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3

 屋敷に戻ってきた真紅は小さな異変に気が付いた。いつもなら整列して待っているのだが、今回は誰も来ず、代わりに今まで聞いたことのないくらい静寂が真紅を出迎えた。

「……」

 もう寝てしまったのかと思った真紅は玄関を施錠し、屋敷内を歩いているとおかしいほどに人の気配を感じられなかった。まるで呼吸をするのを忘れてしまったかのような屋敷の静けさに真紅はいつの間にか長物に手を添えていた。次の曲がり角を曲がる前に抜刀していればどうにでもなると思い、静かに自身も呼吸を殺しながら一歩また一歩曲がり角に近づきながら徐々に鞘から長物を抜いていくと、途端に男が現れた。

「わ! お頭。どうしたんですか。って、刃物はしまってください!!」

「む。お前か。いやなに、屋敷内が妙に静かだから警戒してしまっただけだ」

 ぱちんと長物を鞘に納めた真紅に、ようやく緊張感を解いた男は地下で今後の活動方針について話し合いをしていたとのことだった。なるほど、それなら誰の声も聞こえないわけだと一人納得した真紅は「あまり遅くなるなよ」とだけ言い、自室へと戻っていった。自室に戻った真紅は長物を刀掛けに戻さず、しばらくそのまま待機していると妙な感覚に襲われた。それは背中を妙に生暖かい風が下から這いずってくるような非常に不快な感覚にも似ていた。

「……何者じゃ」

 真紅は低く問うた。だが、その問に答える者は現れず、代わりにずずずという耳障りな音が真紅の背後から聞こえた。真紅は振り向き様に抜刀し、薙いだ。長物と同じかそれ以上に鋭い真紅の目に映ったのは、ぐにゃぐにゃとしたゴムのような柔軟性を持った得体の知れない物体だった。

「なんじゃ貴様」

 ぐにゃぐにゃとした得体の知れない物体は音もなくそのまま霧散すると、また再び静けさが戻ってきた。だが、その静けさもすぐに打ち砕くような男たちの声があちこちから聞こえてきた。

「なんじゃお前」

「土足で入るたぁいい度胸じゃのう」

 男たちの声が聞こえる場所へ向かうと、先ほどまで真紅が対峙していたあの得体の知れない物体があちこちに出現しており、男たちはそれぞれ得意の得物で応戦していた。

「お前ら。無事か!」

「お頭! ここはあっしらに任せてくだせぇ!」

「……無茶したらただじゃおかんけぇ」

「もちろん。さぁ、お前らの相手はわしらじゃけ。かかってこいや!」

 男たちがドスのきいた声で得体の知れない物体を挑発すると、その声に反応しているかのようにじわりじわりと男たちに近付いていった。真紅はその場を任せ、他の場所の様子を確認するため屋敷の中を駆けた。


 屋敷の中を駆けている中、真紅の目に映るのは男たちが必死に戦っている姿だった。皆、荒事には心得がある者ばかりだが、その中でも数名は心得がなく代わりに裏方に回って補佐をする者もいる。その補佐たちがいて荒事への心得がある者が安心して戦えるというもの。しかし、裏方を担当している者の何名かは力なく腕をだらりとたらし、ぴくりとも動かなかった。その前では涙を流しながら必死に得物を振り回して戦っている男がいた。きっと倒れている者と親しかったのだろう。その親しかった者の敵討ちとばかりに大きく得物を振りかぶったとき、男の腹部に得体の知れない物体の腕が深々と突き刺さると、男は親しかった者にふらふらと近付き重なるように倒れた。

「くっ……なんじゃなんじゃ。一体何が起こっているんじゃ」

 状況が呑み込めない真紅は思わず声を張った。一体どうしてこんな状況になってしまったのか、訳が分からない真紅は抑えきれない怒りを声に出して表した。もう何人目の動かなくなった男たちを見てきただろうか。未だに信じられない真紅は駆けたときの心音なのか、この状況を信じたくないという拒否の音なのかこの時はわからなかった。気が付けば真紅は食料保管庫へと来ていた。見た目とは想像もつかない位、整理整頓された棚には新鮮な野菜や肉がたっぷりと保管されていた。これも裏方が得意な男たちがきっちりと行ってくれた賜物なのだと真紅は思った。しかし、そいつらも今は……。堪えきれない怒りをぐっと飲みこみ真紅は食料保管庫を出て厨房を経由して廊下に出ようとしたときだった。またあの得体の知れない物体が背後から現れ、鋭く尖らせた腕を真紅に突き刺そうとしていた。

「くそっ!」

 警戒を怠っていた真紅は自分に悪態をつきながら直撃を防ごうと抜刀を試みようとしたとき、ふいに衝撃を受けた。その力は強く、真紅の視界が一瞬歪むほどの力だった。壁にぶつかりその勢いが殺され、ようやく何が起きたかを把握しようと目を開けると、そこにはエプロン姿の男が大きなおたまで鍔迫り合いをしていた。

「お頭。無事ですか」

「あ、ああ」

「そっか。よかった……よかった……」

 その男はぎりぎりと相手の攻撃を必死に受け止めながら真紅に微笑んだ。やがて男は体が痺れる程の大声をあげながら得体のしれない物体の攻撃を弾くと、おたまを投げ捨て腰から得物を抜き、構えた。

「お頭。最後に会えてよかったっす」

「最後……? 冗談はよさんか」

「冗談じゃありやせん。オレは……戦うことができない情けない野郎です。でも……でも、お頭はそんなオレに手を差し伸べてくれやした。身寄りのないオレを助けてくれた恩人っす。オレに料理をする楽しさを教えてくれた恩人っす。みんなの喜ぶ顔を見れて、オレは……最高に幸せっす」

「お前……」

「特に、お頭が美味しそうに飯を食ってるのを見た時が……一番幸せっす。にくじゃがを美味いって言ってくれた日の事、まだ覚えてるっす。あんなに優しい言葉を言われたが嬉しくてたまんなかったっす。そんな恩人に牙を剥く奴ぁ、オレが許さないっす」

 にくじゃがが得意料理の男は真紅の前に壁のように立ち、得体の知れない物体と対峙した。

「お頭がくれたこの得物。いつ使う日が来るのかってずっと思ってやした。このまま錆びてしまったらどうしかとも思いやした。だけど……今日がそれだって思えて、オレ、幸せっす。恩人を守るために戦う奴って、こんな気持ちになれるんすね。お頭……オレ、今、最高に幸せっす」

「……めろ……やめろ。お前、無理するな……行くなっ!!!」

「へへっ。大丈夫っす。オレ、結構しぶといんで安心してくだせぇ。あぁ……でも、最後に……お頭ににくじゃが……食ってほしかったなぁ……」

「ああ……ああ。いくらでも食ってやる。何杯でも食ってやるだから……だから、下がれ! これは命令だ!」

 ふらふらと立ち上がりながら真紅は声を張るも、男はそこから微動だにしなかった。その姿は裏方であったことを忘れさせるくらいの男気が溢れていた。

「お頭。ここはオレに任せてくだせぇ。こいつを片付けたら他の奴らも助けておくんで。さ、行ってくだせぇ」

「……すまぬ」

 うっすら涙を浮かべながら真紅はその場から走り去る姿を見送った男は「やれやれ」と小さく呟いた。そして改めて得体の知れない物体と対峙すると、「さぁて」と耳を疑いたくなるような低い声が辺りに響いた。

「ここまで荒らしてくれたお礼、きっちり返さんとなぁ。覚悟しぃや!」

 男は得体の知れない物体に向かって叫び、得物を振り回した。そんな男に対し、得体の知れない物体も腕の一部を鋭く尖らせ応戦した。男が得物を振りかざせば物体はそれを片手で防ぎながら片手で反撃。それを男はぎりぎりの距離で交わしながら丸太のように太く大きな足で相手を蹴り飛ばした。その勢いは物体を壁にめりこますほどだった。

「おう。まだまだじゃけぇ。みんなが受けた苦痛はこがぁなもんじゃねぇんじゃ。あんたにはしっかり教えちゃるわ」

 物体が起き上がり、男に飛び掛かった。それを男はひょいと交わし、振り向き様に物体の背中を強打した。そのまま床へと叩きつけ、何度か踏みつけると物体は液体のようにぬるりと動きまた物体へと変わり、両腕を尖らせ男に向かって突っ込んできた。

「面白い。かかってこいや」

 それを真正面から迎え撃ち、物体は適度に距離を置いた。そして恐らく次の一撃で決まる。男はそう感じながら真紅から貰った得物をぐっと握りなおした。

(お頭……オレに力をくだせぇ)

 両者、同時に地を蹴りお互いが残ってる力をぶつけ合った。激闘の末、最初に膝をついたのは……。

「お頭……あたぁ頼みました……」

 ばたりと倒れた男の顔はどこか穏やかだった。

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