俺が死んだから……
次の日から、普通に授業が始まった。
真新しい日常にてんやわんやしていると、気が付けば二週間が経過した、
その間、カエデは一度も俺の前に姿を見せていない。
「あいつ……」
だから俺は、自らカエデの様子を見に来た。
カエデは現在、以前俺を襲ったあの噴水のふちに座り、ただ茫然と地面を眺めていた。
カエデの目に光はともっておらず、どこに焦点があっているのかも分からないような、濁った眼だ。
「ねえ、見てよ。今日もいるよ、例の幽霊」
「ホントだ。マジで何やってんだろ」
物陰に隠れる俺の横を、先輩と思われる女子二人が嘲笑いながら通り過ぎていく。
カエデは、授業に出ずに毎日ああやって噴水のふちに座りっぱなしでいる事から、入学一週間目にしてすでに、噴水の地縛霊という蔑称が付けられてしまっている。
直接的にいじめられている訳ではないが、蔑まれているのは間違いない。
「やっぱり、こうなるよな……」
――――俺は知っていた。カエデが、聞き分けの良い子であるという事を。
昔、スラム街に炭鉱が発見される前の、まだ生活が良くも悪くも安定しなかった頃、カエデが近所の河原でこっそり子猫を育てていた時期があった。
ただ、俺が貴重な食料を猫なんかに分けるのはどうなのだと少し咎めたら、次の日からカエデは一回たりとも猫の下へ行かなくなった。
カエデはダメな事、無理な事に関しては、何も抵抗せずに受け入れる、不気味な程に聞き分けの良い子だった。
きっとそれは、いくら親密な仲とはいえ、過酷でいつ見捨てられてもおかしくないような環境の中、一人で他人の家族に混り過ごしたカエデが無意識の内に身につけた、潜在的なものなのだろう。
今回もそうだ。俺への復讐が不可能な事だと分かってしまって、諦めるべきだと頭の中で答えを出してしまった。
でも、だからといって普通に過ごせるような精神状態じゃなくて、結果あの状態になってしまっている。
何としてでもやり遂げたい事を、自分の深層心理で抑え込まれ、心の中に悲しさや虚しさの感情だけが残ってしまっている。
「カエデ……」
別に、俺にとってカエデは、あくまでただの他人であり、救ってやる義理など無い。
でも……俺は――――。
「なあ、そこの君」
俺は物陰に隠れるのをやめ、茫然としているカエデに話しかけた。
話しかけられたカエデは、一瞬俺に殺意を込めた視線を向けたが、すぐにまた力なく視線を落とした。
「あれから、復讐をしに来ないよな」
俺が話を続けても、カエデは微塵も反応を示さない。
これは、上辺だけの中身の無い内容では会話すらしてはくれなそうだ。
「はあ」
カエデが、思わず返答せざるを得なくなるような何かを無理やりにでも言うべきだな。
「――――君にとって、あの男への思いは、その程度だったという事か」
そういうと、感情のこもっていないカエデの目が、俺に向いた。
「まあそうだろうな。俺が殺したあの男は、死ぬ間際まで言い訳を並べて、とてもじゃないが大した人間には見えなかった」
俺の挑発するような言葉に、カエデの眉がシワを寄せる。
「…………そんなことない」
そして、カエデは言葉を紡いだ。
「ほう。なら純粋に聞かせてくれ。お前にとってあの男は、どういった存在だった」
俺はそう問うと、カエデは力なく天を仰いだ。
「私にとってサクラは、居て当たり前の人。空気や水なんかと同じで、そこにあるのが当たり前で、居なくちゃ絶対に生きていられない、というか、居ない日常なんて考える事すらできない、大切を越えた人」
――――知っていた。カエデが、俺にそこまでの思いを抱いていたことは。
友情のその先……恋愛感情すらも上回る思いを抱いていたのは。
でも、ごめん。俺はもう、君と人生を歩むことは出来ないんだ…………。
「――――大げさだな」
「え……?」
俺の言葉を聞いて、カエデは目を見開いた。
「お前は、あの男が居なくても、今も生きているじゃないか。本当に必要不可欠な人間なら、居なくなった途端ただちに自分も死を選ぶはずだ。少なくとも、俺ならそうする」
もし明日お姫様が死んだら、俺は迷わず死を選ぶ。
でもカエデは、俺が死んでも、辛うじてまだ生きていられている。
カエデにとって、俺は必要不可欠な人間では決してない。
「結局、お前にとってあの男は、それだけの人間なんだ。あんなしょうも無い男が、お前の人生に必要不可欠であるはずがない。悲劇のヒロインを演じるのは、もうやめろ」
俺は容赦なく、醜い言葉をカエデに浴びせる。
ごめんよ。これ以外に、俺は君を立ち直らせる方法が分からないんだ…………。
「やめてよ――――」
覇気を帯びた言葉が、カエデの口から放たれた。
ただ、そこに以前のような殺気は無い。
「……私に、優しくしないでよ」
「――は? 優しく? どこが?」
「分かるよ。あなたがサクラを罵倒して、必要不可欠な人間じゃないって言い聞かせて、私を立ち直らせようとしていることくらい」
そう語るカエデの声色は、どこか悲しそうだった。
「お願いだからやめて。あなたに優しくされると、なんだか自分が惨めになる……」
そう言い、カエデはうずくまる。
顔は見えないが、きっと涙を流しているのだろう。
もしかしたら俺は、カエデの中での俺という存在の大きさを、これでもまだ甘く見積もっていたのかもしれない。
「……分かった」
俺は最後にそう言い残して、その場を去る。
自分の愚かさと無力さを痛感しながら――――。
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