない言い訳を並べた。数十分の説得の末、ようやくクラスメイトは納得したのか、落ち着きを取り戻し安堵の息を漏らした。
「それにしても……」
クラスメイトをようやく落ち着かせることに成功したシャウラは、前へ倒れた巨大な黒い物体を見ながら呟いた。こいつは確かにわたしを倒そうとしていた。そして、そのためにほかの生徒たちにも危害を加えた。でも、なんでほかの人たちにも危害を加えたのだろう。加えるのであれば、十二星座の皇子だけを狙えばいいはずなのに……大きくうなり声をあげながら考えているシャウラに、クラスメイトは小さく声をかけた。
「あ、ああ。ごめんね。さ、今のうちに逃げましょ」
「そ、その前にさ。聞きたいことがあるんだけど……」
やっぱりあれじゃ納得してもらえなかったのかなと心配になりながら、シャウラはクラスメイトの話を聞いた。
「その……黒い物体って……?」
シャウラの予想とはまた違う質問に驚きながらも、シャウラは今一度黒い物体を見てみた。動く気配が全くないこの物体をどうしようか。でも今は……。
「それはさ、逃げながら考えるとして……ね。ほら、行こ行こ」
クラスメイトの手を半ば強引に引きながら逃げる二人。早くこの場から逃げて、それから何ができるかをきちんと考えないと。
シャウラはこのクラスメイトとの付き合いは長い方だった。本当はあまり慣れあわないつもりだったのに、いつの間にか友達になっていて、いつの間にか話し合っていて、いつの間にかランチを共にして、いつの間にか……シャウラにとってかけがえのない宝物となっていた。
そんなクラスメイトとランチをしていたとき、クラスメイトがパスタをくるくる巻きながらシャウラに質問をした。
「ねぇシャウラ。大事なものってある?」
バナナスムージーを飲みながら悩んでいるシャウラ。しばらく悩んでからシャウラはこれだと思うものを言ってみた。
「愛! 愛だよ愛! 人生短いんだからさ、もっと気楽に行こうよ。普通が一番なんだよ。そう……普通が……一番なんだよね」
嬉しそうに話しているシャウラの顔が一瞬曇ったのをクラスメイトは不思議そうな目で見ていた。何かを言いたそうなのだが、今は言えないそんなことを感じたクラスメイトは「そうなんだ」と言いながらパスタをぱくり。きっとシャウラにも何か事情があるんだなー位に思っていたクラスメイトは、話題を違うものに切り替えると、シャウラはさっきの曇った顔から晴れ間をのぞかせながら楽しそうに話していた。その顔にクラスメイトは何度救われたかわからない温かいシャウラの笑顔を見つめながら、楽しいランチタイムを過ごした。
その日の帰り道。クラスメイトに別れを告げ、シャウラは一人歩いていた。夕日が眩しく照らす歩道をただ一人歩くシャウラ。
「……」
なんだかすっきりしないのか、シャウラの顔がくしゃくしゃになっていた。まだ時間はあるし、シャウラは少し外れた道に入るとそこには誰もいない公園があった。ブランコと砂場、小さなタイヤの遊具しかない狭い公園なのだが、時々シャウラはここにきて気持ちを落ち着かせていた。人気がないことも幸いし、ここはいわばシャウラの隠れ家的な場所となっていた。
「……ちょっと……いいよね」
ブランコに腰掛け鞄を足元に置き、ブランコを支えている鎖をぎゅっと握った。ひんやりとした鎖がシャウラの気持ちを解放し、いつの間にかシャウラの目にはうっすらと涙が浮かんでいた。
「普通って……普通って一体なによ……」
今日のランチタイムで言ったあの一言。普通が一番だと言ったけど、普通とは一体何なのだろうか。
恋人を作ること?
それとも学業に専念すること?
それとも……皇子としての立場を隠しながら学園生活を送ること?
どれもシャウラのしっくりする答えにはならず、シャウラは肩を震わせながら溜息を吐いた。何度目かの吐息で答えを見つけだしたシャウラは、一瞬嬉しそうな顔をしたのだがすぐにそうじゃないとばかりに首を横に振った。確かにそれが実現すれば何も考えなくて済む代わりに、ここのどこにも自分がいなくなってしまうということになってしまうことに矛盾を感じた。だけど……。
「そうだよ。あいつらを壊しちゃえば本当の意味で解放される。だけど……」
小さい頃から常に両親に「封印を守ることが最大の使命だ」と言い聞かされてきたシャウラ。「自分の家は特別ではあるがそれが当たり前」と思っているからか、使命に対し真摯で冷酷にもなれる。例え、自分の身が危険にさらされようとしても。そこまでしてシャウラが手にしたいもの、それは「自由」だ。封印を脅かす存在があるのなら、そいつらを封じ込めるのではなく完全になくしてしまえば使命からも解放され、本当の意味で自由になれると本気で思っている。
使命があるから仲良くできない。
使命があるから青春を満喫できない。
使命があるから……。
そう。全てはその使命のせい。十二星座の皇子としての使命という鎖に繋がれたシャウラは、息苦しさを感じていた。その使命がなければ今をもっとエンジョイできるし、学園ライフを心から楽しむことができるはずなのに……。
夕日に照らされたシャウラは声を発することなく泣いていた。誰にも相談できない苦しさに。息苦しさに。そしてなにより、鎖にがんじがらめになっていて何もできていない自分に対して……。
「……ウラ。シャウラ!」
「えっ!」
「どうしたの? 急にぼーっとして」
「え、いや……あはは。疲れちゃったのかな?」
「もう……急に立ち止まって何か考え込んで……何度声かけても反応なくってびっくりしたよ」
「ごめんごめん」
「ねぇ、シャウラ」
「ん?」
「いいんだよ。隠さなくて」
どくん
その言葉に心臓が撥ねた。まるで大きな角材で心臓を思い切り打ったかのような衝撃だった。そしてその衝撃は心臓から全身を巡り、シャウラの感情をも震わせた。今まで言われたことがなかった言葉に、シャウラは思わず声に出して泣いた。瞳から零れた一粒の涙は小さな川を創り流れ流れて生命の海へと還る。シャウラの我慢という壁を涙という津波で決壊させた。決壊した壁から感情が押し寄せ、辺り一帯を容赦なく飲み込む。それを、クラスメイトが優しく抱きしめ、支える。
「辛かったね。苦しかったね。シャウラ」
「……うん……うん……!」
「落ち着いたらでいいからさ。シャウラのこと、もっと教えてほしいな」
「……ん。……うん。いっぱいはなそう? いっぱいお茶しよ?」
「うん。あたし、シャウラと行きたいケーキ屋さんあったんだ」
「うん……ん……行こう! わたしも……行きたい洋服屋さんあったんだった……」
「え? そうなの! 行こうよ行こうよ!」
「うん……うん……ありがと……ありがとう……」
シャウラは嬉しさのあまり、気が付けないでいた。クラスメイトにたくさん甘えている間に、少しずつ確実に変化が起きていることに。その変化とは、さっき倒したはずの巨大な黒い物体だった。その黒い物体は緩慢の動きだからこそ攻撃が避けることが容易だった。しかし、それが今となっては盲点となっていた。緩慢だったからこそ、その変化に気が付くことができなかったのである。少しずつ小さくなっているその巨大な物体は一般人と同じくらいの大きさまでになると、ゆっくりと体を起こし泣いている声のする方へと体の向きを変えていた。そしてその変化に最初に気が付いたのはクラスメイトだった。
「っ! シャウラ! 危ない!」
「え」
思い切り突き飛ばされたシャウラ。クラスメイトと距離ができたその瞬間、クラスメイトの体を黒い物体の腕が貫いていた。クラスメイトはうっすらと笑みを浮かべならゆっくりと息を引き取った。
「あ……あああああああああ……!」
もし、あのままクラスメイトと一緒にいたらあの黒い物体に貫かれていたのかと思うと……。それを回避するため、クラスメイトは身を挺しシャウラを守った。それがクラスメイトにできる最後のやさしさだった。
「そんな……そんなそんな……うわあああああ!!」
やっと本当の意味で仲良くなれたと思ったのに。やっと本当の意味で今を大事にできそうだったのに。深く暗い絶望がシャウラを一瞬に飲み込み、校舎の裏口にシャウラの慟哭が木霊した。
「……これで……帰って!!!」
シャウラは今ある星座の力を全て柄に注ぎ込み、半透明の鞭を大きく振りかざした。白く蒼く光る轟音に包まれ、黒い物体は消えた……かのように見えた。
「え……?」
その背後、強い衝撃を受けシャウラは地面に叩きつけられた。あまりの衝撃の強さに体の中からめきめきという音が聞こえた。しんと静まり返ったとき、シャウラの体は自由に動かすことが困難になっていた。だが、シャウラは最後の力を振り絞りクラスメイトの手を握りながら涙を流した。
「……りが……う……」
何かが壊れる音が聞こえた。




