令嬢、聖女の奇跡(コード)を垣間見る【ミレニア視点】
数十分後。学園内のカフェテリア。
クライヴ殿下が城からの迎えに引きずられて帰った後、わたくしとユニは小さなテーブルを挟んで向かい合っていた。
「……それで」
わたくしは優雅にティーカップを下ろし、目の前の平民を見据えた。
「説明していただけるかしら? 『ハコオシ』とはなんですの?」
「…………」
返事がない。見れば、ユニはわたくしの頭部を食い入るように見つめているではないか。
(──なんて無礼なのかしら)
わたくしの額に、ピキリと青筋が浮かんだ。
「ちょっと! わたくしの話を聞いていますの!?」
「ふわっ!? ごめんなさい! ミレニア様の髪のモデリングが神ってて、つい……!」
「はぁ? モデ……?」
「いえっ、なんでもありません! こっちの話でッ!」
ユニは誤魔化すように自分のティーカップを両手で掴むと、ずずっと下品な音を立てて熱い紅茶を半分ほど一気飲みした。
「ぷはー……って、なんか渋ッ。口に残りますね。あ。えっと箱推しって言うのは、要するに……」
(王室御用達の最高級の茶葉をつかまえて、渋いですって!? そもそも紅茶は一気飲みするものではありませんわ! これだから平民は……!)
わたくしの額にさらなる青筋が浮かんだが、ユニはそんなことにはお構いなしで、異様な早口で熱弁を振るい始めた。
要約すると、「ハコオシ」とは。
「誰か一人と結ばれたいわけではなく、彼ら全員が仲良くしている世界そのものを愛好する」思想のこと……らしい。
婚約者であるわたくしや令嬢たちを邪魔するつもりなど毛頭ない。だから自分のことは「ゆるキャラ(ゆるっとした雰囲気のマスコットのことらしい)」とでも思ってくれと。
(り、理解不能ですわ……っ!)
彼女から繰り出される未知の論理の連続に、わたくしが頭を抱えかけた、その時。
「あっ……!」
ユニは目をカッと見開き、窓の外に釘付けになった。
「シリウス様とアーサー様の友情イベ……! しかも音声付きだなんて……尊い……!」
(……完全に不審者ですわ!)
窓にへばりついて荒い鼻息を吐く平民にわたくしがドン引きした、その直後。
何かに憑かれたように身を乗り出したユニは、ガチャンッ!と勢いよく自分のティーカップを倒してしまった。
「あっ!?」
「んもうっ! なにをやっていますの!? スカートが染みになりますわ、早くこれで拭いて──」
わたくしが慌ててレースのハンカチを差し出そうとした、次の瞬間。
ふわり、と。ユニの指先から、淡く光る不可解な文字列が無数に浮かび上がった。
『target=stain; if(target) delete target;』
「っ!?」
「エグゼキュート」
ユニがそう呟いた途端、スカートに広がっていた紅茶のシミが、まるで時間を巻き戻したかのように跡形もなく消え去る。
「んー、よしっキレイになった♡」
わたくしはハンカチを差し出した姿勢のまま、目を丸くして固まってしまった。見たこともない魔法だった。わたくしの知るそれは、火や水など、四大精霊を操るもので……。汚れを跡形もなく消し去るだなんて、聞いたこともない。
「……今のは……呪文ですの?みたことのない文字でしたわ……」
「えっと……呪文じゃなくてコードです」
「コード?」
「うーんと……あらゆる事象を文法と数値で定義して実行する術式……って、いえばいいんでしょうか」
言うが早いか、ユニが両手を空中で踊らせる。今度は先ほどよりも遥かに複雑で、目が眩むほど膨大な光の文字列が、流れるように宙に浮かび上がった。
「四大精霊に祈るとかいう感覚的なやり方じゃなくて、この世界の事象を厳密な『数値と数式』で定義し直すんです。変数に物質を代入して、条件分岐を通して、システム──世界そのものに直接命令を下すというか……。関数なんかの構文は、Cっていう言語をベースに自分でアレンジして……」
「ただ、シミ抜きみたいな軽い処理ならいいんですけど、複雑な事象の書き換えになると、めちゃくちゃ重い処理になっちゃって。電力……ていうか、魔力?の消費が激しいし、脳食いつぶしてバーンっていっちゃいそうだから、さじ加減がすごく難しくて……」
ユニは、そんな恐ろしいことを、まるで今日のランチのメニューでも語るかのようにあっけらかんと説明する。
(……世界そのものに命令を下す? そんなことが本当に、──)
宙に浮かぶ、一切の無駄がない幾何学的な文字列の羅列。それがまぐれ当たりの奇跡などではなく、緻密な思考と論理によって構築されたものであることは、わたくしにも一目で理解できた。
そしてそれが──途方もない時間と努力の積み重ねによってのみ、成し得る業だということも。
わたくしが絶句してその文字列を食い入るように見つめていると、ユニはハッとしたように身を震わせた。
「あっ……」
空中に浮かべていた文字列をパッと消し去り、張り付けた笑みを浮かべる。
「ご、ごめんなさい! 意味わからないですよね、こんなの……っ!」
「……いいえ」
わたくしは扇子で口元を隠し、動揺を悟られないように答えた。
「興味深いわ。……もっと、教えて下さる?」
「えっ」
驚いたように目を瞬かせた後。
ユニは、ぱぁぁっと花が綻ぶような、計算など一切ない純粋な笑顔を見せた。
(──っ)
わたくしは思わず息を呑んだ。なんて、無邪気で真っ直ぐな笑顔だろう。
まるで、愛されるためだけに生まれてきたかのような。
わたくしは、幼い頃から重圧に耐え、すべての時間を王妃教育に費やしてきた。この子だって、きっと同じ。多くの時間を「奇跡」の構築に費やしてきたはずだわ。
なのに、彼女は──少しも自分をすり減らしていない。
(……嫌だわ)
わたくしは、ほんの少しだけ胸の奥がチクリと痛むのを感じて──ふいっ、と目を逸らした。
「もちろんです! たとえば、この世界を構成するマテリアルのパターンは全部でーー」
「──時間ね。失礼するわ」
わずかに強張った表情を悟られないよう、わたくしは立ち上がり、あえて冷たい瞳で言い捨てた。
「とにかく──。手当たり次第に色目を使うのはやめてちょうだい。ハコオシだかなんだか知らないけれど、彼らにも婚約者がいるのだから」
それだけを言い残し、わたくしは足早にカフェテリアを後にする。
振り返ることはできなかった。
あの眩しい笑顔をもう一度見てしまえば、わたくしの中に築き上げてきた貴族としての矜持が、呆気なく崩れ去ってしまいそうだったから。




